「時空翔」と書かれている丘の上に登ります。ここには地震被害で亡くなられた方の慰霊碑があるのです。
この慰霊碑が建立されたいわれが書かれていました。
上に登ると海を背景にドーンと黒御影石。真ん中にくぼみがあります。このくぼみは、震源地となった南西沖を向いていて、7月12日に、海に向かって石の正面に立てば、くぼみの中へ沈む夕日を見ることができるといいます。この造形は「心と海と翼」を表現しているそうです。
慰霊碑の横に天皇陛下御製碑があった。「壊れたる建物の散る島の浜 物焼く煙立ちて悲しき」この島を訪れた翌年の新年にお詠みになられたものだそうです。
壁には地震の犠牲となった198名のお名前が刻まれていました。
慰霊碑を後にします。前方には津波資料館。その横では航空自衛隊さんが何やら何かをしていました。そうこの島には彼らの立派な大きな宿舎があるのでした。
震災の記憶が残る特別な場所をきれいに整備した徳洋記念緑地公園の中を走り、今回の地震の津波にも耐え抜き青苗岬の象徴とされているという「徳洋記念碑」に向かっています。
いろいろ書いてありました。・・・明治13年(1880)この岬で英国軍艦が座礁した際、明治天皇の命により乗艦していた有栖川宮威仁親王の遺徳と国境を越えた救助活動の美徳をたたえるものです・・・と書かれ、昭和6年(1931)にこの記念碑が完成した。としてあります。
青苗岬の先端に建つ高さ約17m、鉄筋コンクリート造り。ご立派です。