ホテルを出たところが宮崎駅。列車が動き出す前、午前中の観光に出かけます。
おなじみの大淀川を渡って進みます。
来たぞ宮崎の景色。中央分離帯にきれいに並ぶワシントニアパームは15kmに及ぶ景観。
我が宿敵読売巨人軍がキャンプを張る球場が見えた。
弥生橋を歩きます。まず最初の商品「青島」にやってきた。そうなんです。ここ日南海岸は昭和30年 (1955) 代後半から50年 (1975) 代初めにかけては新婚旅行のメッカ。昭和42年には、デューク・エイセスの「フェニックス・ハネムーン」なんて歌も生まれた。なんでも同じ年に結婚したカップルの約35%のアツアツが訪れたと聞いたのですが、私は来なかったんだよねここ。だからその35%には含まれていないのです。
鬼の洗濯板。ちょうど干潮時だったのか見事な眺めでした。波頭の見えているあたりまではこの洗濯板が続いているのでしょうか。その先は板なしかな。
青島に向かって歩きます。
その天然記念物には驚いた。最初に大正10年 (1921) 熱帯性植物産地として指定ですって。そして昭和9年 (1934) 昭和27年 (1952) と指定年度が続いていました。
青島神社の山門、いや神門というらしいが見える。その奥が本殿だ。
巨人軍はこの神社に恒例のお参りだ。監督以下のお名前の絵馬がズラリ。彼らのための特別待遇か。そこには彼らの絵馬しかない。しばらく果たしていない「日本一」の文字がいっぱい。このところ何年も日本一のないチーム。今年も残念ながら三等賞だったのでした。
「祈りの古道」というそうです。三神をおまつりしているというこの神社。その縁結びの神様に願いを込めた絵馬がびっしり。
奥に進んだところにこじんまりした「元宮」ここがこの神社の始まりだとか。
「真砂の貝文」この島は、貝殻が堆積してできた島だという。 依って青島の別名を「真砂島」とも云うそうだ。海岸から拾ってきた貝を想いや願いを込めてここに供えているそうです。おっきな貝の方が願いが叶うのでしょうか。
境内にはビロウ樹がいっぱい。これはその子供だと聞いたつもりですが。
帰りに参道を振り返って写しました。
洗濯板の写真は光線の具合がよくありません。へぼ写真。
堀切峠を越えて道の駅フェニックスにやってきて一休み。青い海と青い空が広がっていました。
この辺もずっと洗濯板。海の中の二本の柱は韓国漁船が沈没した名残だとか。
南に目を向けるとこの海岸線。ここを進み鵜戸先岬の突端の階段を下ったところの洞窟に鵜戸神社がある。その辺までを日南海岸というのかもしれない。20数年前にこのルートを走ったことがあるのでかすかな記憶に残っているのです。
午前中の観光を終えて帰ってきた。再び大淀川。かってはこの両岸には観光客を求めてのホテルが並んでいたのですが、今ではマンションに置き換わっているそうです。