谷中七福神のまとめってことで。
東京都台東区・荒川区・北区の7寺院に祀られている七福神の巡礼札所です。
期間:1月1日 - 1月10日です。
効率よく歩けば6キロぐらいです。
およそ250年前に始まったと言われる江戸最古の七福神だとか。
各御朱印。
東覚寺 - 福禄寿 - 北区田端2-7-3
青雲寺 - 恵比須 - 荒川区西日暮里3-6-4
修性院 - 布袋 - 荒川区西日暮里3-7-12
天王寺 - 毘沙門天- 台東区谷中7-14-8
長安寺 - 寿老人 - 台東区谷中5-2-22
護国院 - 大黒天 - 台東区上野公園10-18
寛永寺(不忍池弁天堂) - 弁才天 - 台東区上野公園2-1
東覚寺 - 福禄寿
青雲寺 - 恵比須
修性院 - 布袋
天王寺 - 毘沙門天
長安寺 - 寿老人
護国院 - 大黒天
寛永寺(不忍池弁天堂) - 弁才天
期間中は人がたくさんお参りしてるので
迷わずたどり着けると思います。
興味のあるかたはぜひチャレンジしてみてください。
ご訪問ありがとうございました。
七福神めぐりの最後のひとつ。
寛永寺の弁天堂へどうにかこうにかやってきました。
七福神めぐりとは関係なく人気があるのか
参拝の人がマジっすかってくらいの列。
仕方がないので参拝の列にには並ばず写真だけ横から撮影。
御朱印のところにはあまり並んでなかったので七福神とは
関係なくお参りの人がこれだけ並んでいたみたいです。
一応、遠くから拝んでおきました。
弁天堂は寛永寺の堂宇の一つである。
いつ建立されたか、はっきりしないが、寛永寺が創建されて
間もない頃だといわれる。天海僧正が寛永寺を創建したときに
水谷伊勢守勝隆とはかり、比叡山の近江の竹生島になぞらえて
不忍池の中に中島を築いて、弁財天をまつったのが
このお堂だと伝えられているそうです。
昭和20年3月の空襲により焼失。昭和33年に再建されたんだとか。
39枚目ゲットだぜぇ!
ご訪問ありがとうございました。
正月に家族とTDLへ。
私は別行動で御朱印あつめに。
で、やってきたのは谷中七福神のひとつ長安寺です。
まだ正月のこと書いてますが、谷中以外もいってるので
ぼちぼち書いていくことになると思います。
長安寺は、老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山。
長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、正徳2年(1712)
大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転したんだとか。
長安寺で祀られている寿老人です。
山号は大道山(だいどうざん)
臨済宗妙心寺派のお寺です。
狩野芳崖墓 かのうほうがい
画家狩野芳崖は、文政一一年(一八二八)の生まれ。
伝統的な狩野派の画風に西洋の画法を取り入れて近代日本画の発展に
大きく貢献するとともに、東京芸術大学美術学部の前身で
“芸術・文化の社”上野の一翼を担う東京美術学校の創立にも
尽力した人物です。明治二一年一一月五日六一歳で没しました。
35枚目ゲットだぜぇ!
下谷七福神めぐりもそのうち。
ご訪問ありがとうございました。
今年の正月に谷中七福神めぐりを。
家族はTDLへ私は御朱印あつめってかんじでね。
個人的な記録なんで適当にスルーしてくださいね。
山号は護国山(ごこくざん)
正式名称は護国山尊重院天王寺 (ごこくざん そんじゅういん てんのうじ)
天台宗のおてらです。
日蓮が鎌倉と安房を往復する際に関小次郎長耀の屋敷に
宿泊した事に由来する。関小次郎長耀が日蓮に帰依して
草庵を結んだ。日蓮の弟子・日源が法華曼荼羅を
勧請して開山したのがはじまりだとか。
1641年(寛永18年)徳川家光・英勝院・春日局の
外護を受け、29690坪の土地を拝領し、将軍家の祈祷所と
なったそうですがそれまでの由緒みたいなのは
詳しくはわからないそうです。
元禄11年(1698)、法華信者以外からは布施を受けず
また他宗派の僧には布施を施さないという不受不施派に属していたため
江戸幕府より邪宗として改宗を命ぜられ、これに抗した住職日遼は
八丈島へ遠島になりました。そして、聖人像はじめ日蓮宗関係の品々も
それぞれ近隣の瑞輪寺等の同宗寺院に移管され
当山は名実ともに廃絶の危機に瀕したんだとか。
しかし、東叡山輪王寺の住職である公弁法親王が
由緒ある当山が廃寺となるのを惜しみ、天台宗寺院として
存続することを幕府に説いて認められました。
願主は輪王寺宮公弁法親王、大檀那は5代将軍徳川綱吉。
そして、台宗第1世に千駄木大保福寺の慶運大僧正(のちの長野善光寺中興)
を迎え、また本尊も、当山が寛永寺の北方に位置するところから
やはり延暦寺の北方にある鞍馬寺が毘沙門天を奉安して
国家安穏・仏法護持を祈願しているのにならって、比叡山飯室谷円乗院より
伝教大師親刻とされる毘沙門天立像を移して新本尊としました。
ちなみに本尊は明治になって現在の阿弥陀如来坐像にかわったんだとか。
1700年(元禄13年)徳川幕府公認の富突(富くじ)が興行され
目黒不動、湯島天神と共に「江戸の三富」として大いに賑わった
そうです。
昭和32年まで五重塔があったそうです。
放火によって惜しくも炎上したんだとか。
34枚目ゲットだぜぇ!
ご訪問ありがとうございました。