去年9月の終わりに石川県の和倉温泉へ。
七福神めぐりのスタンプラリーをやっていたので
そのひとつ少比古那神社へ。
由緒は創祀の年代不詳であるが、大同年間の創立であると伝えられる。
大同9年涌浦(今の和倉町)の湯の谷という所に温泉が湧き出たので
村民大いに喜び、これ神の恩恵であるとして
一社を造営し、少彦名命を奉斎し、薬師菩薩神社と称したという。
その後、少名毘古神社と称したのを、明治28年現社号に改称したとか。
御祭神は少彦名命、すくなひこなのみこと。
市杵嶋姫命、 いちきしまひめまたはいつきしまひめ。
御神木のケヤキは樹齢500年以上だそうです。
私はまだこのときは御朱印を集めようとか
思ってなく、スタンプラリーの景品めあてだったのですが...
このときの経験が御朱印集めのきっかけになったかも。
ラリーの一つ、毘沙門天の像が神社の境内に。
ご訪問ありがとうございました。
8月に徳島にある大塚国際美術館へ。
『最後の晩餐』(さいごのばんさん)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが
ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として
描かれたものです。
保存上の悪条件に加え、過去の修復が逆に剥離を
進ませてしまったり、元々無かったものが書き足されるなどしたため
レオナルド自身が描いた絵がどの程度残っているのか
20世紀後半まで不明でした。
1977年から1999年5月28日にかけて大規模な修復作業が行われました
これはミラノ芸術財、歴史財保存監督局によるもので、
修復作業は修復家のピニン・ブランビッラ が
一人で20年以上の歳月をかけて行ないました。
この修復は洗浄作業のみで、表面に付着した汚れなどの除去と
レオナルドの時代以降に行なわれた修復による顔料の除去が行なわれた。
その結果、後世の修復家の加筆は取り除かれ
レオナルドのオリジナルの線と色彩がよみがえりました。
大塚国際美術館では修復前と後が再現されてます。
一度に見られるなんて、これだけでも
行く価値あるかも。
修復前。
修復後。
修復前を拡大。
修復後を拡大。
レオナルド・ダ・ヴィンチってほんと天才ですね。
しかし、最後に食べるとしたら
何食べようかな。
日頃、そんなにいいもの食べてないので
なんかごちそうをとしかイメージできね~。
最後の晩餐が節約のために
昼食に食べてるうまい棒一本なんて
いうのは悲しいかも。
ご訪問ありがとうございました。
去年の9月のおわりに、石川県の和倉温泉に。
旅館のフロントで七福神めぐりどうですかって
言われたので、お嬢さんとあたりをぶらぶら。
このときはそういうのに興味もなかったんですが
暇つぶしね。スタンプラリーみたいなかんじで。
温泉街の七ヵ所に写真のようなかんじで。神様が。
弁財天の写真撮ってなかった~。弁財天は芸の神様。
恵比寿様は商売繁盛の神様。
大黒天は出世の神様。毘沙門天は悪魔払いの神様。
布袋様の写真も取り忘れました。福の神です。
福禄寿は知恵の神様です。
寿老神は長寿の神様。
で、7カ所めぐるとおわんをもらえました。
今年の正月に東京で3つの七福神めぐりをすることになるのですが
それはこのときからはじまっていたのかも。
去年の9月に会社の研修があり大阪城の近くへ。
先のないじいさんが今更研修かよってかんじなんですけど~。
私、ブルーカラーの末端なんでスーツなんてあまり
着ることないんですよね。通勤で、スーツなんて着てません。
10年前に作ったスーツしか持ってないんですよね。
作業着で研修にいってやろうかって思うのですが
作業着で電車乗るなって言われます。
冬に研修とかあるときは当日インフルエンザになります。
コート持ってないので。
何回も着ることないコートを買うのもね~。
コート持ってないから研修いやや~とも言えないし。
頻繁に研修があるわけじゃにのでこの手は使えます。
まえにインフルエンザになったのは4年くらい前でしょうか。
別の日に研修ってなると冬は終わってるので。
私、人の仮面をかぶってますが正体はナマケモノです。
ブタの 仮面もかぶってますが。
夏場はクールビズなんでなんとか。
冬の研修はイヤだよ~ん。
今年もインフルエンザにならずに済みました。
昼休憩に、昼飯もそうそうに大阪城へ。
大阪城公園の全体図です。
最近はUSJとかとセットなのか外国人が多かったです。
大阪は東京と違って緑が少ないので貴重な公園です。
天守閣は戦後、市民の寄付金により1931年(昭和6年)に竣工したものです。
昼休みに行ったので、あまり時間がなくすぐ引き返してきました。
ご訪問ありがとうございました。