出雲大社へ参拝にいった話は
前にちょこっと書きました。
で、参道にあるお店でおそばを。
おそばを食べれるお店は通りに
たくさんあります。
磯のりそばをチョイス。
けっこう量があったのでおなかがいっぱいに。
おそばを食べましたってことで。
去年の11月の終わりに島根へ。
奥さんとお嬢さんはもう帰ろうモード。
たしかに大阪まで帰るとなると5時間くらいはかかりますからね。
でもせっかくきたんだから帰り道だしってことで。
もう一軒行こうか
飲み屋か!
なんて会話をしながらなんとかもう一軒 つきあってもらいました。
佐太神社 さだじんじゃです。
住所は島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
個人的な記録なんで適当にスルーしてくださいね。
正殿の主祭神である佐太御子大神は『出雲国風土記』に登場する
佐太大神と考えられる。佐太大神は神魂命の子の
枳佐加比売命きさかひめのみことを母とし
加賀の潜戸で生まれた。神名の「サダ」の意味には
「狭田、すなわち狭く細長い水田」という説と「岬」という説とがある。
んだとか。
康元元年(1256年)の『社領注進状』(出雲大社所蔵)によれば280丁と
杵築大社(現:出雲大社)に匹敵するほどの社領を有していたという。
ここも改修工事中でした。
由緒です。
工事してなかったらこういうかんじ。
宝永3年(1706年)の『佐陀大社勘文』によれば
島根郡と秋鹿郡に7000石の社領と224人の神人を有していたが
太閤検地によって大幅に減じられ、堀尾吉晴の時代になって
200石まで回復したという。江戸時代に入ると杵築大社とともに
出雲国内の神社を管轄しそれらを支配する「触下制度」を確立した。
佐陀大社の管轄は島根郡、秋鹿郡、意宇郡の
西半分と楯縫郡の神社であった。とか。
南殿は通常の大社造りとはまったくの逆の構造で
めずらしいらしいです。
私はよくわかりませんが。
社務所です。
八百 万の神々がお集まりになる「神在の社」かみありのやしろ。
29枚目ゲットだぜぇ!
去年の11月の終わりに島根へ。
なんちゃって御朱印コレクターの私は
寺社めぐりをしたいのだけれど、家族はそうでなくて。
なんとか説得してついてきてもらいました。
石積み灯台としては日本一の高さと言われている灯台があるのですが
家族はもう帰ろうモードで断念しました。
冬の日本海。この日はおだやか。
夏はいいかんじの写真撮れるでしょうね。
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)に到着。
住所は島根県出雲市大社町日御碕455。
個人的な記録もかねてるので以下は適当に
スルーしてくださいね。
改修工事中でした。
こんなかんじだそうです。
由緒です。手抜き。
主祭神は天照大御神 あまてらすおおみかみ
神素盞嗚尊 かむすさのうのみこと
下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」
天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。
斜めから。
上の宮「神の宮」
神素盞嗚尊 かむすさのうのみことが祀られています。
現在の建物は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により
松江藩主京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し
1644年に松平直政が完成させました。
壁や木の切り口は白色で、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は
桃山時代の面影を残し、二つの本殿どちらも
拝殿と本殿が続く権現造りです。
上の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・宝庫・鳥居2基)と
下の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・禊所・廻廊・楼門・客人社2棟)からなり
これら社殿の全てと境内の石造建造物も含め
貴重な神社建築として全て国の重要文化財に指定されています。
港へすぐに行けます。
天照大神が現在の日御碕神社に祀られる前に
鎮座されていたという経島(ふみしま)。
途中の道路から神社を撮影。
28枚目ゲットだぜぇ!