伊坂幸太郎著。
今、映画も公開されているようですね。
表題作「死神の精度」の他、五編が収録されています。
対象相手によって姿形、年齢も変えて現れる死神「千葉」。
何故か名前はいつも同じ。
「死神」と言っても誰かの命を奪いに来るのではなく、指定された、「死」を予定されている人間に接触し、調査し、「死」が「可」か「見送りか」を報告するという、非常にサラリーマン的な役割。
「見送り」にすることは滅多にない。
なぜなら、彼らは人間の「死」に全く興味はないから。
床屋の主人が髪の毛に興味がないように。(髪の毛フェチが床屋をやっているとなんか怖いね。)
読んでいて非常に心地よい。
死神のお話を読んでいて心地よいというのも変だけど、文章が軽快なリズムを刻んでいるような、なんとも簡潔な文言が響きがいいというか。
それは「千葉」のクールさから来るのかな。
多分、何千年にも渡って「死神」として仕事をしているはずなのに、「千葉」はまだ人間に精通していない。
客観的な「人間と言うもの」というのは統計的に分かっているのだけれど。
例えば「私、醜いんです。」と言われると「みにくい?」「いや、見やすい。」「見にくくはない。」などと答える。
「年貢の納め時だ。」と言われ「年貢制度は今もあるのか。」と聞き返す。
クールさとのギャップが面白い。
比喩も独特な感覚で、「ほ~。」
そして「人間というものはほとほと救いがない」と死神目線で呆れている。
そう言われると私も「本当に、人間ってもんは・・。はぁ」とため息をつきたくなる。
ストーリーも非常に面白い。
どれもとても練られていて、引き込まれる。
最後の作品「死神対老女」で、この短編集に長い時間が流れている事がわかった。
そして意外な再会。
短編集の構成自体もすごく練られているのだ。
これ、とてもとても気に入りました。
CDショップで異常に熱心に視聴している人がいたら観察してみよう。(笑)
伊坂さんの作品、もっと読んでみたい!と思いました。
今、映画も公開されているようですね。
表題作「死神の精度」の他、五編が収録されています。
対象相手によって姿形、年齢も変えて現れる死神「千葉」。
何故か名前はいつも同じ。
「死神」と言っても誰かの命を奪いに来るのではなく、指定された、「死」を予定されている人間に接触し、調査し、「死」が「可」か「見送りか」を報告するという、非常にサラリーマン的な役割。
「見送り」にすることは滅多にない。
なぜなら、彼らは人間の「死」に全く興味はないから。
床屋の主人が髪の毛に興味がないように。(髪の毛フェチが床屋をやっているとなんか怖いね。)
読んでいて非常に心地よい。
死神のお話を読んでいて心地よいというのも変だけど、文章が軽快なリズムを刻んでいるような、なんとも簡潔な文言が響きがいいというか。
それは「千葉」のクールさから来るのかな。
多分、何千年にも渡って「死神」として仕事をしているはずなのに、「千葉」はまだ人間に精通していない。
客観的な「人間と言うもの」というのは統計的に分かっているのだけれど。
例えば「私、醜いんです。」と言われると「みにくい?」「いや、見やすい。」「見にくくはない。」などと答える。
「年貢の納め時だ。」と言われ「年貢制度は今もあるのか。」と聞き返す。
クールさとのギャップが面白い。
比喩も独特な感覚で、「ほ~。」
そして「人間というものはほとほと救いがない」と死神目線で呆れている。
そう言われると私も「本当に、人間ってもんは・・。はぁ」とため息をつきたくなる。
ストーリーも非常に面白い。
どれもとても練られていて、引き込まれる。
最後の作品「死神対老女」で、この短編集に長い時間が流れている事がわかった。
そして意外な再会。
短編集の構成自体もすごく練られているのだ。
これ、とてもとても気に入りました。
CDショップで異常に熱心に視聴している人がいたら観察してみよう。(笑)
伊坂さんの作品、もっと読んでみたい!と思いました。