「ちょっとだけ妥協」
は、
「完全に妥協」
だった。
「ちょっとだけ自己欺瞞」
は、
「完全に自己欺瞞」
だった。
ほんとうに、
言っている言葉じゃない。
使っている言葉じゃない。
ほんとうに、妥協をやめること。
たとえそれで世界がひっくり返るとしても
ほんとうに、自己欺瞞をやめること。
たとえそれで世界がひっくり返るとしても
妥協満載の自己 . . . 本文を読む
いつだったかな?
1週間くらい前だったと思う。
「私」という知覚者と、この夢の中のすべてが同一だった
というゆるぎない体験があった。
数十秒間だったとおもう。
家も私、道路を走る車も私、車のタイヤも私、そのタイヤの音も私
鳥のさえずりも私、鳥も私、風も私、風の音も私、木々も私、舞っている落ち葉も私
肉体も私、家族も私、世界中の誰もかれもが私、世界のドラマも私、、、、
宇宙も宇宙 . . . 本文を読む
なぜ、わたしたちは
「自分が働き、自分が稼いでいる」
「自分が何かをはたらきかけて、その結果を引き出す」
と、考え信じられるのだろうか?
そこには何もなく、誰もいないのに
この劇場で演じている主人公は
誰だったのか?
そして彼は 何によって生き 養われているのだろうか?
世界に現れているすべては、すでに恩寵だった
わたしは、何もする必要がない
行為のこと . . . 本文を読む