奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

光 プレゼンス ビーイング

2014年11月17日 14時43分09秒 | 日記


ふと、思い出話しから。。



2012年12月 アンフィニのスタッフになるために、栃木から葉山へ引っ越してきた。

引っ越しの翌日が、友人たちと主催していたクラス開催だったので

引っ越し完了と同時に、横浜へGO!



そして、引っ越しから3日後(クラス2日目)には、アンフィニの統合が無理になった。 爆

という笑い話も…


本当に、聖霊の導きに他ならないなあと、、



アンフィニをやっていたことも わたしにとっては聖霊の導きだし


この人生の前から、そしてこの人生の何もかもが、聖霊の導きでなかった瞬間など無かったのだなと

感慨深い日々です 笑



だから、ほんとに聖霊は完璧ということで

妄信とういか、全面的に信じ切ってしまって大丈夫なんだなあと。



聖霊に、ゾッコンというか

Jのように、完全に依存していこう!!!と。



そんな風に思わせて頂いている今日この頃。

なんという幸せ者なのだろう。




毎日毎日 神さまと、聖霊に、全ての兄弟に、最上級の感謝の言葉を捧げます。







そして、今さらながら

キッチリとコース目線から、悟り系の「プレゼンス」と「ビーイング」

を学んで身につけてゆこうという意欲が満々になってきました。

この学び方、とても素晴らしいです。



たぶんわたしが、プレゼンスをしっかりと体感しはじめたのって、2013年1月からでした。


てっちゃんの彼女の、さおちゃんと、その広がりと軽やかさと自由さについて

和歌山帰りの、高速のPAで語り合って、頭がくらくらしていたのを覚えています。





今は、プレゼンスとハートの爆発満タンが同時になってしまう体感。



プレゼンスから、一歩も動かない練習をしながらテキストを読むと、、


永遠の今ここの圧倒的な光と

奇跡講座が発する光の凄まじさに圧倒されてしまう感覚があります。



だから、少しずつ読むのが良い感じで、ジックリジックリ光を浸透させて、馴染ませてゆく感じ。


急いで読もうとするよりも、静寂の場所にとどまることの方を大切にするって

わたしにとっては、かなり良い方法のようです。

ただただ、光がすごい!!!




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
疑問 (疑問者)
2014-11-19 09:46:18
奇跡口講座が素晴らしいのは分かりましたが、奇跡講座を知らない人、奇跡講座の内容を信じない人をどう思いますか?
返信する
Re:疑問 (noriko1026heart)
2014-11-20 01:48:18
コメントありがとうございます。

わたしも、最初から奇跡講座の書籍(中央アート出版)だけを差し出されたのでは、さっぱり意味がわからなかったと思います。(今はよくわかります)

2013年2月ハレルヤさんから、神の使者を読むこと、そして 非二元論と純粋非二元論について学ぶといい。と勧められて

そしてそれを実行し続けて、今があります。

自我は、あらゆる場面で抵抗したり、理由をつけては、そのような勧めに対して素直に応じなかったりすることがあります。

しかし、抵抗しながらも、その方がどれだけ真実を求めているか?が鍵で

真実に向かいたい意欲が、最終的には、奇跡講座のような教えを真に学びたい。と思うようになるのだと思います。

そして、そういう方にはわかりやすい形で必ず聖霊が働きかけます。

このようなブログを読んでいることや、もう一歩踏み込んだ行動をしたくなるのも、その一つだと思います。

世界の多くのスピリチュアルな学びも、すばらしいのですが、たった一つ、矛盾をはらんでいます。

それは、「神がこの世界の創り主だ」
ということです。

わたしの中には、どうしてもそこに同意できない部分がありましたが、そこについて明確に答えているのが

神の使者であり、奇跡講座です。


~奇跡講座テキスト編 P19 まえがきより~

実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。



☆ご質問へのご回答☆

現時点で、奇跡講座を知らない人(出会っていない人)、その内容を信じない人についてですが

今は、それで十分で、それでも聖霊は常にその方達を見守り導いているので、わたしができることは、赦しを実践してゆき、聖霊により自分の心を修正してゆきつつも、世界について、すべての方達については信頼する聖霊に任せてゆきます。

そして願わくば、
すべての方達が 少しでも苦しみを感じることなく、導きにより目を覚ましてゆかれることを祈ります。

ということです。

実際に他者はおらず、すべて一なる自分ですので
すべての兄弟の目覚めを、心から願っています。
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