9/23(59分~)にR太さんがシェアしてくださって
深まってきた(と感じる)一つのフレーズ
「想念は、その源を離れない」
聖霊から見た自我の想念は
「愛と助けを求める懇請」であり
形のレベルで映像化されている
「兄弟」が叫ぶ
「愛と助けを求める懇請」は、
「自分自身(夢見る者・決断の主体)」のそれ。
「愛ある想念」としての「兄弟」もまた、
「その兄弟」とは
「私」そのものなんですね。
そして、実在は「愛ある想念」のみだった。
ということなんですね。
「想念は、その源を離れない。」
とは、自我の領域でもそうであるのに、
「いや!それはできる。」
という、無駄な試みだった。
天国乗っ取り計画だった。
ということなんだな~。と、、
兄弟も、私も、夢見る者であり、決断の主体なんですね。
そしてそれは実在ではなく、究極的には私も夢であり
本当に実在しているのは
神
ですね
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)
第26章 過渡期
セクションⅦ 癒しの法則
P716
段落4
T-26.7.4:7~9
想念はその源を離れないので、その結果は想念から離れているように見えるだけである。
想念は心に属するものである。
外に投影されて、心の外にあるように見えるものは、決して外側にあるのではなく、
内側にあるものの結果であり、その源を離れてはいない。
P718~719
段落12
T-26.7.12:2~5
罪とは、罪への信念が生じた場である心の外側に、攻撃を投影することができるという信念である。
ここに、想念はその源を離れることができるという考えを、
真実にして意味あるものにしている堅固な確信がある。
そして、この誤りから罪と犠牲の世界が現れ出る。
この世界とは、攻撃を大切に保持しながら、自分の無垢性を証明しようとする試みである。
☆一般公開中奇跡講座勉強会☆
動画一覧
https://www.youtube.com/user/norikoheart
☆真我なるハートホームページ
http://shingaheart.jimdo.com
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深まってきた(と感じる)一つのフレーズ
「想念は、その源を離れない」
聖霊から見た自我の想念は
「愛と助けを求める懇請」であり
形のレベルで映像化されている
「兄弟」が叫ぶ
「愛と助けを求める懇請」は、
「自分自身(夢見る者・決断の主体)」のそれ。
「愛ある想念」としての「兄弟」もまた、
「その兄弟」とは
「私」そのものなんですね。
そして、実在は「愛ある想念」のみだった。
ということなんですね。
「想念は、その源を離れない。」
とは、自我の領域でもそうであるのに、
「いや!それはできる。」
という、無駄な試みだった。
天国乗っ取り計画だった。
ということなんだな~。と、、
兄弟も、私も、夢見る者であり、決断の主体なんですね。
そしてそれは実在ではなく、究極的には私も夢であり
本当に実在しているのは
神
ですね
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)
第26章 過渡期
セクションⅦ 癒しの法則
P716
段落4
T-26.7.4:7~9
想念はその源を離れないので、その結果は想念から離れているように見えるだけである。
想念は心に属するものである。
外に投影されて、心の外にあるように見えるものは、決して外側にあるのではなく、
内側にあるものの結果であり、その源を離れてはいない。
P718~719
段落12
T-26.7.12:2~5
罪とは、罪への信念が生じた場である心の外側に、攻撃を投影することができるという信念である。
ここに、想念はその源を離れることができるという考えを、
真実にして意味あるものにしている堅固な確信がある。
そして、この誤りから罪と犠牲の世界が現れ出る。
この世界とは、攻撃を大切に保持しながら、自分の無垢性を証明しようとする試みである。
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