究極の幸せが、ここに拡がっている。
何かをする必要も、何かに向かう必要も、達成する必要もない
ただ、すでに拡がっている。
私にとっては、この究極の幸せ以外に幸せを感じることはできなくなっている
自我にとっては、それは不幸だろう
しかし
神の子にとっては自然なこと
すでに何もする必要がないほどに
全ての夢は終わっていた。
無因の何かは、存在することが
はじめからできてなどいなかった
ただ、それを認識するだけでよかった。
それを認識するのを阻むトリックがたくさん挟み込まれたかのようなトリック
そのトリックを直視してゆくほどに
夢見はすでに終わっていたと知らされてゆくのだろう。
奇跡講座マニュアル編 P98 中央アート出版社
M-14 世界はどのように終わるのか
始まってもいないものに、真に終わりがあり得るだろうか。
世界は、それが始まったときと同じく、幻想の中で終わる。
だが、その結末は慈悲という幻想である。
誰も除外せず、限りなく優しい完全な赦しという幻想が、それを包み、すべての悪を隠し、すべての罪を覆い、罪悪を永遠に終わらせるだろう。
そのようにして、罪悪が作り出した世界は終わる。
なぜなら、そのときには目的がなくなり、それは消え去っているからである。
幻想を生み出した父とは、幻想に目的があるという信念である。
すなわち、幻想が何らかの必要に応え、望みをかなえるという幻想である。
目的のないものとして知覚されたなら、もはやそれらが見られることはなくなる。
それらの無用性が認識され、消えてしまう。
これ以外にどのようにして、すべての幻想が終わるだろうか。
それらは真理のもとに運ばれており、真理はそれを見なかった。
真理はただ無意味なものを見過ごしただけである。
※「目的」とは何かというと、
神の源になる、神から分離をする欲望・願望であり、その分離を維持する欲望・願望が「目的」だった。ということですね。
JACIM DVD「原因についてのコース」「冊子」がそれらの理解についてとても助けになりますね。
学び実践の繰り返しによって
この目的が認識され、ひっくり返っていって、消え去ることになりますね。
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何かをする必要も、何かに向かう必要も、達成する必要もない
ただ、すでに拡がっている。
私にとっては、この究極の幸せ以外に幸せを感じることはできなくなっている
自我にとっては、それは不幸だろう
しかし
神の子にとっては自然なこと
すでに何もする必要がないほどに
全ての夢は終わっていた。
無因の何かは、存在することが
はじめからできてなどいなかった
ただ、それを認識するだけでよかった。
それを認識するのを阻むトリックがたくさん挟み込まれたかのようなトリック
そのトリックを直視してゆくほどに
夢見はすでに終わっていたと知らされてゆくのだろう。
奇跡講座マニュアル編 P98 中央アート出版社
M-14 世界はどのように終わるのか
始まってもいないものに、真に終わりがあり得るだろうか。
世界は、それが始まったときと同じく、幻想の中で終わる。
だが、その結末は慈悲という幻想である。
誰も除外せず、限りなく優しい完全な赦しという幻想が、それを包み、すべての悪を隠し、すべての罪を覆い、罪悪を永遠に終わらせるだろう。
そのようにして、罪悪が作り出した世界は終わる。
なぜなら、そのときには目的がなくなり、それは消え去っているからである。
幻想を生み出した父とは、幻想に目的があるという信念である。
すなわち、幻想が何らかの必要に応え、望みをかなえるという幻想である。
目的のないものとして知覚されたなら、もはやそれらが見られることはなくなる。
それらの無用性が認識され、消えてしまう。
これ以外にどのようにして、すべての幻想が終わるだろうか。
それらは真理のもとに運ばれており、真理はそれを見なかった。
真理はただ無意味なものを見過ごしただけである。
※「目的」とは何かというと、
神の源になる、神から分離をする欲望・願望であり、その分離を維持する欲望・願望が「目的」だった。ということですね。
JACIM DVD「原因についてのコース」「冊子」がそれらの理解についてとても助けになりますね。
学び実践の繰り返しによって
この目的が認識され、ひっくり返っていって、消え去ることになりますね。
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