妥協なしのガチな集中リトリートがはじまり終わった。
正直、ここまでガチでやったことはない。
全員が今できる限りに仮面をつけないから
(とはいえ、仮面を脱ぐことを行為するわけでもなく)
何も用意するわけでもない。
しかしイエスの脚本通りに事が展開してゆく
なんの努力もなしに、私たちの口から語られるべきことが語られていく。
それは私たちの行為じゃない。
イエスが私たちを使っているだけ
それを受け入れているだけ
そして莫大なヒーリングが自動的に起きていく
その理由は、最初に祈っているから
その祈りに対する応えとして、癒しも奇跡もやってくる。
実は、祈りの応えはすでにここに与えられている。
目の中の鱗を認識して、その鱗を取り除かれることを求めることなんだ。
いつもこの靴を履くわけじゃない4人の靴はConverseだった。単に同じメーカーだったね。ではなくて何かサインがあるんだろうと思った。
Converse には
Converse:打ち解け(溶け)て話す
ていう意味があった。。。
まさに、妥協なくそれをやった3日間だった。
人間関係がテーマ
怒りや無価値感を許可してあげること
でも、その強烈な感覚を外側に責任転嫁したり正当化することは全く認識が転倒している。
私たちは、思考を逆転させていくことになる。
そして、それは願望の問題である。