自分自身で、聖霊の見方をしようとするのではない。
そういう見方ができない自分=全然なにもわからない=自我としては負け
であることを認めて
完全にギブアップであると認めて
聖霊に「自分の代わりに正気の眼で見てください」と助けを求める。
本当は、そんなことをしたくもないという心のはたらきも認識する。
全然望んでもいない。
死を望んでいる。
とか、だんだん認めることができるようになってくる。
どこまででも苦しめたい=分離した宇宙という夢の中で時間を稼ぎたい。
あらゆる破壊が心の中で展開されている。
それは宇宙を投影している一つの心の中で起きている。。
それを、この身体を持って人生を歩んでいるかのような自分劇場の中で
本当は気が進まないけれども、心のある部分では準備が整いつつある場合、、
闇を見まくることになったりする。
「赦せている日常を過ごしているかどうか?なんかじゃねえだ。。」
「とんでもねえ。」
「自分自身が同一化して、それそのものになってきた想念が
どんだけ狂っているか?」
その狂気が宇宙投影の発端だった。
ましてや、好き好んでその想念を作り、それと同一化することを積極的に選んだことも
あまりにもあり得なかった。愚かな決断だった。
けど、それは起こせなかったらしい。
と、認識して自白するかどうかだ。
「いや~。と~んでもねえ!」
(さっきから誰の口調かと思ったら、ハグリッドだった^^; あと、3丁目の夕日の女の子役の堀北さんだった。その2人の口調で声がやって来ました 笑..)
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そういう見方ができない自分=全然なにもわからない=自我としては負け
であることを認めて
完全にギブアップであると認めて
聖霊に「自分の代わりに正気の眼で見てください」と助けを求める。
本当は、そんなことをしたくもないという心のはたらきも認識する。
全然望んでもいない。
死を望んでいる。
とか、だんだん認めることができるようになってくる。
どこまででも苦しめたい=分離した宇宙という夢の中で時間を稼ぎたい。
あらゆる破壊が心の中で展開されている。
それは宇宙を投影している一つの心の中で起きている。。
それを、この身体を持って人生を歩んでいるかのような自分劇場の中で
本当は気が進まないけれども、心のある部分では準備が整いつつある場合、、
闇を見まくることになったりする。
「赦せている日常を過ごしているかどうか?なんかじゃねえだ。。」
「とんでもねえ。」
「自分自身が同一化して、それそのものになってきた想念が
どんだけ狂っているか?」
その狂気が宇宙投影の発端だった。
ましてや、好き好んでその想念を作り、それと同一化することを積極的に選んだことも
あまりにもあり得なかった。愚かな決断だった。
けど、それは起こせなかったらしい。
と、認識して自白するかどうかだ。
「いや~。と~んでもねえ!」
(さっきから誰の口調かと思ったら、ハグリッドだった^^; あと、3丁目の夕日の女の子役の堀北さんだった。その2人の口調で声がやって来ました 笑..)
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そうだよ、私は赦せないから聖霊にお願いしたんだ。私が赦せないことを聖霊は赦してるんだ。
赦せないくてもいい。そう思えたら、なんか楽になりました。
赦すのはエゴの私ではなくて、聖霊なんですね。
なんか、泣いちゃう!
はじめまして、こんにちは。
コメントありがとうございます。
すばらしいレッスンでしたね。
私たちは、自分自身の無力さを思い知る必要があるようです。
本気で聖霊に助けていただくことができる心は、人生のどの側面でも自分で打破することなど到底不可能だったのだ。
と、真に意味ある決断をできるようになりますね。
真に、謙虚になって退き、神に向かってこうべをたれてゆくレッスンの連続が、奇跡講座のようです。
これからも、助けを求め、癒しを受け取ることができる心へと戻ってゆけますよう、お祈りします。
ありがとうございました。