良かったら、聖霊と一緒に読んでみてください。
形や言葉そのものにとらわれないで重箱のすみをつつきたくなる思考を手放して
その形の奥の奥の、その内容・目的・動機に焦点を向けてみてくださいね。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=817512298348808&set=a.136372386462806.19821.100002701379194&type=3&theater
奇跡は愛の表現として自然に起こる。
真の奇跡とは、奇跡を喚起する愛そのものである。
この意味において、愛から生じるものはすべて奇跡である。
(奇跡講座テキスト編 P36/中央アート出版社 T-1.1.3)
私の眼には、どう見ても彼らの内容・目的・動機は純粋な愛からのそれに見えるし
それゆえの衝動なのだろうと見えます。
もちろん、今までも今も未熟な面が多々あるかも知れませんが、私たちも同じく未熟さの中にいます。
レッスン真っ只中ですね。言い逃れはできません。
その未熟さの中で、自分自身の利害を超えて超えて
本気で、兄弟たちへ奉仕するって、なかなかできないことですね。
あらゆる対立関係は、縁あってのことですし
「今まで持ち越して来たレッスンが再び軌道にのってやって来た。」ということですが
それに対する自分の想いを、抑圧させずにしっかり見つめるということは
生半可なことではありませんね。
抑圧させないからこそ、毒吐きのような言葉が口をつくかも知れません。
しかし、それも自分自身の姿です。
そしてまた
改憲を訴える、もう一方の彼らも「シナリオ通りに動いている私」なわけですね。
この2者のように見える「私」が
慈悲から相手を見ることができるようになるための、そのためのレッスンなのだな。と
そしてその時は、必ずやってきます。
(今生かも知れないし、他の生涯かもしれないけどそれは避けられないですね)
選挙、改憲、護憲、さまざまな形のレベルのストーリーを
あえてしっかり見なさい。と言われているようです。
この流れでの、明日からの合宿。。
すごい導きに感じています。
私は、彼らの人生をかけて奉仕する心の姿勢に心うたれたし
敬意を払いたいと思いました。
先日、黒のマジックペンで期日前投票を終えました。
けっこう沢山の方たちが投票にいらしていました。
私も もう一度、神への献身を意志してゆこうと思います。
それは、私自身に愛を受け入れること、そのものです。
形や言葉そのものにとらわれないで重箱のすみをつつきたくなる思考を手放して
その形の奥の奥の、その内容・動機・目的に焦点を向けてみてくださいね。
☆18分あたり〜☆
https://www.facebook.com/miyake.yohei123/videos/1184665011583816/
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形や言葉そのものにとらわれないで重箱のすみをつつきたくなる思考を手放して
その形の奥の奥の、その内容・目的・動機に焦点を向けてみてくださいね。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=817512298348808&set=a.136372386462806.19821.100002701379194&type=3&theater
奇跡は愛の表現として自然に起こる。
真の奇跡とは、奇跡を喚起する愛そのものである。
この意味において、愛から生じるものはすべて奇跡である。
(奇跡講座テキスト編 P36/中央アート出版社 T-1.1.3)
私の眼には、どう見ても彼らの内容・目的・動機は純粋な愛からのそれに見えるし
それゆえの衝動なのだろうと見えます。
もちろん、今までも今も未熟な面が多々あるかも知れませんが、私たちも同じく未熟さの中にいます。
レッスン真っ只中ですね。言い逃れはできません。
その未熟さの中で、自分自身の利害を超えて超えて
本気で、兄弟たちへ奉仕するって、なかなかできないことですね。
あらゆる対立関係は、縁あってのことですし
「今まで持ち越して来たレッスンが再び軌道にのってやって来た。」ということですが
それに対する自分の想いを、抑圧させずにしっかり見つめるということは
生半可なことではありませんね。
抑圧させないからこそ、毒吐きのような言葉が口をつくかも知れません。
しかし、それも自分自身の姿です。
そしてまた
改憲を訴える、もう一方の彼らも「シナリオ通りに動いている私」なわけですね。
この2者のように見える「私」が
慈悲から相手を見ることができるようになるための、そのためのレッスンなのだな。と
そしてその時は、必ずやってきます。
(今生かも知れないし、他の生涯かもしれないけどそれは避けられないですね)
選挙、改憲、護憲、さまざまな形のレベルのストーリーを
あえてしっかり見なさい。と言われているようです。
この流れでの、明日からの合宿。。
すごい導きに感じています。
私は、彼らの人生をかけて奉仕する心の姿勢に心うたれたし
敬意を払いたいと思いました。
先日、黒のマジックペンで期日前投票を終えました。
けっこう沢山の方たちが投票にいらしていました。
私も もう一度、神への献身を意志してゆこうと思います。
それは、私自身に愛を受け入れること、そのものです。
形や言葉そのものにとらわれないで重箱のすみをつつきたくなる思考を手放して
その形の奥の奥の、その内容・動機・目的に焦点を向けてみてくださいね。
☆18分あたり〜☆
https://www.facebook.com/miyake.yohei123/videos/1184665011583816/
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Day16JR品川駅
動画の
40:30~
インデアン(ネイティブ・アメリカン)の
民主主義・ピース・メイカーの話。
1:00:00~
安倍政権の間違いを訂正して、赦す話。
あらゆる怒りや憎しみを超えていって
やがては、真の赦しに向かってゆけますね。
ずれてきているよと
選挙 政治は幻想です 構わずに進みなさいと
ただ、ゆるしを贈りましょう。
コースの赦しの実践・カリキュラム・段階はいろいろありますね。
私たちは、まずは「幻想を直視」しなければならないのです。
直視して、自身の特別性を認識して
目覚めに対する抵抗をはっきりと認めて
そして、心にその想念を取り戻して聖霊に捧げる。
ということが重要です。
ただ、抑圧して聖霊に明け渡すという赦しは真の赦しではないです。
奇跡講座テキスト編
P330〜
今一度読んでみて下さいね。
最近の選挙にまつわる
SNS上のみなさんの同行
(内容が現政権敵視、断罪や陰謀論、敵愾心をあおるものをシェアしたりいいねしたりする)に
違う意味で疑問を感じていて
それに対する怒りや憤りの思いを
ただ赦す日々です。
現政権がいかに気に入らなくても、
彼らは彼らなりに必死に生きているだけで
罪人ではないと思うのです
怒り、憤り、恐れ、
誰かけしからんという思い、
誰かを裁きたい思い、
敵愾心。
これらは全て
誰々さんに対するものではないことを
みんな思い出して欲しい。(私も含め)
(私はどちらかというと
自分で実際は何もやらないことが分かっていて
きれいごとを言い、センセーショナルな言葉で有権者を煽る野党側に憤りを感じますが)
その苦しい思いを
赦したくて
聖霊に助けを求めました。
この怒りや憤りは、何かや誰かに起因するものではない。
もちろん選挙のあれこれは一切関係ない。
外側ではなく私の内側にもともとあったもの。それは私が自我を選んだから。
私の誤った選択をどうか取り消してください。
私は自我ではなく聖霊を選びます。
私はサッパリと何も分かっちゃいないのです。
私のかわりにどうか赦しを行ってください。
しばらくして浮かんだのは
全ての人が
どの人も
どの人も
与党の人も野党の人も
(私もまた)
間違いなく神の愛し子であり
今この瞬間も
神のもとから一度たりとも離れたことのない者であり、
全き愛の中に今も居る存在である。
私にできるのは、そのことを受け止めた上で
(候補者を選ぶのではなく、)
自分の心にまず愛を選ぶこと。
>誰々さんに対するものではないことを
みんな思い出して欲しい。(私も含め)
その「みんな」は、どこにいますか?
分離の夢とは白痴のおしゃべりだ。
ということを思い出さねばなりませんね。
「分裂した心」という一者の、自分一人のたわごとだ。という事実から目を背けたいのかも知れませんが
そこから目を背けない心になってゆくことは、とても重要なことです。
その、「みんな」という
彼彼女が悟るかどうか?気づくかどうか?
彼彼女が何をしゃべるか?
センセーショナルな、なにかを?
ではないですね。
誰か(A)
に罪を見ているもう一方の誰か(B)も、
その様子を見ている自分(C)も、すべて
「私」です。
今、これを夢見ている「私」がすべてを一つとして見るかどうかです。
思いっきり抵抗しているのは、誰でもない自分自身だ。
ということから逃げないことですね。
このことを、何度も何度も、1000回でも2000回でも自分に教えることです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZKZfMfTRReU
私たちは
結局、自分を赦したくないんです。
自分に愛を与えたくないんです。
それをはっきり認めてゆきたいですね。
自分の居場所、視界
それが変われば、世界に対する見方が変化します。
その変化だけが必要なんですね。
心から応援しています。
心からお祈りしています。
↑映像を拝見すると
自分の自作自演ってこれのことなのかと
眩暈がするような、
そして
負けを認めたくない!!ということに触れると
吐き気すらやってくるような、
すごいインパクトでした。
全てが一つで~とか、
ぜんぶ私なんだ~とか、
頭で分かった気になっている感じとは
ぜんぜん違うんですね…。
永久に自分がサンドバックになってるのに、
それをやめたくない(認めたくない)
そこを映像に深くグリグリされると
恥ずかしいような、
図星つかれて憤死するような感じというか、
カーッとなりますが、
抵抗してるがゆえですかね…
(でも、抵抗しつつも、
映像から目が離せない(^^;))
政治から入ったはずが
大問題なのはむしろ自分自身だわとツッコミ入れたくなりました。
正直に腹を割って心をオープンにする勇気がどれだけ多くの兄弟に貢献しているのかを思うと、こみあげてきます。素晴らしいですね。
ありがとうございました。
そうなんですよね!
>「分裂した心」という一者の、自分一人のたわごとだ。という事実から目を背けたい。。。。
だけなんですね。
問題は、この形の世界にはありませんね。
たまごという「私」が
今回の人生でDという配役だったとして
Aさんが目覚めたことを言っても
Bさんが実相世界を達成しても
Cさんが真の赦しをしても
やっぱり、それらを見ている
Dという決断の主体の断片が、真の赦しを決断していなければ、、
Dの実践においては何の意味もないわけですね。
2015年の11月20日の実践コース勉強会映像での
「それは全く別の場所で起きている!」
この見方、なんですね。
だれもここに居ませんし、どのような時空間も、
本当には存在していませんから
その、存在していない何かに
イチャモンをつけているということ自体
「私は、神からの分離を起こしてみせたんです!やれたんです!そのような世界は作れたし、今ここでそれは確かに起きています。」
と、言い張っている一者の白痴のおしゃべりに過ぎないわけですね。
コースの内容に対する抵抗
神に対する抵抗
聖霊に対する抵抗
イエスに対する抵抗
ゆえに、これらの狂ったおしゃべりを続けようとしています。
やめることを決断できるのは自分だけですね。
そこに気がつき、認めてゆくためのレッスンでしたね☆
しっかりと幻想を見つめてゆきましょう♪