奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

自己主張劇場の終わり

2016年07月14日 00時06分47秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
7月合宿が終わり
静寂の中で、いろいろと教えられています。


一律の幻想が、愛の中で終わってゆきます。


それは変化したことも、存在したこともない
単なる一つの空想だった。


その空想を、
正気の眼で見るか、狂気の眼で見るか が、できることであり

それらの幻想が変化する。
という見方は、本当の意味では矛盾があります。



なぜなら、それら自体は変化しようがないからです。
単に、影がトリックの中うごめいているだけで

そこにあてがわれた解釈だけが、変化し得るからです。


解釈が、分離を維持しています。
うごめいている影は、分離を維持することは不可能です。


解釈が終わってゆくと
投影(責任転嫁・原因のすり替え)は終わってゆきます。

例え、今までと全く同じ映像が見えたとしても
その映像の中に、何百人の非難者が影として現れていても
問題ではありません。


この夢を見る「私」が、一致を見るか、分離を見るか、
そこにのみ、贖罪がかかっています。





以前から見え隠れしていましたが

あろうことか、
聖霊を、まったく信頼していなかった自分の心が
はっきりと見えはじめています。

それを認識しなければ、聖霊不信中毒症をやめられないのでしょう。
ということも感じています。

そろそろ、ちゃんと認めよう。
聖霊に不信を置き、自我に信頼を置いてきた自分の心の決断を、
しっかりと認識しよう。と


すると、あまりにもハッキリと、聖霊のメッセージであろう映像が
日常に贈られてくるもので。。

ここまでハッキリとしたメッセージは、聖霊の遊び心というか
爆笑して終わりというか、、

やっぱり、ここには何一つ原因はないのですね~。

と、娘と笑ってしまいました。


これについては、なんとブログに綴れば良いのかわからないので
Goサインがきたときに記すことにします。

私たちが、心に完全に戻れば本当に自由自在の心になるんだな。
山をも動かすというか、宇宙も動かすというか
それは、難しいことのようにトリックで隠されてきましたが
不可能というものはなくなるんだな。

なんでかわからないが、そうなのだな。と
教えていただいているようです。


「退いて仕える。」とは
本当にすばらしいことですね。






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