アジャシャンティ著 「禅 空を生きる」
19章「悟り」この章では「サレンダー(降参、降伏)」について語っています。
P253、P254
悟りに関する真の教えとは、あなたの動きにぴったりと寄り添う鋭利な剣の刃のようなものです。
両脚を斬られたあなたは、血まみれになって鼻を床に打ちつけるのです。
それほどまでに圧倒的な破壊なのです。
「あなたを自由にするものは真実である」と昔から語り継がれてきました。
私たちが自分を含めたすベての人にすることのできるもっとも思いやりに満ちた行為とは真実を告げることです。
反対に解放をもたらさない行為とは自分自身や相手が望むことだけを言うことです。
それは思いやりや愛の行為ではありません。真理を覆い隠すというのは残酷です。
なぜなら、それは私たちを、存在しない幻を追いかけるという終わりのない循環の奴隷にするからです。
真実は私たちのマインドに無力感を与えるかも知れませんが、それこそが大事なのです!
それが降伏するということです。
降伏や委ねることは
「私は聖なる世界に向かいます。
すべてを捨てて私の人生を捧げ、心を捧げ、すべてを捧げます。
私はすべてを捨てるので、代わりに究極のスピリチュアルな善きことが得られるでしょう」
というものではありません。
ヒマラヤ周辺で多くの人が10万回もひれ伏す礼拝のポーズは、
そうすることで自分たちに究極の善がもたらされると信じているからです。
あなたにも
「もしも究極の善が得られると思えなければ、絶対にそうはしなかっただろう」
と思いあたる体験があるはずです。
10万回もひれ伏すのは本当はいやなことなのです。
降伏とはひれ伏すことで、
内と外の両方において頭を下げてお辞儀をすることですが
それは何の見返りをも求めない行為です。
それ以外はゲームです。
「私は何かを受け取れると思うのでスピリチュアルなふりをする」
というエゴのゲームなのです。