奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

「新型コロナウイルス」という概念について思うこと

2020年03月10日 23時09分00秒 | 宇宙・幻想の終わり






私たちは、この世界で何か目立った現象(ストーリー)が生じると、そこに意識を集中させて、それがリアルだと信じ込んで苦しむ仕掛けにはまり込む習慣からなかなか脱することができませんでした。

特定のストーリーや、配役との同一化から抜け出すことがなかなかできない状態に、心は陥ってきました。

そしてその同一化の仕掛けには、ある目的がありました。
それは曖昧な目的ではなくて明確な目的で、

その目的とは
自分が肉体存在ではないとか
このような世界は自分の住処ではないとか
何が自分の真の実相なのかを
思い出させない。というものでした。

これは非常に非常に想像を絶する大掛かりな仕掛けであり

自分に真実を思い出させないために
永遠と思えるほどに夢見を維持するために
世界には次から次にストーリーが現れることが必要だったし
人々は同じ性格や顔や姿ではない必要があったし
味方と敵の両方が必要でした。


自分を魅了させるほどのドラマチックさが必要なのでした。


そして例外なく、間違いなく、この新型コロナウイルスもそのドラマを彩る一瞬のストーリーの一つで

私たちは自分の人生をどうにかコントロールして操作できるに違いないと、何故か猛烈に信じています。




でも、このレベルではそれは決してコントロールなどできないし

もしも仮にコントロール出来るとしたら、その人は肉体のレベルを超越しているに違いない。

私たちがコントロールできるレベルは心の信念や決断のレベルのみで

幻想に対する思い入れを持ち続けるか
捨て去るかについての心のレベルのコントロールにのみ可能性があると思う。

そして絶対的に、それが可能で
そこにだけ私たちの幸福の糸口がある。


世界に翻弄され、それらのストーリーと同一化するよりも
その世界の出どころ、起源に意識を向けることに時間とエネルギーをかけた方が賢い生き方だと思う。


人生が続く時は続くだろう
人生が終わる時は終わるだろう
肉体が病む時は病むだろう
健康な時は健康だろう
これらすべては夢見る者の夢の中で展開している。

クシャミひとつしない、頭痛ひとつしない肉体でいるための工夫にエネルギーを費やすよりも

それらを浄化のプロセスと受け入れて
分離を思い描いた以降
すでに心が病んでいたこと
を認めて

その世界の起源であるが完全に癒されるための手段と実践にエネルギーを費やした方が
私たちにとって非常に有意義な瞬間瞬間になるだろう。って
私はそう思う。


いま何度も思い出すのが、イエスやマザーテレサのこと。

彼らはあえて、人々から忌み嫌われ避けられていた人たちのそばににわざわざ向かっていった。
それはなぜだろうか?

世界のやり方とは真反対のことだ。。


加害者に見える人(危害を与えるように見える何か)も、被害者に見える人(危害を与えられるように見える何か)も、どっちも同じ「愛と助けを求める叫び声なのだ」っていうことを思い出しなさい。と言われているように私は思う。

愛が求められているところに行き
愛を与えることは極々自然で、防衛する必要がないのだと彼らは知っていたから
彼らの心は絶大な力で包含されていた(委ねていた)のだろうと思う。














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