てっちゃん、香港さん、私での一泊二日合宿が終わりました。
夕食は、徒歩圏内のスープカレー屋さん「南葉亭」☆
てっちゃん、香港さんを含めた元アンフィニ&現在奇跡講座がっつりメンバーは
相当濃いシナリオの役回りの間柄なんだろうと、とても感じています。
ここまでの自覚は無かったのですが、これは相当な腐れ縁ですね。
深いシェア会の中で、のりちゃんはこういう課題。てっちゃんはこういう課題。香港さんはこういう課題。
みたいに、それぞれのレッスンや導きについて語り合っていました。
その時空間は、なんとも現実味がない、ゆらゆらと揺らいでいて、柔らかく、儚い夢の映像です。
確かに、シナリオの中にはそういった各自がいて、各自のレッスンがあって、そして赦してゆく。
という夢から目覚めるストーリーがあるのですが、、
話しをしながらも、自己憎悪を見ながらも、
けれども、それは無で、各自がいなくて、たった一者の分離を継続するためのストーリーを終わらせる。
という大きな一つのレッスンがなされて、夢から覚める。ということが夢の中で起きていって
そして夢がただただ消え去るだけのことなんだなー。と、、、
どんなに果てしなく見えるようなレッスン課題も
「私」という意識・決断の主体が、本当に、ただただ夢見をやめることができるようになるための
「自分との和解・赦し」という幻想なんだな。と、、、
(この「私」は猛烈に、やめたくないんです)
一者の中の、妄想・たわごとが終わればよいんですね。
天国の門をくぐったところ、聖霊と一つの場所から見ると
何一つ、幻想のどれもが問題にならない。
という確信の中にいます。
上とか下とかが知覚されている意識においては、そこはとてもとても高いところで
自己憎悪を知覚しているところは、とてもとても低いところです。
奇跡講座テキスト編に書いてある、「下から上へ訂正」という言葉。
まさしくそうだな~ と思います。
今年7月の学び合いで、純粋非二元論の理解がかなり深まった香港さん
「赦している私」感が、かなり消え去ったように感じました。
そういう「私」を見ました。
てっちゃんも、1年前、数か月前から見ても
相当揺るぎなく、終わらせていく覚悟のようなものが更に固まっていっているようです。
そういう「私」を見ました。
それぞれに、完璧な導きを感じます。
そして、お二人とも「天と地をつなぐ者」に興味を持ち、読んでみる。とおっしゃっていました。
聖霊に導かれ、右往左往しながらも、ただただ兄弟たちのために献身的に尽くしたいという想いで実践していった
五井昌久さんの書籍です。
少しシェアしましたが、「まさしくコースが導くところを指示しているね。」と、二人とも感心していましたよ^^
天と地をつなぐ者 (P167~P168)
想念停止の練習時にはもう少し上に、もう一段上に自己の本体がある、
と直感しながら今まで合体できなかったその本体に、その時正しく合体したのである。
わがうちなる光が、すべての障害を消滅せしめて大なる発光をしたのである。
~中略~
想念停止(空観)とは、空そのものが終局ではなかったのである。
空になるとは、現象的、この世的すべての想念を一旦消滅し去って、その「空」となった瞬間、
真実の世界、真実の我が
この現象面の世界、現象面の我と合体して、天地一体、神我一体の我が出現してくるのである。
※「天地一体、神我一体の我」とは、完全に聖霊の心と一体になっている「私」、実相世界を達成している「私」のことです。
イエスや、アーテン、パーサなども、肉体を保持したままそこを達成しました。
奇跡講座を学び実践する私たちも、それを目指していますね。
てっちゃん、香港さん、愛をありがとう。
☆南葉亭のスープカレー
夕食は、徒歩圏内のスープカレー屋さん「南葉亭」☆
てっちゃん、香港さんを含めた元アンフィニ&現在奇跡講座がっつりメンバーは
相当濃いシナリオの役回りの間柄なんだろうと、とても感じています。
ここまでの自覚は無かったのですが、これは相当な腐れ縁ですね。
深いシェア会の中で、のりちゃんはこういう課題。てっちゃんはこういう課題。香港さんはこういう課題。
みたいに、それぞれのレッスンや導きについて語り合っていました。
その時空間は、なんとも現実味がない、ゆらゆらと揺らいでいて、柔らかく、儚い夢の映像です。
確かに、シナリオの中にはそういった各自がいて、各自のレッスンがあって、そして赦してゆく。
という夢から目覚めるストーリーがあるのですが、、
話しをしながらも、自己憎悪を見ながらも、
けれども、それは無で、各自がいなくて、たった一者の分離を継続するためのストーリーを終わらせる。
という大きな一つのレッスンがなされて、夢から覚める。ということが夢の中で起きていって
そして夢がただただ消え去るだけのことなんだなー。と、、、
どんなに果てしなく見えるようなレッスン課題も
「私」という意識・決断の主体が、本当に、ただただ夢見をやめることができるようになるための
「自分との和解・赦し」という幻想なんだな。と、、、
(この「私」は猛烈に、やめたくないんです)
一者の中の、妄想・たわごとが終わればよいんですね。
天国の門をくぐったところ、聖霊と一つの場所から見ると
何一つ、幻想のどれもが問題にならない。
という確信の中にいます。
上とか下とかが知覚されている意識においては、そこはとてもとても高いところで
自己憎悪を知覚しているところは、とてもとても低いところです。
奇跡講座テキスト編に書いてある、「下から上へ訂正」という言葉。
まさしくそうだな~ と思います。
今年7月の学び合いで、純粋非二元論の理解がかなり深まった香港さん
「赦している私」感が、かなり消え去ったように感じました。
そういう「私」を見ました。
てっちゃんも、1年前、数か月前から見ても
相当揺るぎなく、終わらせていく覚悟のようなものが更に固まっていっているようです。
そういう「私」を見ました。
それぞれに、完璧な導きを感じます。
そして、お二人とも「天と地をつなぐ者」に興味を持ち、読んでみる。とおっしゃっていました。
聖霊に導かれ、右往左往しながらも、ただただ兄弟たちのために献身的に尽くしたいという想いで実践していった
五井昌久さんの書籍です。
少しシェアしましたが、「まさしくコースが導くところを指示しているね。」と、二人とも感心していましたよ^^
天と地をつなぐ者 (P167~P168)
想念停止の練習時にはもう少し上に、もう一段上に自己の本体がある、
と直感しながら今まで合体できなかったその本体に、その時正しく合体したのである。
わがうちなる光が、すべての障害を消滅せしめて大なる発光をしたのである。
~中略~
想念停止(空観)とは、空そのものが終局ではなかったのである。
空になるとは、現象的、この世的すべての想念を一旦消滅し去って、その「空」となった瞬間、
真実の世界、真実の我が
この現象面の世界、現象面の我と合体して、天地一体、神我一体の我が出現してくるのである。
※「天地一体、神我一体の我」とは、完全に聖霊の心と一体になっている「私」、実相世界を達成している「私」のことです。
イエスや、アーテン、パーサなども、肉体を保持したままそこを達成しました。
奇跡講座を学び実践する私たちも、それを目指していますね。
てっちゃん、香港さん、愛をありがとう。
☆南葉亭のスープカレー