坂本龍馬没後150年の特別展を開催中です、お仲間さんと行って来ました、調度大相撲夏場所中にて
両国駅付近にお相撲さんが歩いて居ました、午前中ですので名の知れた力士は見当たりませんでした。
坂本龍馬は天保6年(1835)に土佐で生まれ慶応3年(1867)に京都で亡くなりました。その間、
浪士の立場ながら薩長同盟を仲介し、大政奉還を推進するなど、近代日本の創設に尽力しました。
龍馬が亡くなってからおよそ150年。これを機会に改めて龍馬の人間的な魅力を伝える展覧会を
開催します。
本展では龍馬の自由奔放な生き様や家族への愛情をあらわした直筆の手紙を中心に、その魅力を
わかりやすく紹介します。また、龍馬が暗殺された際に携えていた愛刀「吉行」などの遺品や関連資料
を合わせて展示し、龍馬が活躍した幕末と言う時代に迫ります。「パンフより」
僅か32歳にして暗殺と言う事件で世を去る人生ながら今にしても評価される若き青年政治家であったわけですね。
国技館のすぐ隣です。
次ぎは「すみだ北斎美術館」 江戸東京博物館から約10分ほどの所に有ります、
昨年オープンしたものです。北斎と旅する五十三次ぎ、、、、
「富獄百景」は 晩年期の肉筆で、天保5年(1834年)~
嘉永2年(1849年)75歳から90歳までに描かれた様です。
百数十歳まで努力すれば生きて居る様な絵が描けるだろうと
思って居たようです。
次は「吉良邸跡」にも寄って来ました、
吉良上野介義央「きらこうずけのすけよしひさ)「1641~1702)
吉良家は、清和天皇の後裔で先祖は足利佐馬頭義氏。江戸城における
一切の典礼を司る高家の地位を得たのは、祖父義弥の時です。嘉永18年
生まれで三郎の幼名を名のった義央は、十三歳で将軍家綱に謁見しました。
のちに、京への使者を任され、立派にその大任を果たしたことから以後有職故実
の家柄として重用されるように成りました賓客を応対することにかけては、義央は
まさに天才だったようです。「パンフより」
この吉良邸は2550坪有ったようですが、現在の吉良邸跡は
29.5坪に成って居ます、ご近所は商店やお住まいに成って居ます。
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