6月も間もなく終ろうとして居ます、空梅雨かと思って居ましたがこの所雨模様の日が続きます、
水瓶の所にもっと降って欲しいのですが少ないようです。
散歩中に身かかけた風景です。
6月も間もなく終ろうとして居ます、空梅雨かと思って居ましたがこの所雨模様の日が続きます、
水瓶の所にもっと降って欲しいのですが少ないようです。
散歩中に身かかけた風景です。
庭に半夏生の葉が白い白粉を
塗り出しました、
そろそろ終わりに近い紫陽花
我が家の唯一の野菜「茗荷の葉」が大きくなって来ました。
先日行って来た水郷アヤメ祭りのアルバムです。
あやめ祭りの後、佐原市内に入って「伊能忠敬」記念館にも行って来ました。
小野川沿いに有る旧宅も見て来ました、伊能忠敬が30年余りを過ごした
江戸時代の店舗の一部と表門、土蔵がそのまま残されています、当時は
酒造商を営み店舗は倉庫を改築したものと言われています。
「伊能忠敬像」
伊能忠敬と言う人は日本の地図を作った人です。
延暦2年「1745」に現在の千葉県九十九里町に
生まれました、幼名を三治郎と言います、宝暦12年
「1762」に17歳で佐原の伊能家に婿養子となり
みちさんと結婚し名を忠敬としました。忠敬は家業の
さらなる拡大と繁栄を築き財を成しました。寛政6年
「1794」に49歳で家督を長男、景敬に譲り、隠居
したのちは勘解由「かげゆ」と名乗ります。
詳しくは「 http://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/tadataka.html 」
パンフレットの色いろをアニメにして見ました。
以前にも行った事が有るのですが、何時もの仲間をお連れして車二台で早朝からの
ドライブでした。片道約3時間20分掛かり、9時20分に水生植物園に到着し早速予約の
サッパ船に乗り込みました、与田浦から十二橋巡りの所までモーターエンジンで
約10分くらい走ります。現場の「加藤洲十二橋」からは竹ざおで漕いで行きます。
「加藤洲」は古くは佐原と潮来を結ぶ重要な連絡水路でした。水路の上を通って
家と家を結ぶために木製の小さな橋が12あったというところから、加藤洲十二橋と
名づけられたと言われています。女船頭のサッパ船で観光する加藤洲十二橋めぐりでは
水郷の名残を漂わせています。パンフより
此処「与田浦」からサッパ船に乗ります、大きな農業用水を
加藤洲十二橋の現場まで約10分くらいモーターエンジンで
走ります、以下の模様はアニメ写真でご覧ください。
「水郷佐原水生植物園」園内にはアヤメが400品種
150万本が、咲き乱れていると言う事です。
花を周りから眺めるのも良いのですが、
船で見るのも風情のある事でしょう、この船で
結婚式を挙げる事も出来るそうです。
アニメで→