上尾シティマラソン復路あと一キロ地点です。
ゴールにあと約1キロ地点です、箱根駅伝に出場する学生達でしょうか、
ハーフマラソン約1時間5分くらいで通過して行きました。
上尾シティマラソン往路
ハーフ「21キロ」の選手達スタートから約3.5キロ地点で応援して居ました、
先頭集団はやはり大学生の駅伝を練習して居る人達が殆どで早いです。
お天気は雨の予報ですが、出発時はまだ降っては居ません、何とか日中は雨無で済むかと思われる。
先ずはミカン狩りです、小田原の「石垣山公園」の或るミカン園によりミカンを試食してなるべく皮の赤い甘そうな
ものを選び網に入れる小さなみかんんの方が一杯入るのだが大きめのを幾つか入れてから小さめのを入れたのだが
900gしか入らなかった、女性たちは上手に取り入れる1.6Kぐらい入れている人もいました、女性には叶わないです。
沢山生って居ます、どれを採っても甘いようですが
なるべく良く日に当たって赤らんだものを採りました。
ミカンは枝にしっかりと付いて居るので実を引っ張り取ると
底の皮ごと取れて仕舞います、ハサミで切り落とすしか
有りません、試食はいくら食べても良いのですがそんなには
食べられません。
或るホテルのバイキングです、種類が一杯有ってもそうは
食べられません、何でも美味しかったです時間もたっぷり有って
ゆっくり食事が出来ました。
或るかまぼこ店の実演風景です、何処かの子供たちが
実演体験をしていました、男の子も将来に向けて
お料理作りに興味を持つと良いですね。
小雨の芦ノ湖、誰も遊覧船には乗って居ません、
観光地は雨降りはいけません、人出も少なかった様です。
この後、箱根の関所跡を観たかったのですが時間が有りませんの
で、箱根神社へ、雨降りですから、バスから降り無い人も有って
行って来た人は半分くらいでしょうか、これで本日の予定は終わり
のようです。雨降りなので景色は充分に堪能は出来ませんでした
が行き帰りの交通状況は楽に進み予定通りに変える事が出来まし
靖国神社の大鳥居は流石に大きいです、この鳥居を潜って行くと真ん中に大きな銅像が
「大大村益次郎」の銅像です。近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した
明治26年(1893)日本最初の西洋式銅像として建てられた。
先の大戦でお国の為に戦い戦死した日本兵の
御霊が奉納されて居るのです、戦争を引き起こした
お偉いさんたちも一緒に祀られて居ることから近隣国から
国の代表が参拝する度に強硬にクレームをつけてくるようです、
戦後70年経った今でも敗戦国と成った日本では近隣国に
文句を付けられているのです、勝つ見込みのない戦は絶対に
起こしてはなりません、喧嘩を始めたら何処で終わらせるか
解らなくなるのです、もう二度と戦は嫌ですね、それでも
世界のどこかで何時も戦争をしています、武器業者が裏で暗躍し
て居る現実も有り戦争の無い社会は夢なのでしょうか?
靖国神社を出てから東京駅まで歩きながら、「学士会館」に立ち
寄り内部を見学し、その後は「平将門首塚」跡にも立ち寄り、
M新聞社の食堂街で昼食をして帰路に着きました。
都内歩きも中々疲れます約15000歩くらい歩いたようです。
先ず初めに東京駅からです、直ぐ前の皇居の東御苑から靖国神社を詣で周辺でランチして本日は終了ですが、
約15000歩くらいの歩きでした、次回は何処にしようか来年迄に考慮中です。
東京駅前は工事中でした回り道しながら皇居「大手門から
東御苑に向かいます。苑内に入るのに「入園票」を受け取り
出る時にお返しします。お堀には白鳥が泳いでいます、
苑内では今は特別花らしいものは有りませんが、冬を迎え
松や色いろな樹木の手入れを植木屋さんの手入れ風景です。
江戸城、城跡の台地を登り当時の考えに耽りました。
大田道灌が築城した城に徳川家康、秀忠、家光の3代が
住んだとの事。
苑内に入って直ぐの所に
「同心番所」が有ります、その奥に「大番所」と言う詰所が有りま
す、苑内は色いろな植物が綺麗に手入れされて広々と続きます。
「松の廊下跡」など書いて有ります、富士見櫓などの前を通り
広い園内の周りには東京らしく高層ビル群が覗いて居ます。
千両や柘榴なども成って居ました。
北詰橋門から出ました、武道館の前を通りすぎて
靖国神社に向かいました、周辺の食堂で昼食でした。