私は中学校に入って柔道を始めました。理由はまた機会があればお話しします。私が住んでいた地域には地区の公民館としては珍しく畳が敷かれた「柔道場」がありました。そこに柔道協会が運営する少年柔道教室があったのです。そのため「〇〇館」「△△塾」というような名称はありません。「〇〇柔道協会」という古い木の表札が掛かっていました。月謝も200円程度だったと思います。今はもうその建物はありませんが昭和50年代のことです。薄暗い道場で今のようなカラー畳ではなく、普通の畳に白い布カバーが被せられていました。
東西ドイツが統合される前の「西ドイツ」から来た少年柔道チームとの交歓会。近所の小学校体育館で行われました。50年ほど前の写真なのでモザイクはかけません。なお、ここには西ドイツチームは写っていません。ここのどこかに私がいます。
子どもたちの右に写っている6人のおとなが主な指導者です。前列の右側に座っている方は協会の役員でしょうか。道場で会ったことはありません。
その左のおじいちゃん(失礼)が実質的な「道場主」です。紅白の帯を巻いていたので6段でしょうか。当時、道場には更衣室がなかったので道場の隅っこで着替えるのですが、褌(ふんどし)を締められていたのを覚えています。
その後ろに立っている4人の男性。右の先生からは「足技」「手技」「腰技」色んな技を教えてもらいました。組んだ瞬間に私の体は宙を舞っていました。
その隣の男性の柔道着には「貿易」と刺繍されています。当時大阪には「貿易高校」という私立高校があり、そこに進学した道場のOBだったようです。
その隣のメガネをかけた先生は某私立高校の教師で柔道部の顧問をしていました。近大柔道部のOBです。とても優しい先生でした。一度中華料理屋に連れて行ってもらったことがあります。すごい量のレバニラ炒めを食べていました。
その隣の先生は声が大きくとても怖い先生でした。クマのようでした。このような中で私は毎週水曜日と金曜日の夕方、柔道の稽古に励んでいたのです。バンバン投げられ顔面で受け身をし、柔道は畳に擦れて体中生傷だらけになるので風呂に入ればヒリヒリしましたが良い思い出です。小柄な私は「体落とし」「背負い投げ」「大内刈り」「小内刈り」「小外刈り」とその連続技。そこからの寝技が「得意技」です。
その後、高校に進学した私は柔道部(といっても名もない公立高校)に入りました。日本の「少年柔道」や「学生柔道」は「柔道レスリング」「JUDO」と呼ばれるオリンピックのようなポイント制ではなく、投げ返されるのを覚悟で一本を狙い、少々手を着こうが尻もちを着こうが起き上がっては技をかけるというような死闘です。例えきれいに投げ返したり、技をかけて大勢が崩れた相手の上にのしかかったり、後ろに倒された勢いで巴投げをかけたりすれば逆に「お前から技をかけんか(怒)」と先生から怒鳴られましたよ。
一応、講道館三段なのですが、武道の段位は「強さ」ではなく、修業歴の証のようなものです。大学の全国大会レベルでも団体戦であれば初・二段はいますし、オリンピック金メダリストでも四・五段でしょうか。一応、十段まであるそうですが五段以上になるとあまり段位に興味はないみたいですね。剣道の場合「五段でやっと趣味」「六段になって特技」「人に教えるには七段の教士になってから」「八段は神様」と言われるほど段位の奥は深いようですが、柔道は二段でも講習を受け合格すればC指導員になれ部活の監督もできます。
剣道の場合、70歳を越えても現役の方が結構いますが柔道は厳しいですね。ケガをします。私も前回り受け身をしていて脇腹の肉離れをしたことがあります。受け身は「基本中の基本」。受け身でケガをするようでは限界かなと思い「現役?」を引退しました。それでも60歳の手前まで柔道着を着ていたでしょうか。少年柔道教室で子どもたちと汗を流していたころの写真です。これくらいがちょうど良いですね。ジジイには。
東西ドイツが統合される前の「西ドイツ」から来た少年柔道チームとの交歓会。近所の小学校体育館で行われました。50年ほど前の写真なのでモザイクはかけません。なお、ここには西ドイツチームは写っていません。ここのどこかに私がいます。
子どもたちの右に写っている6人のおとなが主な指導者です。前列の右側に座っている方は協会の役員でしょうか。道場で会ったことはありません。
その左のおじいちゃん(失礼)が実質的な「道場主」です。紅白の帯を巻いていたので6段でしょうか。当時、道場には更衣室がなかったので道場の隅っこで着替えるのですが、褌(ふんどし)を締められていたのを覚えています。
その後ろに立っている4人の男性。右の先生からは「足技」「手技」「腰技」色んな技を教えてもらいました。組んだ瞬間に私の体は宙を舞っていました。
その隣の男性の柔道着には「貿易」と刺繍されています。当時大阪には「貿易高校」という私立高校があり、そこに進学した道場のOBだったようです。
その隣のメガネをかけた先生は某私立高校の教師で柔道部の顧問をしていました。近大柔道部のOBです。とても優しい先生でした。一度中華料理屋に連れて行ってもらったことがあります。すごい量のレバニラ炒めを食べていました。
その隣の先生は声が大きくとても怖い先生でした。クマのようでした。このような中で私は毎週水曜日と金曜日の夕方、柔道の稽古に励んでいたのです。バンバン投げられ顔面で受け身をし、柔道は畳に擦れて体中生傷だらけになるので風呂に入ればヒリヒリしましたが良い思い出です。小柄な私は「体落とし」「背負い投げ」「大内刈り」「小内刈り」「小外刈り」とその連続技。そこからの寝技が「得意技」です。
その後、高校に進学した私は柔道部(といっても名もない公立高校)に入りました。日本の「少年柔道」や「学生柔道」は「柔道レスリング」「JUDO」と呼ばれるオリンピックのようなポイント制ではなく、投げ返されるのを覚悟で一本を狙い、少々手を着こうが尻もちを着こうが起き上がっては技をかけるというような死闘です。例えきれいに投げ返したり、技をかけて大勢が崩れた相手の上にのしかかったり、後ろに倒された勢いで巴投げをかけたりすれば逆に「お前から技をかけんか(怒)」と先生から怒鳴られましたよ。
一応、講道館三段なのですが、武道の段位は「強さ」ではなく、修業歴の証のようなものです。大学の全国大会レベルでも団体戦であれば初・二段はいますし、オリンピック金メダリストでも四・五段でしょうか。一応、十段まであるそうですが五段以上になるとあまり段位に興味はないみたいですね。剣道の場合「五段でやっと趣味」「六段になって特技」「人に教えるには七段の教士になってから」「八段は神様」と言われるほど段位の奥は深いようですが、柔道は二段でも講習を受け合格すればC指導員になれ部活の監督もできます。
剣道の場合、70歳を越えても現役の方が結構いますが柔道は厳しいですね。ケガをします。私も前回り受け身をしていて脇腹の肉離れをしたことがあります。受け身は「基本中の基本」。受け身でケガをするようでは限界かなと思い「現役?」を引退しました。それでも60歳の手前まで柔道着を着ていたでしょうか。少年柔道教室で子どもたちと汗を流していたころの写真です。これくらいがちょうど良いですね。ジジイには。