釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

リゾートマンションに定住するメリット

2023年11月13日 23時29分33秒 | 移住
今日はリゾートマンションに定住するメリットについてお話します。

2019年8月に最初のリゾートマンションに居住しました。

場所は神奈川県湯河原町、最寄り駅は東海道線真鶴駅。

大浴場付きの物件でした。

ここはたまたま購入した物件に大浴場がついていて、最初から大浴場を狙ったわけでありませんでした。

結果的にリゾートマンションに住むことになったのでした。

その後、伊豆高原Cマンション、現在の伊東SCというマンションと都合3軒のリゾートマンションに合計4年3か月ほどの居住経験があります。

そこで今思っているリゾートマンションのメリットを箇条書きにしてみます。

①いつでも温泉に入れる。
 もちろん営業時間があります。今のマンションは掃除時間以外はいつでも入れます。
 ですのでお風呂掃除をしなくてすみます。

②そのために光熱費が安い。
 今のマンションは水道代が管理費等に加算されているので、電気とガスで真冬以外は1万円以下です。

③人に会わない。
 マンション内で人に会うことはほとんどありません。
 お風呂では会いますが、高い確率でお風呂でも一人です。
 今のマンションは約300戸ですが、定住は3割から4割でほとんど高齢の方で独居に方もいます。
 子供のいる家庭はごく少数だと思います。
 ただし、夏休み、正月、連休などは人が増えます。

④静か
 山の中でもあるのし、人もいないので通常は静かです。
 都会の喧騒は皆無です。
 朝は鳥の声で目覚めます。

⑤フロントがあるので、いろいろと便利。

まぁ、考えるとなかなか出てこないものですね。



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現在居住のリゾートマンションの中古売り物件(11月5日現在)

2023年11月05日 13時15分27秒 | 移住
現在居住の「SC伊東」で現在販売中の中古物件

SC伊東には建物が3棟ある。

7階から14階まである一番館。

1階から7階の弐番館。

1階から3階の三番館。


一番館8F 66.33㎡ 南東向き 1,280万 E不動産


一番館7F 87.16㎡ 南東向き 1,650万 R不動産


二番館4F  56.09㎡ 東    1,490万 W不動産


二番館3F 76.11㎡ 南     1,490万 IT不動産


二番館2F 76.11㎡ 南東    1,450万 E不動産/R不動産


当方の販売希望価格

二番館4F 74.35㎡ 南東   1,650万


2022年5月から10月にかけて、洋室2室のクロス張替え、エアコン改修(ガス併用エアコンから)、キッチン、トイレ、洗面リフォーム、畳入れ替え、和室のふすま張替え、給湯器交換を行った。

もう少し売り物件が少なくならないと価格で負ける。


#不動産売買
#移住
#シルバー転居
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現状は

2023年11月02日 17時40分11秒 | 移住
今現在の転居に関する行動とこの先の予定

① 湯河原のマンションの売却依頼(収益物件で空室)

 10月初旬より不動産業者に売却を依頼中

② 川崎のワンルームマンションの売却依頼(収益物件で空室)

 入居者の募集を10月初旬より開始。

 ただし、川崎が物件過剰気味なので、同時に先週末から売却を別な不動産業者に依頼。

この二つの物件のどちらか片方でも契約にいたったらば、転居先を本格的に探す。

転居先を決定後に現在居住中の伊東のリゾートマンションの売却を依頼。

これは、過去の住み替えで、転居先に不満があったのに、居住中のマンションが売れてしまい。

あまり乗り気でないのに転居する羽目になってしまったことがあった。

結局、転居先には9か月しか居住しないでまた転居することになってしまった。

五回も売り買いを繰り返すと学ぶこともあるのだ。(-_-;)

さて、売却物件の動きはあるのだろうか。


#転居
#移住
#不動産の売却

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またまた虫が

2023年11月01日 18時08分00秒 | 移住
だいぶご無沙汰していました。
やはり、日々の活動はfacebookの方がアップしやすかったりするのです。また、instagramにアップするとfacebookにもアップされるから、どんどん手抜きになっています。

前回は伊豆山の土石流災害のブログだったので、もう二年三ヶ月ほど前になります。

あの時は、神奈川県湯河原町に住んでいました。その年(2021年)8月に静岡県伊東市の伊豆高原駅から10分ほどのマンションに転居しました。

そこの居心地が甚だ悪く、翌年5月に伊東市の伊東駅から15分ほどのマンションに転居しました。

その時はここにずっと暮らすのかなと思っていたのですが、ここのところ転居の虫がウズウズしてきたのです。

東京を2018年に出てから、今が5軒目の住処。今まであまり記録に残さなかったので、次の家に引っ越すまで、ブログに記録をしようかと思っております。

というわけで、6度目の転居物語のはじまりです。


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熱海伊豆山

2021年07月06日 18時01分00秒 | 日々雑感
7月3日の土石流で大きな被害を出した熱海市伊豆山地区。
私が住んでいる湯河原町吉浜(JR真鶴駅そば)から6キロほど南に位置しています。
ダイビングを盛んにしていた30数年前には何度も足を運びました。その頃は東京に一番近くでボートダイビングができるポイントだったのです。港からダイビングポイントまで5分ほど、船酔いする前に着きました。
そんな意味でも思い出深い場所です。
港のところに熱海ビーチライン(有料道路)が通り、その少し上を国道135号が通っています。その国道135号にニュースで中継される逢初橋(赤い欄干の橋)があります。
JR東海道線はその少し上で、さらにその上に並んで新幹線が走っています。
湯河原方面からやってきた列車はここの寸前でトンネルをでます。ということは今回災害が起きた逢初川の谷がいかに切り込んでるかわかります。
湯河原町と熱海市を結ぶのはこの二つの道路とJRだけです。いまJRは徐行ながらも運行していますので、往き来はできますが、車は全く行くことができません。
我が家でもネットスーパーは県境を越えて熱海からくるので、今はやってきません。
土石流より場所よりも神奈川県よりにまだ熱海市域はありますから、そこの方々は熱海市中心部に行くためには、小田原や箱根を経由して十国峠を越えなければならないのです。
土石流の映像の場所はさらに上になります。そこにもバス通りがあります。昨年、伊豆山神社に訪れたときは、そこのバス停で降りました。神社は逢初川より少し登ったところにあります。
今回、不思議だったのは、土石流が海まで流れ下ったのに、新幹線と東海道線の線路が無事だったことです。
今日、所用で東海道線に乗車した時にその理由がわかりました。最初の画像はJR車内から山側の新幹線の高架を写したものです。この高架の大きな穴を土石流はくぐり抜けていったようです。そして東海道線の線路下を国道に向かっていったようです。
ニュースで流される赤い欄干の橋を流れる泥流はJRの二つの線路をすり抜けていったものだつたのです。
列車の窓から沢山の人々が捜索する姿が見えました。蒸し暑い中、大変厳しい作業だと思われます。本当に頭が下がります。
一人でも多くの方の命が救われることを祈らずにはいられません。

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今度は?

2021年06月16日 15時45分00秒 | 日々雑感
飽きっぽいのかな。
お気づきの方も多いと思いますが、またまた引越ます。
転居の期日は決まっていないのですが、来週22日に引越先の物件が引渡しになります。
それから改装工事に入って、8月から9月ころには新しい家に移ります。

それと並行して今の家の売却を不動産屋さんにお願いしています。
今週末と来週はじめに二件内覧があります。売れるといいんだけど。

2018年に西麻布を離れてから、この家を売却すると売買に関わるのは10件目。決して家転がしではありません。

とうとう関東地方から中部地方に突入です。晴れて静岡県民&伊東市民です。町民から市民😄。久々にCSが視聴できるのはアゲ、但し、東京ローカルは映らなくなる。
天気予報は名古屋からというのが笑える。

今までの大浴場は沸かし湯だったけど、今度は温泉。

東京に比べて物件は安いけど、管理費がワンルーム一室分くらいかかるのがどうなんだろう。まぁ残す人もいないし。
なんか経済に貢献してると思わないと、ただの無駄遣いなんだけどね。

部屋からは利島と新島がみえるお気に入りです。

今度は居付くかな。
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徒然なるままに

2021年06月05日 16時07分00秒 | 日々雑感
お久しぶりのブログです。

知り合いの訃報が続きました。
昔、もう30年以上昔、劇団にいた時にお世話になった制作部のNさんと俳優のSさんのお二人です。

Nさんは同じ歳でした。だからまだ65歳。若いですよね。最後にお会いしたのは中村梅之助さんの葬儀の日でした。だから5年前。その時は変わらず元気で少しお話をしました。息子さんの話とかしたのに。
訃報を教えてくださった方の話だと、その息子さんも少し前に亡くなったとか。詳しくはわかりませんが、胸がしめつけられます。
昼食を一緒に食べたり、楽しい劇団での暮らしが思い出されます。

Sさんは劇団の中堅の俳優さんで、在団中はいろいろとご縁がありました。
いくつかの公演で、班長と舞台監督の立場でご一緒しました。中でもフランス公演にご一緒したことが思い出されます。
また、勉強会で若手たちの公演を演出された時に、共同演出として私をたててくださいました。在団中に舞台監督や演出助手は何回か経験しましたが、演出として名前が出たのはこの一回限りです。
その後、俳優だけでなく演出もやられた多才な方でした。ネットニュースで訃報を拝見した時は信じられませんでした。まだ、70代半ば亡くなられたのは無念だったと思われます。

知り合いが旅立つことが多くなってきました。自分もそんな歳になったのだとつくづくと思い知らされます。
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上京

2020年09月05日 22時54分00秒 | 日々雑感
約半年ぶりに東京に行きました。
3月は湯河原のマンションのエレベーター工事のために数日の滞在でした。久しぶりの東京だったので歌舞伎のチケットを予約した一方でだんだん拡がるコロナにビビって、消毒液などを大量に持参したりしました。
まだまだ緊急事態宣言は出されていませんでしたが、結局は歌舞伎公演は中止となり、友達と飲んだり、知り合いの飲食店を訪ねたりして戻ってきました。
今回は宝塚観劇が主たる目的でした。
コロナ感染が出演者やスタッフに確認されて、ギリギリまで公演されるか微妙でしたが幸いに上演されました。しかし、劇場内は今までとは全く違った空間になっていました。いつもは圧迫感を感じる客席は前後左右が空けられてゆったりしています。開演前もとても静かでした。しかし、公演中はいつもの半分しか観客がいないとは思えないほどいつもと同じ雰囲気でした。
興行的にはダメかもしれませんが、このゆったりした観劇は悪いものじゃないと思えるほど、リラックスできました。(内容はちょっと酷かった。まぁ、)
実際の観劇の後に、有料の配信で宝塚を二作品鑑賞しました。いけないことだけど、生より、映画館より、家で観る方が楽でいいかも。これは本来の演劇ではないから邪道ですが。
ちょっと見はわからないけど、東京は変わっちゃいましたね。電車には人が少ない。外国人が少ない。でも湯河原に比べたら人は多いから、本当にコロナは大丈夫かなと思ってしまう。
昔馴染みの店に行ったら、おかみさんが寝込んでいたり、休業していたり、予約だけにしたとか、いろいろ。寂しさともどかしさだけが残して湯河原に戻ってきました。
今度、行った時には以前とは言わないけど、少しは元に戻っていることを祈るしかありません。
茨城との往復も少なくなり、数ヶ月に一度、上野での数分の乗り換えだけが東京の空気を吸う時間です。
どんどん東京が遠くなっていきます。
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母の誕生日

2020年09月01日 18時41分00秒 | 季節
去年の9月1日、まさか母の最後の誕生日になるとは思ってもいませんでした。余命宣告された父にとっては母の誕生日が最後になるかなと思って、花屋さんに花束を買いに行きました。
今まで一度もやったこともないことはやるもんじゃありませんね。一生で一度のことになってしまいました。
病床から父は「なんだい?」と聞いてきました。「お母さんの誕生日。」父は大きく頷いて「いくつになったんだい?」「86」
父のびっくりした顔が忘れられません。
母がどんな表情をしたのか、あまり覚えていません。でも喜んでいたことは確かです。
嬉しそうだから来年もプレゼントしようと思いましたが、叶いませんでしたね。
今でも石岡で二人は笑いながら話をしていそうです。
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茨城で過ごすお盆

2020年08月18日 13時05分00秒 | 日々雑感
母の死から早いもので4か月が過ぎようとしています。あまりにも呆気なくこの世から居なくなったので、あまり実感がありません。まだ、茨城にいて、帰ると「あら、お兄ちゃん来たの?」と迎えてくれるような気がします。
友人のご両親の何人かは、長く床についたり、施設に入ったり大変な苦労をしています。本人も家族も、ましてこのコロナ禍ではどんなに大変か。それを思えば子供孝行な親だなぁと心から思います。そう思わないとなかなか気持ちの整理できません。
父の時も虚無感を強く感じましたが、母はそれ以上の空虚な感じで満ちています。
最後の二週間、夜中に携帯便所まで母を運んだ時に「あんた、私を馬鹿にしているでしょう。あんた、意地悪だから。」
本質をついた鋭い言葉が今も心に残っています。もう少し優しくできなかったのかなぁ。
亡くなった日、夕方に仕事に出かける弟に声を掛けてから、30分ほどで呼吸がおかしくなり、看護師さんを呼んだあたりから手がどんどん冷たくなってきました。看護師さんが戻って、弟に連絡すると「今日は戻れない。」と。しかし、職場の計らいで間もなく帰ってきてくれました。近くの親戚も駆けつけてくれました。一人でいるよりどんなに心強かったか。
母は苦しそうにしていましたが、看護師さんが痛みはもう感じないからと言っていたのを思い出しましたが、目の前にするとなかなか平静ではいられませんでした。「お母さん、もう頑張らなくていいよ。」それが精一杯の言葉でした。
このまま一夜を越すかと思ったので、親戚には帰っていただきました。こちらが一息ついて、この間に風呂でもと思い入浴していると、弟がお母さんがおかしいと声を掛けてきました。
そして母は息を引き取りました。
父の時はお祭りに行っていて立ち会えず、母の時は入浴中という困った息子です。俺には死に目を見せたくなかったのかなぁ。
16日の夜、コロナで縮小した五山の送り火の中継を見ながら、今頃は二人であの山の向こうに向かっているのかなと、しんみりしてしまいました。
茨城にいると庭や隣の部屋に二人がいるような気になります。まだまだ親離れできない夏です。
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