釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

歌右衛門桜

2010年04月28日 01時21分58秒 | お散歩日記/東京地名の話
早稲田大学演劇博物館に「六世中村歌右衛門展」を見に行きました。



演劇博物館は正式名称「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」といって、1928年(昭和3年)に坪内逍遥の古希とシェイクスピア40巻の訳が完成したことを記念して設立され、建物はイギリスのエリザベス朝(16世紀)の劇場を模して作られたものです。

私が在籍していた前進座とも関わりがあります。
1947年(昭和22年)11月9日にこの建物も前で、野外劇「ベニスの商人」を上演しているのです。
もちろんこの時のことは知りませんが、前進座の座史には必ず出てくる項目なので、演劇博物館というと野外劇が思い出されます。

さて、六世歌右衛門は、昭和を代表する立女形です。
六世歌右衛門と演劇博物館は、父の五世歌右衛門が坪内逍遥と交友があり、さらに当人も、逍遥作「沓手鳥孤城落月」の淀君を当たり役にし、第一回坪内逍遥賞を受賞するなど深い関わりがありました。
その縁から、遺愛の品々が演劇博物館に寄贈されているそうです。

寄贈品の中には、歌右衛門の世田谷区岡本の自宅の庭にあった「桜」も含まれています。

歌舞伎で「岡本町」といえば六世歌右衛門を指したほど、岡本という地名と歌右衛門は深く結びついていました。
六世のご子息の梅玉丈がその自宅を手放すときに、そこあった「桜」を寄贈なさったそうです。
桜は演劇博物館の前ではなく、大学の14号館の前にあります。
土壌や日照の関係でそこに植えられたということです。



桜は里桜の「鬱金(うこん)」で、ソメイヨシノに比べると遅咲きです。
さらに今年の不順な天候で、四月も末でしたが、まだ十分楽しめました。



この桜を六世は日々楽しんでいたのだと思うと、いいものを拝見できたと感激でした。
「鬱金」は最初は薄い緑色の花ですが、時が進むとほのかに赤味が増してきます。ほんのり赤くなった花は、歌右衛門丈の頬紅の色を思い起こさせて、不思議な色気を感じます。

私がうまれて初めて見た歌舞伎が「妹背山女庭訓」で、その時の後室定高は歌右衛門丈でした。花渡しから吉野川と満開の桜とともに話は進みます。
美しい歌舞伎でした。
私が後年芝居の道に進んでだのは、この歌舞伎との出会いがなければなかったと思います。

その後も、「道成寺」花子、「金閣寺」雪姫、「関の扉」小町と墨染、「女清玄」の新清水など歌右衛門丈の舞台には桜が良く似合いました。

2001年(平成13年)3月31日、六世歌右衛門は岡本の自宅でこの世を去ります。
その日は、満開の桜に雪が舞ったそうです。それで、歌右衛門丈の命日は「桜雪忌」。

本当に桜に縁の深い役者さんです。

そうそう、墓所は青山霊園にあるということで、来年の命日には、桜の下でお参りしてみます。


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亀戸の藤もなかなか咲かない

2010年04月22日 20時38分59秒 | 四季の花
四月に入ってからの異常気象でいろいろな花の開花が遅いようです。

日曜日に、足立区の都市農業公園と岩淵水門上流の里桜を見に行きましたが、まだまだ五分咲きにも至らない状況でした。
去年は、同じ時期にはすっかり咲ききって、名残の花見だったのですが・・。

浮間公園の桜草も育ちが遅いようです。


四月の後半は、亀戸天神社の藤が楽しみです。

先週の水曜日(14日)にはまだまだ花穂が出たばかりの状態でした。
去年、15日には花がちらほら付いていたのですが、今年は遅いようです。




14日の藤の様子


2009年4月15日の藤の様子

去年は油断していたら、連休前にはすっかり花は終わり、葉が茂ってしまって、名ばかりの「藤まつり」になってしまいました。

一週間後、21日の藤の様子です。



白い藤はだいぶ咲いてきましたが、紫はまだまだ。
来週の前半辺りが見ごろじゃないでしょうか。

今年はこんな楽しみもあります。



すっかり背が伸びたスカイツリーが藤の花の向こうに見えます。

ゴールデンウイーク後半も「藤まつり」の期間ですが、見ごろは過ぎていますので、お間違いのないように・・・。
藤の若葉が見たいのなら話は別ですが。

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東京なのに東京じゃない

2010年04月17日 05時36分02秒 | お散歩日記/東京地名の話
昔から不思議に思っていたことがあります。

千葉県松戸市に「都営八柱霊園」があること・・・・・・。

東京なのに東京じゃない?
そこは東京都の飛び地なのだろうか?
子供心に不思議でした。

行ったことないし、桜もきれいらしいから、行ってみようか・・・・と出かけました。

降り立ったのは、北総線の松飛台駅。
松飛台って、これも不思議な名前ですが調べてみると、陸軍松戸飛行場があった場所にちなんでつけられた地名のようです。
それにしても北総線は運賃が高い!

駅の北側に出ると坂の上にもう霊園が見えます。
霊園前の通りは桜のトンネル。
今年の持ちのいい桜がハラハラと散っていました。



霊園の塀沿いに東へ向かうと松飛台門。
霊園の東南の角になります。
東側にはでかいマブチモーターの本社に工場。

霊園内にはそんなにたくさん桜はなさそうですが、あちらこちらに見えます。
青山や谷中の墓地とは違って、ほとんど同じ大きさの墓石が整然と並んで、そして樹木が巨大ではないので、広々と空が開けて、まるで巨大な広場か公園のような感じです。
同じ都営霊園でも感じが違いますね。



だいぶ園内を歩いたのに地図を見ると、まだ中央部まで来ていない。
広さ105万㎡、23区内最大の青山霊園が26万㎡だからざっと4倍の広さ。
でかいはずです。
ちなみに都営霊園の最大が多磨霊園130万㎡だそうです。
でも、多磨霊園も巨大な墓や樹木が多いのでそんなに広い感じはしませんが、八柱霊園は本当に広く感じます。

さて、なんで千葉県松戸に東京都営霊園があるかのお話です。
明治になって、旧朱引内(俗に江戸と呼ばれていた地域)内の埋葬が禁止となります。
そこで埋葬地が定められ、青山(立山を含む)、谷中、染井、雑司が谷の墓地が作られます。
大正期には人口増加で、上記四ヶ所の埋葬地も余裕が無くなり、さらに、亀戸や深川にあった埋葬地は廃止となりました。

そこで郊外、西方・東方・北方に新しい市営墓地を作ることになったのです。

大正10年に西方に多磨墓地が完成、昭和10年に東方に八柱霊園が完成しました。
北方の小平霊園が完成するのは戦後、昭和23年のことです。

大正10年は東京市がまだ20区の時代、昭和10年でも35区になった時代で今の東京23区がその市域でしたから、多磨墓地も東京市営墓地でありながら、北多摩郡多磨村にありました。
そして東方の墓地は、東京府内東部には広大な用地が無く、当時の千葉県東葛飾郡八柱村の田中新田に用地を求めたようです。


当時は、市営墓地(都営)ですから使用は東京市民(都民)に限られていたようです。
まるで、東京のベッドタウンというか永眠タウンというか・・・。
現在では松戸市民の利用も認められているようです。

実は面白い事実を発見しました。
東京都営の霊園が松戸にあるのが原因で土地が無かったのか、松戸市の市営霊園は隣の白井市にあるということです。
お墓の玉突き・・・・・。

だいぶ歩くと、北側にある正門に出ます。
正門の辺りは自然の地形を生かしたつくりで、ここが墓地だなんて思えない公園風のつくりです。
そういえば、都営霊園で最初に「霊園」を名乗ったのはここだとか。


正門前の緑地


正門付近の桜は見事でした。

正門前の通りにはたくさんの休憩所や石材店が肩を並べていました。
ここから新京成線の八柱駅までは20分ほど、この駅も昭和30年の完成といいますから、それまでこの霊園はどれだけアクセスが悪かったか想像できます。

東京都の施設にはほかにも、朝霞や三郷の浄水場や山梨県にある東京水道水源林など、都内に存在しない施設が数多くあります。
もちろん、利根川や荒川上流のダムも東京都の施設なのです。(他県と共用ですが・)

東京の暮らしは他県にも支えられているんですね。

帰りは、そばにある常盤平から五香へと続く長い桜通りを楽しんで家路につきました。


常盤平の桜並木







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原宿の逆襲

2010年04月15日 19時46分55秒 | お散歩日記/東京地名の話
東京メトロの3月のダイヤ改正で、休日、副都心線の明治神宮前駅に急行が停まるようになりました。
それと同時に、駅名が明治神宮前(原宿)と変更になったのです。

もともとJRの原宿駅の接続駅としたできた千代田線の駅は、なぜか「原宿」とはならず「明治神宮前」を名乗っていました。

さて、この地域の歴史を振り返ってみましょう。

明治36(1906)年10月30日、原宿駅開業
昭和14(1939)年9月16日、銀座線「青山六丁目」駅を「神宮前」駅と改称
昭和40(1965)年8月1日、神宮前の住居表示施行
昭和47(1972)年10月20日、千代田線「明治神宮前」駅開業、同時に銀座線「神宮前」駅が「表参道」駅に改称
平成22(2100)年3月6日、「明治神宮前」が「明治神宮前(原宿)」に改称

現在、住居表示で「渋谷区神宮前」となっている場所の旧町名は、原宿、隠田(おんでん)、竹下町などでした。

おおむね、表参道の東側から外苑西通り辺りまでが、「原宿」。
竹下通り周辺が「竹下町」。
そして、竹下通り、表参道の西側が「隠田」でした。
原宿駅は、旧住所は「隠田」、なぜかというと、原宿駅は開設時は、今よりも代々木駅よりにあったそうで、その場所は「原宿」の区域だったからです。
中世の原宿村は、中心は現在の外苑西通り付近で、鎌倉街道の宿駅だったようです。
私が住む西麻布辺りにも原宿村五反田という飛び地があったようです。

住居表示の話に戻ります。
当時の風潮で、住居表示該当地域に複数の地名があるとその合成地名をつけたり、まったく新しい地名が採用されました。
その結果、歴史を無視した地名や、東西南北、上中下、中央などという、方向地名が出現したのです。

そうなると、この地区も新町名をつけなければなりません。
まず、隠田は読みにくいので却下、そうするともう一方の原宿だけ残すわけにもいかなかったようです。

そこで、新地名の候補に挙がったのが、地下鉄の駅名にあった「神宮前」。
しかし、銀座線の駅は、渋谷区ではなく港区青山にあり、もちろんこの住居表示地区にはありません。
ですから、住居表示施行から「神宮前」駅の改称までの7年間、地名と駅が違う場所にあるという不思議な現象が起こっていました。

渋谷区は住居表示施行前にも愚行に走っています。
昭和40年3月に渋谷区町名で当時の国鉄に「原宿」駅を「神宮前」駅に改称するように陳情を出したそうです。
しかし、あっさり国鉄に断られたということです。
その当時、地下鉄「神宮前」が存在していたのですから、そう簡単に改称はできなかったはずです。
このときに駅名が変わっていなくて良かったんじゃないでしょうか。

しかし、住所「神宮前」はなかなか定着、浸透しませんでした。
今でも一般的に、あの区域は「原宿」あるいは「表参道」と呼び、だれも「神宮前」とは呼びません。

メトロが「明治神宮前」を名乗っても、あそこはあくまでも「原宿」なのです。
副都心線ができ、土日の東上線、西武池袋線方面から乗客を誘導するのに、土休日の急行を停車させても、「明治神宮前」ではどこだかわからないということになったのでしょう。
それで、「原宿」併記が行われたと思います。

これぞ長年、虐げられてきた「原宿」の逆襲。

そんなに客が欲しかったら「原宿(清正井)」なんって改称したほうがいいのかもしれません。


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そろそろソメイヨシノも

2010年04月10日 00時14分02秒 | 四季の花
今年は長く満開が続いたソメイヨシノもそろそろ散りはじめました。
新宿御苑は一面、桜の絨毯です。

そんな中、次の桜が咲き始めています。

千駄ヶ谷門のそばの桜園地の「松前早咲」別名「血脈桜」。(詳しい説明は去年のブログを参照ください。)



高いところに咲いていますが、フリルのある美しい桃色の花です。


中の池から少し中央の広場に上ったところにある「白妙」



蕾はほのかにピンクですが、開くと純白。
白い八重咲きの花は珍しいです。

下の池と中の池の間をフランス庭園に少し上ったところにある「紅鶴桜」



可憐な花がびっしり咲いています。

この三種類のほか、「八重紅枝垂」などが盛りに咲いています。

二、三分咲きなのが「一葉(イチヨウ)」



新宿御苑では「ソメイヨシノ」についで数の多い木だそうです。
普通この桜や桃色の濃い「関山」を八重桜と呼んでいるようです。
国立博物館でも「一葉」が咲き始めています。

緑の桜「鬱金(ウコン)」はやっと咲きはじめという感じです。



青山墓地でも、国会前庭でも咲き始めています。
この桜は、だんだん赤味が増して、最後は薄桃色になります。

新宿御苑では、菊桜や「関山」などはまだ蕾の状態です。
総理大臣主催の「桜を観る会」は17日だそうですから、その頃が新宿御苑の二度目の花見のピークではないでしょうか。

ほかの場所では、国会前庭では、「白雪」「八重紅大島」などが盛りを迎えています。

「松月」が五分咲きくらい。



「思川」が咲き始めています。



国会前庭には、「麒麟」「天の川」「関山」「普賢象」などこれから咲く桜が多くあります。
見ごろはもう少し先のようです。

国立博物館では、前庭の「吉野枝垂」がそろそろ見ごろです。

本館裏の庭園の「御衣黄」は残念なことになりましたが、法隆寺宝物館の裏に大きな「御衣黄」がもう一本あります。
まだまだ蕾ですが、幹から数輪花が咲いていました。



まだまだ桜の季節は続きます。


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上野・谷中・日暮里の桜めぐり  続き

2010年04月08日 03時49分38秒 | 四季の花
国立博物館の正門を出て左手に進むと寛永寺(輪王寺)両大師堂があります。

両大師は、江戸時代初期の慈眼大師天海僧正と彼が信奉していた平安時代の比叡山延暦寺の中興の祖、慈恵大師(元三大師)良源上人のお二人をおまつりしているお堂です。

このお堂の前に「ミクルマガエシ(御車返し)」があります。



一見すると八重のようですが、一重と八重が混在する珍しい桜です。
牛車で通りかかった雅な方が、「今の桜は一重か?八重か?」と車を戻して、見直した故事からこの桜の名前がついたということです。
桃色の濃淡が美しくボリュームのある花です。

両大師にはほかにも、立派な枝垂桜があり楽しめます。
遠くにはスカイツリーの姿も望めます。

博物館と両大師の間の道を博物館の塀沿いに進むと、先ほどの博物館の庭の裏側に出ます。
さらに左折して進むと、右手は寛永寺の墓地です。

左手には博物館の木立の中に桜が見え、右手には墓地の桜が見え、空が広がって気持ちのいい小道です。

途中、寛永寺厳有院霊廟勅額門があります。
徳川四代将軍家綱の墓所の入口だった門です。
両脇にソメイヨシノを従えて、立派です。



寛永寺のここの墓地にもソメイヨシノが何本もあります。
さらに蕾は固いようですが、遅咲きの里桜系の桜が何本かありました。
もう少し遅い時期でも楽しめるでしょう。

墓地から、寛永寺の本坊の裏を抜けて谷中墓地に向かいます。
寛永寺の境内もソメイヨシノがあって春爛漫でした。
寛永寺の境内から、言問通りの向こうに谷中墓地の桜並木が見えています。

そういえばこのあたりの町名は「上野桜木」旧町名も「上野桜木町」。
由来を調べるとどうもこのあたりに桜が多かったからだそうです。
今通ってきた道のほかにも、上野中学のあたりにもたくさんの桜があり、まさしく桜の町です。

さて、谷中墓地。
都内では、青山墓地に次ぐ大きさです。都営墓地に隣接して寛永寺や天王寺などの墓地もあるので、墓地全体ではかなりの広さがあります。
その数箇所に桜並木があり、そのほとんどはソメイヨシノで樹齢も進んでいますが、なかなか見ごたえがあります。



最近、日暮里駅近くにできた高層ビルともよく似合います。

幸田露伴『五重塔』で名高い天王寺の五重塔の礎石の前も桜並木で、その突き当りの天王寺があります。

天王寺には美しい枝垂桜があります。



天王寺の門から出て右手の墓地の中に進むと、細い道ですがまた桜並木が日暮里駅から谷中銀座の階段(夕焼けだんだん)に続く道までつながっています。
ここもなかなか風情があっていい場所です。

日暮里駅に出ると、そこから夕焼けだんだんの方向に少し桜並木があります。
その右手、坂を上りきったところにある本行寺の枝垂桜も見事です。
遅咲きなので今回は見ることができませんでした。

そのまま進むと経王寺の門前にも枝垂桜があります。



今年はあまり元気じゃなかったけど大丈夫かな。

経王寺の角で左折、少し進むと、右手に養福寺があります。
山門に大きな仁王さまがいらっしゃる寺です。
今回初めて訪れましたが、ソメイヨシノをはじめたくさんの桜が咲いて、見事な景色でした。



画像の真ん中には遅咲きの枝垂桜が見えます。
まだまだ楽しめそうですね。

その先を進むと諏方神社、そして西日暮里公園。
どちらもソメイヨシノが見られます。
そして西日暮里駅に到着。

上野・谷中・日暮里の桜を見る散歩でした。

大きな地図で 上野・谷中・日暮里の桜 を表示
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上野・谷中・日暮里の桜めぐり

2010年04月07日 04時17分40秒 | 四季の花
花の雲 鐘は上野か 浅草か

松尾芭蕉の時代から、上野は花の名所でした。
江戸時代は、もちろん東叡山寛永寺の境内、歌舞音曲や飲酒などはご法度だったようです。
そして、ソメイヨシノも無い時代でしたから、見ていたのは「エドヒガン」やそれらの園芸品種や「ヤマザクラ」「オオシマザクラ」などだったのでしょう。
今のお花見とはだいぶ様子が違っていたようですね。

上野の花見といえば、西郷さんの銅像付近から、噴水のある竹の台のあたりまでの通路が本場です。
カラオケ有、踊り有、なんでも有の日本一派手な花見の宴会場です。

最近、ニュースで知りましたが、この花のトンネルを上りきった左手にある小松宮の銅像の付近に原木があるエドヒガン(江戸彼岸)系の「コマツオトメ(小松乙女)」が、「ソメイヨシノ」の片親であるということが遺伝子を調べてわかったそうです。
だから、上野にはソメイヨシノも似合うわけだと思いつつ、今回は、もう少し人のいない上野の桜を見に行きました。

ここ数年、お決まりの場所に花見に行きます。
でも少し遅かったり、早かったり、今回はどうでしょうか。
人ごみを避けて降りるのは地下鉄の根津駅。
根津の町を抜けて、最初に出会うのが護国院大黒天の桜。護国院は寛永寺の子院です。
そこから、芸大の美術学部と音楽学部の間の道を博物館側に抜けます。



ここも立派な桜並木。
美術学部の角には、枝垂桜もあります。

その先、美術館の塀越しに、濃い桃色の菊桃が見えたり、まだ早いですがこれからはやや遅咲きの桜「イチヨウ(一葉)」が見えます。
博物館の正面で振り返ると、竹の台の噴水越しに上野の桜が見えます。

博物館の本館の前、右手には美しい樹形の「ヨシノシダレ(吉野枝垂)」があります。



まだ満開にはなっていませんが、白い花が美しい桜です。

博物館本館裏の庭園には珍しい桜がいくつかあります。



入ってすぐ右手の「ミカドヨシノ(御帝吉野)」。
ここでしか見たことがありません。ソメイヨシノよりもやや白い花です。
花の密度はソメイヨシノのほうが密な気がします。

池のほとりにある「ショウフクジザクラ(正福寺桜)」。



この桜はヤマザクラとキンキマメザクラの交雑種と考えられているようです。
八重咲きのなかでは早く咲き出します。



別名「ユムラ」とも呼ばれるそうで、濃い桃色の美しい花です。

さらに奥には「ギョイコウ(御衣黄)」があったのですが、今年は枝が伐採されていました。
ここの「ギョイコウ」は、どちらかというと「ウコン(鬱金)」に近い感じで、緑色も淡く、花に切れ込みがありませんでした。
抜かれていないところを見ると再生の可能性があるのでしょうか、復活するといいのですが。

庭にもほかに、ソメイヨシノをはじめ、エドヒガンの枝垂やオオシマザクラなど多くの桜が植栽されています。

博物館の館内では、桜にまつわる品々も展示されて、お花見ムード満載でした。
さて、続きは次回に・・・・・。
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渓流の宝石

2010年04月02日 20時37分51秒 | お散歩日記/東京地名の話
最近、都内でもカワセミを見かけます。
散歩をしていて、でかいカメラを持ったおじさんがたむろしていたら、間違いなくその付近にカワセミがいるはずです。

先日、武蔵関公園に入るなり、たくさんのおじさんがたむろしていました。
そばには、公園で見られる野鳥の案内板。
それを読んでいたら、にわかにおじさんたちが移動。
看板の先の池の中から出ている枝の先に、カワセミがいるじゃないですが。

魚を捕食する姿も見られ、さらに二匹も・・・・。

私の安いデジカメでも充分撮影できました。

都内ではほかに、小石川後楽園などで見たことがあります。

自然教育園、明治神宮御苑、水元公園なんかにもいるようです。
自然教育園では、モニターカメラで生態観察もできますよ。


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国立劇場さくらまつり

2010年04月01日 19時53分50秒 | 四季の花
四月になりました。桜の話をしないと嘘になります。

国立劇場の前庭でさくらまつりが開催中なのででかけました。
今年初めて知ったのですが、ここにも珍しい桜があります。



昔から植えられていた『駿河桜』の実から育てられた『駿河小町』です。



親の『駿河桜』は二代目です。


(27日撮影)

『神代曙』



『仙台屋』



『小松乙女』



『八重紅枝垂』は今日が開花。


まだまだ楽しめます。
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