釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

向島→堀切(その1)

2006年06月30日 07時50分17秒 | お散歩日記/東京地名の話
今年最後の花菖蒲を見ようかと、向島百花園に行きました。

先週は明治神宮の内苑に花菖蒲を見に行きました。

明治神宮内苑の花菖蒲


上の画像のように、ちょうど満開でいい状態だったので、向島の花菖蒲の記事を見たので、まだ大丈夫と思ったのが失敗の元、すっかり刈り取られていました。
でも、向島百花園はすごい。いつも何かの花が咲いているのです。

紫陽花・石榴・半夏生・虎ノ尾・桔梗・河原撫子・睡蓮・浅沙・擬宝珠・萩・海紅豆・花魁草・・・・・・などなど、夏と秋が混在しておりました。
向島百花園は植物園の雄大さはないけど、こじんまりと江戸情緒が感じられ、いつも花が見られる心休まる場所で、大好きです。

百花園内


海紅豆(カイコウズ・アメリカデイゴ)


梅の実


紫陽花・隅田の花火


浅沙(アサザ)


半夏生(ハンゲショウ)・・・半夏生の話題は次回書きます。


石榴(ザクロ)


擬宝珠(ギボシ)


河原撫子(カワラナデシコ)


まぁ、ざっとこんなものです。みなさんも一度訪れてみることをお勧めします。

でも、花菖蒲が見たい。
思いついたのが、荒川の対岸ににある堀切菖蒲園です。
電車で行ってもいいんですが、散歩オヤジは歩いていくことにしました。

つづく。
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水無月と氷朔日

2006年06月29日 04時52分15秒 | 季節
『水無月』というお菓子をご存じだろうか。
関東ではなかなか目にしないが、関西、特に京都では六月のお菓子として名高い。
まさしく水無月のお菓子である。



そのいわれは、旧暦の六月一日にちなんでいる。
旧暦の六月一日は、氷室から氷を切り出して、宮中に献上する日である。
そのため六月一日を『氷朔日(こおりのついたち)』と呼ぶことがある。

『心中刃は氷の朔日(しんじゅうやいばはこおりのついたち)』という近松門左衛門の浄瑠璃がある。
鍛冶屋の弟子 平兵衛は、愛する遊女小かんを国許に帰したくないばかりに、身請け金を作るため、主人 に無断で内職をしたことが露見して勘当されてしまう。
五月三十日(現在は六月三十日)は、四天王寺勝鬘院の愛染明王の祭りにあたる。この祭りは『愛染まつり』といわれ、現在でも大勢の人が集まる。当日は、色街の大紋日にあたり、芸妓たちが盛装して駕籠に乗り参詣した。これが「宝恵駕籠(ほえかご)」の起源となり、芸妓や役者たちが競って提灯を奉納した。
小かんもその日に愛染様に詣でて、提灯を奉納している。
そして次の日、二人は剃刀で心中するのである。
心中した日が六月一日(現在は七月一日)であったので「氷の朔日」、心中が剃刀だったので「刃」・・・内容をよくあらわした外題である。

さて、お菓子の水無月はその氷の形をかたどっている。
庶民には高嶺の花であった氷室の氷に模して、無病息災を願って食べたようだ。
上にのっているのは小豆で、邪気を払う物としてのっている。
下の白いところは「ういろう」のようなものだそうだ。
私自身食べたことがないので、何とも言えないが、素朴な菓子であるようだ。

「氷朔日」も「愛染まつり」も現在では月遅れとなり、なぜか夏越大祓(水無月祓)と同時期になってしまった。
夏に向かって無病息災を願う二つの行事が同じ時期に行われることにあまり疑問は感じないが、旧暦では確実に一ヶ月の違いがあったはずである。
だから菓子の「水無月」は六月が始まると売り出され、月末まで売られるようである。

私も一度「水無月」食べてみたいものだ。
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夏越大祓(なごしのおおはらえ)

2006年06月27日 06時55分05秒 | 季節
今年も半年が過ぎようとしています。

最近、日本各地の神社で復活しつつあるのが、夏越大祓(なごしのおおはらえ)です。
この時期に、神社に草でできた大きな輪が拝殿の前に飾られているのを見たことはありませんか。
六月三十日に行われる、俗にいうところの「茅の輪くぐり」がこの行事です。


一年に二回、日常生活のなかで、知らず知らずに犯した穢れを人形(ひとがた)に託し、身体を清めて、新たに生まれ変わるのが大祓です。
十二月の大祓は、年越しの初詣と同化してしまいましたが、何かと体調を壊しやすい暑い夏を迎える前の夏越大祓は、最近脚光を浴びるようになってきました。

この茅の輪を左・右・左と8の字を描くように三度くぐり、穢れを人形(ひとがた)に移し、その人形を水に流して穢れを落とすというものです。


夏越大祓は、水無月祓ともいわれ、大学時代に生まれてはじめてみた能『水無月祓』の印象が強く残っています。
物狂いの女が笹を持って、下鴨の社に彷徨ってくると、社は水無月祓の最中で、そこで、昔馴染んだ男と再会するというもので、笹と衣装の涼やかなイメージが今でも頭に浮かびます。
下鴨神社といえば、瀬見の小川、糺の森と夏のイメージが強いですねから、能の作者もよく考えたものです。
また、流し雛など今に続く下鴨神社の行事は人形に穢れを移して流すというこの行事に合致するものですね。

石川や瀬見の小川の清ければつきも流れをたずねてぞすむ 鴨長明

画像は赤坂の山王日枝神社の茅の輪です。
少し早かったのですが、行って穢れを落としてきました。
久しぶりに行ったので四回くぐってしまいましたので、穢れどころか、金運まで流してしまったような気がします。
あらら。

この時期、いろいろな行事がありますので、追ってお話しましょう。
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いづれがアヤメ・カキツバタ・ハナショウブ(その三)

2006年06月26日 17時22分13秒 | 四季の花

いよいよ花と葉の見分け方をお話しましょう。

 1、菖蒲(アヤメ)


花の付け根に文目(アヤメ)といわれる網目があります。
内側の花が直立します。
乾燥地を好みます。



葉の幅が狭く、葉の中央に葉脈が目立ちません。


2、杜若(カキツバタ)
 

花の根元からまっすぐに白い筋が伸びます。
内側の花はやはり直立します。
水辺を好み、場合によっては水中より生えている場合があります。



葉の幅が広く、葉の中央に葉脈が見えません。

3、花菖蒲(ハナショウウブ)


内側の花が外側にめくれていることが多くあります。
湿地を好みます。ただし、カキツバタほど水には強くありません。

 

葉の中央に葉脈が見えます。

 4、菖蒲(ショウブ)サトイモ科ショウブ属


中央に見えるのは花です。
アヤメ科の植物と違って、写真に見えるような花が咲きます。

以上が基本的な見分け方です。

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青山墓地で白い花がほほえむ

2006年06月22日 16時42分12秒 | 四季の花
この季節、可憐な白い花が咲きます。
そんなに目立たないのがいいんだけどね。
青山墓地を歩いてそんな白い花を見つけました。



まずは「ドクダミ」(ドクダミ科)
このジメジメした季節に墓場や家の裏手に咲く陰気な花と思われがちですが、これは薬草なのです。
最近は「ドクダミ茶」なるものが巷にも出回っているので、ご存じの方も多いと思います。
薬草になったときの名前が「ジュウヤク(十薬)」、名前からすると相当薬効が強そうです。しかし生の葉には非常にくさい臭いがあり、それもこの草が嫌われる理由かもしれません。
腫れ物に、新鮮な葉を洗い、新聞紙などに包んで火で焙り柔らかくし、絆創膏で貼っておくと、膿を吸い出してはれ腫れがひきます。
毒を溜めることから「ドクダメ」→「ドクダミ」になったようです。
「ドクダミ茶」は利尿、便通及び高血圧予防に効果があるそうです。

大学時代にゼミで方言調査をしたときの項目に「ドクダミ」がありました。
「ドクダミ」の調査をした理由はこの言葉が特殊な分布をしているのです。
関西地方で使われている「ジュウヤク」という薬草名が江戸に伝わり、東京を中心として広まっていたようです。ですから東京の外側に「ドクダミ」エリアが広がっていたようです。
私たちが調査したころには、東京の中心でも「ドクダミ」に変わりつつあったころでした。
ほかには「ドクダメ」を使っていた人たちもいたようです。
面白いのに「じごくそば」というのがありました。墓場に咲くから地獄の蕎麦なのか地獄の側なのかわかりませんが、非常に記憶に残っています。




次は「クチナシ」(アカネ科)
こちらは「ドクダミ」とうってかわって芳香が漂う花です。
「クチナシ」は実が黄色の色素に使われます。和菓子、とくにサツマイモや栗を黄色くしたり、たくわんの黄色などはこのクチナシの色素がおおいに利用されています。
あまり知られてはいませんが、こちらも漢方薬で「サンシシ(山梔子)」と呼ばれています。漢方では、精神不安や充血、吐血、血尿、下血、黄疸などを伴う疾病に、消炎、止血、解熱、鎮痛薬として配合されるそうです。
闇夜に芳香がする方を見ると「クチナシ」の花が暗闇に浮かんでドキッとしたことがある方も多いと思います。五月闇(梅雨で月が出ない夜)にいちばん似合う花じゃないでしょうか。

バラ科の「サンザシ(山査子)」も薬草です。昔。「サンザシ」と「サンシシ」を混同していて、同じものだと思っていたことがあります。だから「山査子酒」はずっと「山梔子酒(クチナシの酒)」だと思っていました。今、考えると笑い話なんですが。




おしまいは「ナンテン」(メギ科)
「南天」は「難を転ずる」に通じることから縁起物の木として家の回りに良く植えられています。
先日訪れた、生田緑地の「日本民家園」でもいくつかの家の入り口付近に南天が植えられていました。
青山墓地にも意外に多く植わっているのは、やはりそういう意味なのかもしれません。
南天は赤い実や白い実をつけた風情が一般的ですが、この時期にその実の元になる花が咲きます。けっして可憐とか美しい花ではありませんが、楚々として好きな花です。
「ナンテン」も漢方薬で咳止めに使われることは良く知られています。
さらに葉には防腐作用があるといわれ、料理に添えられることがあります。赤飯の折り詰めの包み紙に南天の絵が描いてあるのを見たことがありませんか?難を転ずると薬効の二つに期待しているなんて、面白いですね。
さらに箸の材料としても使われます。毒に当たると色が変わるという言い伝えからだそうです。

梅雨時期の青山墓地にも面白いことがいっぱいでした。


追伸
「白い花がほほえむ」は宝塚歌劇1975年(昭和50年3/27~5/12・月組公演「ラムール・ア・パリ」で歌われた唄です。
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いづれがアヤメ・ハナショウブ・カキツバタ(その二)

2006年06月20日 18時34分06秒 | 四季の花
さて、本題です。

まず、クイズ。
いずれがいずれでございましょうか。

最初は花の画像から
1

2

3

このように三枚の画像を並べると本当にいずれがアヤメかカキツバタか・・・・・・。

さらに葉。
アヤメ・カキツバタ・ハナショウブに加えて、ショウブの葉も載せてみました。

1

2

3

4


葉になるとますますわからなくなりますが、一番上には花があります。
えっどこに?
ひとつ前のブログを見ると答えは簡単。
二つ目の画像には名札が写ってるし・・・。

少し考えてみてください。
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いづれがアヤメ・ハナショウブ・カキツバタ(その一)

2006年06月14日 18時04分46秒 | 四季の花

いづれ、菖蒲(あやめ)、杜若(かきつばた)

源平時代に宮中の鵺(ぬえ)を退治した伝説で有名な源三位頼政。鳥羽院の菖蒲の前という美女に心を奪われ、文を送り続けた。だが返事は一向にこない。このことが院の耳に入り、院は彼女を頼政に与えようと思ったが、ただ頼政に与えるだけでは面白みがない。院は頼政の、困った姿がひとめ見たいと、菖蒲の前に劣らぬ美女、十人余りを集め、同じ装いをさせ、いずれが菖蒲の前であるかを見極められたらば、その女性を伴って退出してよいと難題をだした。
頼政には、どうしても、美女12人、皆、同じように見えてならなかった。困り果てた様子を見ていた女官が「水かさが増せば浅香の沼の菖蒲も見分けにくいこともあるでしょう。」といった。頼政は機転を効かせ

 五月雨に 沢辺の真薦(まこも) 水越えて いづれあやめと 引きぞわづらふ 

と歌を詠んで返したのである。

 関白が歌にいたく感じいって、菖蒲の前の袖をひき、頼政に教えて、菖蒲の前を妻にすることができたという故事からの発想のようです。

しかし、ここには「いづれが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という言葉はありません。

【第一の混同】
アヤメ(菖蒲・文目)とショウブ(菖蒲)の混同。

端午の節句にお風呂に入れたり、軒に差す草があります。
みなさんもご存じのショウブです。
このショウブはサトイモ科ショウブ属の草で、あのきれいな花は咲きません。
薬草として中国から伝わり、端午の節句にヨモギと共に使われます。
ショウブが、「尚武」や「勝負」のかけられ,また葉の形が剣に似ているところから、武家ではたいそう珍重されたようです。
剣道の竹刀の袋などに使われている菖蒲染めはショウブのデザインです。

アヤメ(菖蒲・文目)はアヤメ科アヤメ属でショウブとは全く違う植物です。
しかし漢字で書くと同じ、それで混同されます。
調べてもよくわからなかったのですが、二つの植物の葉が似ていることから、混同されたのではないでしょうか。
さらには混同に拍車はかかります。
アヤメは「花あやめ」、ショウブは「あやめ草」とも呼ばれていたのです。

芭蕉の奥の細道に

あやめ草 足に結ん 草鞋の緒

という俳句がありますが、これは端午の節句で、あやめ草(ショウブ)を鼻緒に結んで旅の安全を祈っているのであって、アヤメの花が付いている草を結びつけているのではないのです。
旧・郵政省が発行した切手でも花は咲いていません。


さて、前の頼政の歌、マコモ(マコモダケ・イネ科)とアヤメがわからなくなってしまうって、意味ですよね。そこにもアヤメとショウブがわからなくなるなんていう歌じゃないのに、なぜ、ここからいづれアヤメかカキツバタという言葉がでたのでしょうか?

能『杜若』に「色はいづれ。似たりや似たり。杜若(かきつばた)花菖蒲(はなあやめ)。」という詩章があります。
この花菖蒲(はなあやめ)は「あやめ」のことであり、このあたりが「いづれ、菖蒲、杜若」の出所ではないでしょうか。
ということは、室町時代にはこの言い方があったのではないでしょうか。


アヤメ(菖蒲・文目)アヤメ科アヤメ属

ハナショウブ(花菖蒲)アヤメ科アヤメ属

カキツバタ(杜若)アヤメ科アヤメ属

ショウブ(菖蒲)サトイモ科ショウブ属
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霜降橋と飛鳥山

2006年06月08日 16時43分29秒 | お散歩日記/東京地名の話
気になっていた地名がある。それは『霜降橋』。
早稲田にある『面影橋』、隅田川にかかる『言問橋』とともに美しい橋の名前だなと思っておりました。

霜降橋は、駒込から本郷通りを王子方面に向かって坂を下りきったところにある交差点の名前である。
坂を上ると右側に旧古河庭園がある。



霜降橋って、実にきれいな名前じゃないですか。
日曜日(4日)にちょっと行ってきましたが、ちょうど谷あいにある交差点で、周囲は下町っっぽい雰囲気の商店街があって賑わっていました。

霜降橋は今はありませんが、暗渠になった谷田川にかかっていた橋で、木製の橋から石橋に架け替えたときに、霜が降りやすくなったのでそういう名前になったとか。
でも、嘘っぽいですね。じゃ昔の名前は?・・・落語の王子の狐にも出てくる名前らしいから少し眉唾かな。(確証はありません。)
その商店街「しもふり商店街」っていうんだけど、わざわざ仮名にしなくてもいいんじゃないかな。まるで肉のシモフリみたいだ。
季節的にも商店街の雰囲気もいまひとつ橋の名前には似つかわしくないけど、まぁいいとしましょう。

谷田川は染井の地名になった染井を水源として、このあたりから、田端、谷中、千駄木、根津を流れ、不忍池に注いでいた川だそうです。
根津のあたりでは藍染川といったほうがわかりやすいかも。
今でも、豊島区と北区の区界や文京区と台東区の区界になっています。

この谷間を上流に溯って行くと、染井の商店街、続いて西ヶ原の商店街になります。
西ヶ原は皆さんおなじみの浅見光彦(内田康夫の小説の主人公)の住んでいる町。
たいそう高級なお宅が軒を連ねていました。
北区というと下町のイメージが強いですが、西ヶ原や滝野川は昔から高級住宅地だったんです。

谷底から本郷通りに戻るとそこは飛鳥山。
飛鳥山は鎌倉時代に土地の領主、豊島氏が熊野の若王子と飛鳥明神を勧請したことから、付いた名前だそうです。
豊島氏の城は、本郷通り沿いにあるの平塚神社のあたりだそうです。飛鳥山から平塚神社にかけては、高台で、下を東北線が通っています。隅田川に向けて開けた台地の先端にあたるわけです。
若王子のほうは王子という地名で今に伝わっています。
飛鳥山は八代将軍吉宗が桜を植えてからの花見の名所。上野が寛永寺の境内だったので歌舞音曲や酒宴が禁止だったことから、制約のない飛鳥山がもてはやされたそうです。

飛鳥山には明治の財界人渋沢栄一の資料館があります。
渋沢栄一は日本橋兜町から飛鳥山に邸宅を移しました。そのころからこの一帯が高級住宅地となっていったようです。
当日はたまたま、戦災で焼失を免れた旧渋沢邸の建物の内部公開をしていたので拝見してきました。
大正時代の建物ですが、細部まで作りこまれて、渋沢家の財力のすごさがうかがいしれました。

旧・渋沢邸の青淵文庫の裏手


今回の散歩の最終目的地は、飛鳥山と東北線の線路の間にある「あじさいの小径」です。
例年は5月末から紫陽花が楽しめるのですが、今年は少し遅れ気味のようで、まだほとんど花も小さく、いろづいていませんでした。ちょっと残念でした。

そして最寄の王子駅より帰路についたのでありました。

今年の紫陽花


一昨年の紫陽花



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多摩川を見て思うこと

2006年06月06日 09時05分15秒 | お散歩日記/東京地名の話
先週訪れた生田緑地の枡形山では眼下に多摩川が望めた。
現在の多摩川は、川崎市北部から下流は、東京都と神奈川県の県境になっている。
今こそ違う都県になっているが、両岸には深いつながりがある。

多摩川の両岸に丸子・等々力・野毛・瀬田・二子・宇奈根・布田など、同じ地名が存在していることに気が付かれている方も多いと思う。
昔はここが国境ではなかったからである。
多摩川という名前は、多摩を流れているから多摩川である。昔でいえば武蔵国多摩郡を流れている川である。
今の東京都の多摩地区や川崎市多摩区、さらに二十三区の西部の東多摩郡、後に豊多摩郡といわれた地域に相当する。
いまでも、杉並区に豊多摩高校という都立高校が存在する。

生田緑地からの帰路は南武線を使った。
南武線・・・西武鉄道や東武鉄道のように武蔵に方角をつけた名前だ。
だから南部線は間違え、別に首都圏の南部を走ってるからではない。
南武線には武蔵溝ノ口・武蔵新城・武蔵中原・武蔵小杉という、武蔵を冠する駅が四駅連続してある。
JRの駅名で同名の駅がある場合などに区別するために旧国名が使われる。
だからもちろん、南武線の走るエリアは旧・武蔵国の区域である。

武蔵の国というと、現在の東京都と埼玉県がその区域にあたると思っている方が多いのではないだろうか。
しかしその区域は、神奈川県に及び、現在の川崎市の全域と、横浜市の南西部を除いた地域にまで及んでいる。
南は横浜市金沢区まで西は青葉区、緑区、旭区、保土ヶ谷区までも含む、広大な地域なのである。
横浜市都筑区の名前も武蔵国都筑郡から命名されたものである。

武蔵の国と相模の国の国境は町田付近までは、境川である。まさしく境の川なのである。その後南下すると、内陸の尾根が境目となる。
箱根駅伝で有名な難所権太坂を上りきったところにある境木地蔵はまさに相模と武蔵の境である。
この尾根は東京湾と相模湾の分水嶺で、尾根を通っている横浜横須賀道路がほぼ国境を通っていることになる。

関東地方のようにあまり高い山がない所では、川が国境になることもあるが、多くの場合は、尾根や峠が国境になる場合が多い。
川を国境にした場合は洪水などで流路が変わった場合に、国境がずれる恐れがあるからではないだろうか。
それ以上に川は容易く行き来できても、山は簡単には越えられない、気候や文化を山を境にして変わることが多いことも一因ではないだろうか。

川を境にしたため、武蔵の国でも東部は、非常に境界が入り組んだものになってしまっている。
そのことは次回また書こうと思う。

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向ヶ丘と生田緑地

2006年06月02日 19時43分48秒 | お散歩日記/東京地名の話
雨が上がった日曜日(28日)の午後、薔薇の花を見に川崎市多摩区の旧向ヶ丘遊園のばら苑に行ってきました。

向ヶ丘遊園は2002年の3月末で閉園されましたが、ばら苑の見事さは昔から有名で、閉園後も存続を惜しむ声が多く、川崎市とボランティアの方が管理されて、毎年春と秋に無料公開されています。


ばら苑を調べたとき、100段の階段を上って・・・・というような説明があったので、高台だとは想像していたのですが、いざ行ってみると、駐車場までも相当な坂道を登り、さらに階段を上りやっとのことで、ばら苑にたどり着きました。
向ヶ丘というだけあって、本当に丘なんですね。
そういえば、幼少のころに訪ねた向ヶ丘遊園の唯一の記憶は、ウォ-タースライダーです。
ウオータースライダーは、簡単にいうと斜面から船を下の池に滑り落として、着水させる乗り物で、船の先頭にのったお兄さんが着水して水しぶきが上がると同時に、高く飛び上がっていたのが、非常に印象に残っています。
ただ高低差を利用しただけの乗り物なんて、こんな高低差のある丘陵じゃなければできないはずです。



ばら苑は手入れが行き届いて、満開から少し過ぎた状態。雨のせいで少し花が痛んでいたのは残念でしたが、それを差し引いても非常に美しく、ほのかな薔薇の香りも心地よかったです。

ばら苑で一時間ほど花を見たり、写真を撮ったりしてから、生田緑地へ向かいました。
生田緑地へ向かう道も緑が深い谷間の住宅地で、このあたりが丘陵に抱かれた谷の多い地形だということがうかがえました。
15分ほどで生田緑地に到着、途中こんな標識もあって笑えました。


最近、たぬきは都内でもたくさん見られるようですから珍しい動物ではないのでしょうが、このあたりならと、妙に納得してしまいました。

生田緑地のお目当ては「日本民家園」です。

現在、25棟の日本各地の民家があり、そのうち18棟は国や県の重要文化財になっているそうです。
それぞれの民家は内部に入ることができ、一部は部屋に実際に上がることができます。
各地方の特色もよくわかり、非常に良く保存されていることに、感心させられました。

生田緑地にはほかにも、岡本太郎美術館などもありますが、またの機会にして、枡形山の展望台に登りました。
枡形山の山上には昔、枡形城があったそうです。山上には展望台があって、登ると360度の展望、眼下の多摩川はもちろん、横浜のランドマークから、新宿のビル群、六本木ヒルズやミッドタウン、東京タワーまで見渡せる眺望でした。
すぐそばには最初訪れた向ヶ丘の丘が見え、案内板には当時有名だった向ヶ丘遊園の大観覧車が描かれていました。

こうやって、高台に登ると、多摩川の南側に緑の多摩丘陵が延々と広がってことに驚きます。
その緑の豊かさは想像以上で、身近にオアシスを見るようでした。
大切にしたい場所ですね。
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