釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

竹に生まるる鶯の  

2013年02月19日 23時26分59秒 | 麻布
以前書きました麻布竹谷町の話以来、竹と鶯のことが頭の片隅にいつもありました。

お風呂に入りながら、ふと思い出した謡曲「竹生島」の冒頭、ワキの道行の詞章。

「竹に生まるる鶯の 竹に生まるる鶯の 竹生島詣急がん」

あれ、鶯が竹から生まれているじゃありませんか。

竹に生まるるは、竹生島にかかっているのですが、ここで大切なのは鶯が竹から生まれるということ。

調べてのこの詞章の元となったのが何かわかりません。

しかし調べているうちにこんなサイトにたどり着きました。

『竹取物語』における竹の研究

かいつまんでお話すると、『竹取物語』の他に竹取の翁が登場する物語がある。
その中の『海道記』(13世紀の紀行文)に「鶯姫」という姫が竹林の鶯の卵から生まれるという話がある。
他にも、鶯の巣の中にいるという話などもある。

どうも、鶯は竹から生まれるという共通認識が室町時代頃まではあったのではないでしょうか。

もちろん、平安時代11世紀の『大鏡』の「鶯宿梅」の逸話、紀貫之の娘(紀内侍)の家の梅の木を村上天皇が清涼殿の前に植え替えた時に、

勅なれば いともかしこし うぐひすの 宿はと問はば いかが答へむ

詠んだように、鶯と梅も対のものと考えられていたことは事実です。

しかし、生まれるのは竹林だったようです。

江戸中期に、花札が生まれ、梅の札には鶯が描かれると、庶民にまで梅には鶯という考えが広まって、揺るぎないものになっていったのでしょう。

私たちはいつしか「竹に生まるる鶯」を忘れてしまったのです。

麻布竹が谷にまつわる「うぐいすを 訪ね訪ねて 麻布まで(かな)」に鶯と竹の関係がのぞき見られるのは面白いことです。


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鶯の名所と芭蕉の短冊

2013年02月08日 22時50分35秒 | 麻布
昨日の続きです。

「うぐいすを たづねたづねて 阿佐布まで」または「うぐいすを たづねたづねて 阿佐布かな」の句は、麻布竹谷町会のホームページの「町会委員名簿先付けより」によりますと

(前略)
明治5年に現町名を付けたが、古来、里俗に竹ヶ谷と呼んだことによる。別にねくるみ村の称もあり、うぐいすの名所として、巣立野とも呼ばれた。「うぐいすをたづねたづねて阿佐布まで」という芭蕉の短冊は、隣地本村の名主の家に所蔵されていたものと言うが、巣立野と呼ばれていたことと関係があるのだろうか。
(後略)

とあります。

これは町会役員名簿の前書の引用だと思われますが、竹ヶ谷(たけがやつ)という地名があったことがわかります。
そして、巣立野という鶯の名所だったことがわかります。

なぜここが鶯の名所になったのか、少し考えてみましょう。

冬の間、鶯は人里に降りて巣を作ります。
その巣を作る場所は、竹藪など藪を好んで作るといわれています。
そこで冬の間、「ちゃっちゃ」という声で鳴くます。
これを「笹なき」といいます。(クリックすると実際のささ鳴きが聞けるサイトに移動します。)
この「笹」というのは小さい意味の「ささ」だそうで、竹や笹とは関係がないようです。
しかし、笹という字をあてはめたのはやはりなにか関係をうかがわせるのではないでしょうか?

今私たちは、鶯というと花札の影響もあって、梅を思い浮かべますが、鶯に竹という連想も過去には大いに働いていたようです。
例として、尾形光琳の「竹梅鶯図」や国立博物館所蔵の小袖などの意匠があげられます。

竹ケ谷→竹藪→鶯の笹鳴き→巣立ち
という発想は江戸人なら起こったのではないでしょうか?

となりの本村の名主の家にあった俳句の短冊。
本当は詠み人知らずだったのかもしれません。
いつしかそれが芭蕉の短冊として認知されたのではないでしょうか?

その途中で「麻布で鶯がいるのはどこかしら?」という発想から、鶯→竹→竹ケ谷と進んでいったのかもしれません。
もちろん、竹が生えて竹藪になっていたでしょうから鶯がいたことは確かです。
この俳句から鶯の名所になったのかもしれません。

鶯の名所が先か、俳句が先か、みなさんはどう思いますか?


*画像は今日の長谷寺の墓地の梅、満開でした。



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えっ贋作!? 芭蕉の句

2013年02月07日 23時27分53秒 | 麻布
今月23日に、「NPO法人 あざ六プラス 街歩き」の説明でする梅の話をいろいろ思案中の出来事。

梅に鶯。
「鶯を たずねたずねて 阿佐婦まで」の句は、麻布の有名なお菓子屋さんのキャッチフレーズなのですが、調べているうちに、「鶯を たずねたずねて 麻布かな」が原典らしいのです。
さらに、この句が芭蕉の句であるとほとんどのHPでは書かれているので、芭蕉も麻布まで来たんだと思っておりました。

しかし、芭蕉研究者の山梨県立大学の伊藤洋学長の芭蕉の俳句のデータベースで調べたところ、芭蕉の句ではないようなのです。

あらら、どうしてこの句が芭蕉作と間違って伝わっているのか不思議です。

芭蕉じゃなかったら誰が鶯を訪ねて麻布に来たのでしょうか?謎は深まります。

誰かご存知じゃありませんか?



*今日の画像は梅ということで、数年前の皇居東御苑梅林坂の様子。
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