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釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)
またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。
帰敬式
2020年02月02日 22時35分00秒
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寺社仏閣
京都西本願寺で帰敬式(ききょうしき)を受けてきました。
国宝の御影堂で導師さまから剃刀をあてていただき、法名を頂きました。
法名は浄土真宗で戒名にあたるものですが、生前から使います。
いただいた法名は「釋守成(しゃくしゅせい)」。
親鸞上人の「教行信証」の言葉だそうです。
なぜか生まれ変わった気分になり、爽やかです。
新しい何かが始まりそうです。
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落合の自性院
2013年05月31日 23時12分40秒
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寺社仏閣
招き猫の由来の寺が豪徳寺の他にもあります。
その一つが大江戸線落合南長崎駅のそばにある自性院です。
太田道灌が江古田沼袋の戦いのとき道に迷い、黒猫にこの寺に案内され、一夜を明かし、その後勢力を挽回して、戦に勝ったそうです。
その猫の死後に猫地蔵を奉納し、祀ったということです。
さらに、江戸時代に奉納された猫面地蔵というのもあるそうです。
子育て猫地蔵って書いてありますね。
子育ては何の由来なんだろう?
猫地蔵自体は節分の日にだけ開帳されるそうです。
その節分の日の記事を見ると、黒猫に扮した子供たちの行列があったり、あのクロネコの人が黒猫の着ぐるみを着たりと楽しそうです。
境内には猫塚もありましたが、なぜか道に背を向けていたのはなぜでしょう。
こちらは花柳界の女性が三味線になった猫の供養のために立てたとか。
そうそう、ここも太田道灌ゆかりの場所ですね。
本当に東京に太田道灌ゆかりが多いことです。
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なぜ「ひこにゃん」は猫なのか・・・その答えは世田谷にある
2013年05月27日 21時59分25秒
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寺社仏閣
二日続けてご当地キャラの話題です。
でもブログカテゴリーが「社寺仏閣」なんです。
さて、「ひこにゃん」がなぜ猫か・・・その答えは簡単、ひこにゃんのHPのプロフィールに書いてありますので引用してみますね。
彦根藩二代藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクター。
愛称の「ひこにゃん」は、全国よりお寄せいただいた1167点のなかから決定。また、巷ではひそかに「モチ」という愛称も……。
(ひこにゃん公式サイトより)
そうなんです。
「ひこにゃん」は招き猫なんです。
さて、公式サイトにはお寺の門前で手招きしたと書いてありますが、そのお寺はどこかご存知ですか。
そう、小田急線の駅名にもなっている
豪徳寺
なのです。
豪徳寺は曹洞宗のお寺で、彦根藩二代藩主井伊直孝が猫によって難を逃れた縁で、その後井伊家の菩提寺になった寺です。
招き猫発祥の地の説はいくつかありますが、ここ豪徳寺もその一つなのです。
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」といい、「招猫殿」に招猫観音(招き猫はその眷属・けんぞく)を祀っています。
招猫殿の横には、願が成就したお礼の招き猫がたくさん奉納されています。(画像は、寺務所で販売しているいろいろな大きさの招き猫)
ちなみに、ここの招き猫は右手を上げ、小判は持っていません。
これには、井伊家の菩提寺であったことが理由としてあげられています。(出典不詳)
これが猫のいた山門。
豪徳寺には、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓もあります。
そのときは、雪・・・・・猫は炬燵で丸くなって殿様に危機を教えることができなかったのかもしれませんね。
ご当地キャラにもいろいろな謂れがあって面白いものです。
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神輿深川 山車神田 だだっ広いが山王様
2013年05月16日 23時45分18秒
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寺社仏閣
出典を調べてもわからないのですが、江戸っ子は江戸の祭りを
神輿深川 山車神田 だだっ広いが山王様
といったそうです。
富岡八幡宮の深川祭は神輿が中心、神田明神の神田祭は山車が中心、そして日枝神社の山王祭は氏子の町々が非常に広範囲であることをいっています。
深川で神輿が発達し、神田では山車が発達したのには理由があるのではないでしょうか。
ご存知のように深川は新開地のうえに水はけの悪い土地です。
深川の辰巳芸者も足が汚れるからと下駄に素足の姿だったそうです。
そのくらい水はけの悪い場所だったのではないでしょうか。
山車を曳くにも地盤が悪くてかなわなかったので、神輿が発達したと考えるのがいいのではないでしょうか。
さて、それほど発達しいて山車はどこに行ってしまったのでしょうか。
文久元年(1861)の記録では山車の数が36台。
昨日の絵巻でも36台。
山車のほかにも、上の絵巻にも見られる万度(万燈・まんとう)や輿の行列など、数多くの行列(付祭)があったのです。
ではその出しや行列はなぜ今はなくなってしまったのでしょうか。
明治になって江戸幕府の崩壊で江戸の町衆の力が削がれたこと。
現在、関東各地に江戸から購入したという山車が残っていますが、これは明治期に流失したものだと思われます。
次に、街路に路面電車や電気の電線が架線されたことによって巡行しにくくなったことも原因だと思われます。
この古い写真によりますと山車の高さは二階屋ぐらいあります。(写真の山車は覆いの仮屋の中に入っています。)
電線があっては巡行は無理ですね。
そしてとどめを刺したのは、関東大震災による焼失。
昭和7年の神田祭の様子が映像に残っていましたが、山車はほとんどありませんでした。(映っていたのは一台のみ)
そして、太平洋戦争の空襲。
昭和27年の映像では、鳳輦一台の寂しい神幸祭でした。
そのような状況で、移動や収納に便利な神輿が中心の祭りになっていったのではないでしょうか。
これは山車の上に載っていた熊坂長範の人形。
人形だけはかろうじて残ったのですね。
これは現在の大江山の鬼の首の山車ですが、これはなかに空気を入れた張りぼてで簡単に縮めることができます。
また、北関東のある町の新調された山車では、油圧によって屋根上にある人形が屋台の中に沈み込むように作られたものもあります。(ちょうど舞台のセリのように)
いろいろな工夫でまた神田祭を始め東京の祭りにも山車が復活するといいですね。
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役者寺・・・大雲寺
2013年05月07日 23時22分26秒
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寺社仏閣
昨日は江戸川区瑞江駅近くの大雲寺へ。
このお寺は歌舞伎役者のお墓が多いことから別名役者寺といわれています。
画像で見るといい雰囲気の寺なんですが、まわりはなぜが住宅分譲中。
お墓でも整理して宅地として売り出し開始したばかりという状況で、この鬱蒼とした参道の雰囲気が嘘のよう。
本堂も立派ですがちょっと新しめ。
もともと江戸初期に蔵前に創建されて、昭和6年にここに移ってくる前は、墨田区業平にあった寺です。
役者さんたちの墓は本堂裏手にひとかたまりになってあります。
門前の説明書によると市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓、初代尾上菊五郎供養碑、寺島家門弟一同建立碑、寺島家門弟代々墓、瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)(歌舞伎狂言作者、初代瀬川如皐を合葬)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓、福地家墓、坂東彦三郎墓(初代より二代合葬)とあるのですが、お墓のところに説明書きがなく、お墓も古いので文字がよく読めずに非常にわかりにくかったです。
また江戸時代の役者さんは、名前も色々と変わったので違う名前でふたりの役者が書かれていたりとワケがわかりません。
また、ご存知のように中村勘三郎という名前はもともと役者の名前ではなく、座元の名前だったというようなこともあるので、ますます複雑です。(もちろん、市村羽左衛門も座元の名前。)
市村家の墓
菊五郎家や勘三郎家の墓
瀬川家の墓
まぁ、江戸時代の古い墓がたくさんあったという感覚でした。
ただ、瀬川菊之丞の墓には六代目瀬川菊之丞も合葬されているということで、六代目の菊之丞さんは前進座に在籍されていた方でしたので、手を合わせてきました。
ただし、ご存命の時にはまざ私は在籍していなかったので、お目にかかったことはありませんでしたが。
子供心に大河ドラマ「勝海舟」のお役が印象に残っています。
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亀戸天神神忌祭
2013年03月25日 22時30分38秒
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寺社仏閣
亀戸天神神忌祭、全く知らない祭りでした。
昨日たまたまネットで見つけて駆けつけました。
今日はご祭神菅原道真公の月遅れの命日です。
夕暮れの境内では松明が焚かれて厳かな雰囲気です。
社殿内ではご神体を境内を巡行される前の神事が行われていました。
神事が終わる頃、境内は細かい雨が降ってきました。
「おー!」という声と簫、篳篥、龍笛の音が流れる中、白絹に囲まれてご神体が真っ暗な社殿からお出ましになりました。
周りには神職や氏子が松明や火籠を手に手に供奉します。
さながら火祭りの様相。
遠くにはスカイツリーも共演。
桜もほんのり松明の火に染まって…。
境内を半周、半周して、元の太鼓橋を渡って社殿へ戻られます。
亀戸天神社の行事ではあまり知られていませんが、とても荘厳で神秘的な行事でした。
観客が増えて混雑するのは嫌ですが、是非みなさんにも見ていただきたい行事です。
東京でもこんな火祭りがあったんですね。
東京奥深いです。
*三脚もなかったんでブレブレの画像でごめんなさい。
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では西本願寺はどこに?
2013年02月28日 20時36分20秒
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寺社仏閣
昨日の続きのお話です。
さて、東本願寺があるのならば、西本願寺も東京になくてはならないはず。
察しのいいかたならもうご存知のはず、この間、十八代目中村勘三郎の葬儀が執り行われたあの築地本願寺がその寺なのです。
築地本願寺は、真宗本願寺派唯一の京都「本願寺」(西本願寺)の直轄寺院だそうで、本願寺派の門主が住職を兼務しているそうです。
みなさんもあのインド風の不思議な本堂(TOP画像)をどこかで見たことがあるのではないでしょうか?
この本堂は、大正12年の関東大震災で旧本堂が焼失したあと、昭和9年に「インド様式」の石造りとして再建されたもので、平成23年には国の登録有形文化財に、石塀とともに登録されています。
この本堂も中に入ると、表とは全く様相の異なったキンキラな真宗のお寺の内部になっています。
ここも土足では入れて、椅子も用意されていますのでじっくりお休みください。
このお寺、最初は横山町にあって「江戸浅草御坊」と呼ばれていました。
今の人の感覚だと、横山町は日本橋じゃないかとお思いでしょうが、今の浅草橋(駅ではなく神田川に架かる橋)のところに江戸城の浅草門があったので、「浅草門内」にある御坊なので「浅草御坊」の名が付いたのでしょう。
この浅草御坊は、明暦の大火で消失しますが、再建が許されず、あらたに埋め立てをして寺地を作ったのが今の築地の場所なのです。
築地の地名も、地面を築くという意味なのは有名な話です。
江戸幕府は、人が多く集まる寺社を埋立地に作って、人の重みで地盤を安定させたというような話が残っています。
当時の埋め立てには、摂津佃村から移住してきて、門徒(真宗信者)の多かった佃島の住民が率先して協力した記録が残っています。
さらに時代がくだり、安政の大地震では大屋根が崩れた記録があります。
何度も災害をくぐりぬけたお寺なんですね。
東日本大震災でも、帰宅困難者をいち早く救護したことでも知られています。
何かあったら逃げ込んできださい。
さて何気なく「築地本願寺」と呼んでいますが「築地本願寺」が正式名称になったのは昨年平成24年のこと、それまでは「本願寺築地別院」というのが正式名称だったんです。
名前は意外と新しい「築地本願寺」でした。
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東本願寺が東京にある・・・・?
2013年02月27日 22時22分19秒
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寺社仏閣
タイトルを見て、知ってる!!っておっしゃる方も多いと思います。
浅草にある東京(浅草)本願寺、東本願寺の東京別院のことだと思う方が多いのではないでしょうか。
浄土真宗は親鸞の教えを門弟たちが継承発展させた日本の仏教の一宗旨です。
浄土真宗の寺院でよく知られているのは、京都の西本願寺と東本願寺ではないでしょうか。
そのほかにもたくさんの寺院があります。その数、約22000、日本の仏教各宗派の中では最大数です。
宗旨内の諸派の数も多く、主要な派で十派、ほかにも数多くあり二十派以上が知られています。
有名なのが、本願寺派と大谷派で、それぞれ京都の本願寺を本山としていました。
西本願寺は、正しくは「本願寺」といいます。
こちらが、浄土真宗本願寺派の本山です。
東本願寺に対する位置関係で、通称・西本願寺と呼ばれているのです。
東本願寺は、大谷派の本山で、正式には「真宗本廟」といい、通称・東本願寺といわれています。
でももともとは「東本願寺」という寺だったのですが、1969年に始まった「お東騒動」という事件のなかで改称したのです。
この事件で、1981年当時の東京別院東京本願寺が大谷派から独立します。
そして1988年2月に、浄土真宗東本願寺派を結成するに至るのです。
この時に、浅草本願寺といわれていた「東京本願寺」が東本願寺派の本山となるのです。
そして、2001年、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という名称が文化庁に認められるのです。
だから、「東本願寺」は京都になく、東京にあるということになります。
東本願寺のお堂の中には誰でも入ることができます。
中で椅子に座って休憩もできます。(夏は涼しく、冬は暖か。)
もし浅草にいらしたら、田原町と合羽橋道具街の間にありますからすぐわかります。
浅草通りの北側、合羽橋道具街の入口、菊屋橋交差点の浅草より一本手前の道の突き当りです。
表からは地味なコンクリートの建物ですが、中はキンキラ、浄土の世界ですよ。
ぜひ一度、どうぞ。
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菜種御供
2013年02月25日 18時52分49秒
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寺社仏閣
今日は天神様・菅原道真公の命日です。
延喜三年(903年)の今日、菅原道真は太宰府でなくなりました。
そのあと怨霊となって都を恐怖におとしいれます。
そして、天神様として祀られるのです。
あれ、天神様は梅でしょ? なんで菜種なの?
これは「なたね」が「なだめ」(霊をなだめる)に通じることからお供えされるそうです。
今ではほとんど上演されない歌舞伎「時平の七笑」の本外題が「天満宮菜種御供」です。
道真の政敵、藤原時平が笑うというのが見せ場というかわった歌舞伎です。
こういうおおらかな歌舞伎は今はなかなか受けないのかな。
亀戸天神社では、菜種(菜の花)を神前にお供えします。
菜の花一本500円、紙に名前を書いて添えます。
画像のようにお供えされています。
最近は菜の花は食べるばかりですな。
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長谷寺はコピー寺
2013年02月14日 18時11分26秒
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寺社仏閣
今日はお寺を作るのに趣向を凝らす江戸人の話。
人間て不思議ですね。
「長谷」は漢字をどう読んでも「はせ」には読めないのに、「はせ」と読んでしまう。
「長」が「は」で「谷」が「せ」なんていうことはありません。
二つ合わせて「はせ」なんです。
だから「長谷寺」は「はせでら」と読んでしまう。
当然といえば当然です。
日本人に多い苗字に「長谷川」さんがありますが、この長谷川さんのルーツも「初瀬川」にあるということです。
「長谷」、なにげなく読んでいる文字にも深い意味があるんですね。
同じような文字に「春日(かすが)」「飛鳥(あすか)」「日下(くさか)」などがあります。
それぞれ諸説があるようです。
昨日書いた「長谷の泊瀬・初瀬」という表現は万葉集の用例にないので否定する説もあります。
「長い谷のところ」=「初瀬」という地名を説明したというあたりが妥当なのではないでしょうか。
麻布の長谷寺は観音様が奈良の長谷寺と同じだから「長谷寺」になったのではないかと私の考えを申し上げましたが、日本には約240も様々な宗派の長谷寺を名乗る寺院があるということです。
そのほとんどが観音様を祀っています。
特に有名なのは、鎌倉の長谷寺(はせでら・浄土宗)ではないでしょうか。
ここの観音様は、奈良の長谷寺の本尊と同じ楠を二つに割って作られ、伊勢海に流したものが鎌倉に漂着したものだという伝説があります。
ただし、今の奈良のご本尊が後世(室町時代)に作られたもので、鎌倉のものも制作年代がはっきりしないことから伝承の域を出ません。
奈良と一木といわれる麻布の像は、江戸時代の正徳二年(1716年)に高さ二丈六尺(約8m)の新しい像が作られたときに、その体内に収めたということです。
しかしこの像は、昭和二十年三月十日の空襲で焼失してしまいました。
ですから、これも調べる術はありません。
また、奈良の像と同じ木で作られたという伝承は日本各地にあるようです。
奈良の長谷寺が、正しく観音信仰の総本山であったために、観音様の権威付けに作られた伝承が多いのではないでしょうか。
また、各地の長谷寺の十一面観音は、錫杖を持った特異な形をしています。
これは、地蔵菩薩の徳も持ち合わせ、衆生を救うために巷を行脚する姿だそうで、長谷寺式十一面観音と言われています。
もちろん、麻布の新しい観音様もそのお姿をしておられます。
(錫杖を持った麻布大観音)
昨日、佐渡の長谷寺は、奈良の長谷寺を模して作られたと書きました。
ここにも十一面観音が祀られています。(長谷寺式ではありません。)
今日、注目したいのは、「長谷寺を模して・・・」という部分です。
境内が奈良の長谷寺の特徴である長い階段の上にあるのです。
奈良の長谷寺の観音堂は、山の中腹に有り、麓から長い階段の回廊が続いています。
(参拝したのが学生時代ですので、記憶が不鮮明ですが。)
上の地図をご覧になってわかるように、「長谷」といわれる「初瀬川」を谷底として観音様のいる本堂に向かって階段状の回廊がつながっているのです。
その形状を考えていた時に、ふと麻布の長谷寺も同じようなつくりになっているんじゃないかと思えたのです。
現在、西麻布朝日通り、夕日通りから真っ直ぐに長谷寺に登る道が、江戸時代から戦災で焼失するまでの参道で、登りきった正面に観音堂があったそうです。
朝日通りが、笄川の暗渠であることは以前お話したと思います。
(昔はこの道が参道で、突き当たりに観音堂がありました。
この坂にはなぜか名前がありません。
名前が無いのは、お寺の境内だったからではないでしょうか。
江戸時代の地図にも寺の内部は書かれていませんから、一般人には坂の名前をつける必要がなかったのではないでしょうか。)
参道の向きとといい、谷底に川があるつくりといいそっくりではありませんか。
この坂は人工的に作られたものだとわかります。
夕日通りにそって西南側に崖があるのはお分かりだと思います。
その崖が、この参道で切り取られています。
六本木通りが今はありますから、崖の続きはわかりづらいのですが、六本木通りを越えて、四丁目にもその崖は続いています。
ですから、この参道を作るために、崖を切り崩してなだらかな道を作ったのです。
今でも、こちらの坂の方が六本木通りの笄坂よりも傾斜が緩やかなのも、参詣者を思って作られている気がします。
(旧・タッパウエアーの横から見える崖)
(坂の途中の右側も少し高くなっている。いわゆる切通し)
(坂の右側には一段低い公園があって、この部分は坂が嵩上げされている。)
(崖は六本木通りを越えても続く)
このように見ていくと、麻布の長谷寺は、本家の奈良の長谷寺に似せるために、境内の構造までそっくりに作ったのは明白です。
「観音第一の大和長谷寺の観音様と同じ木で作られた観音様があるならば、いっそ寺の名も長谷寺にして。」
「寺を作るなら、大和の長谷寺を真似ましょう。川の流れる長い谷から観音様へ上り坂の参道をを作って。」
「似せられるところは似せちゃいましょうか。」
「観音様も大和と同じぐらい大きいものにしませんか。」
そして、江戸中期には大きさもほぼ同じ観音様まで作ってしまうという壮大な話。
観音信仰の本場をちゃっかりつくってしまうという、江戸時代人の洒落っ気というか、ものすごさには感心させられます。
全て、江戸人のご趣向なんです。
あれ、江戸には似たような話があります。
上野の寛永寺です。
比叡山延暦寺を模して、東叡山寛永寺。
ご丁寧にも琵琶湖を模した不忍池もあり、中には竹生島を模した弁天様までいます。
詳しくは
忍ぶ忍ばず
そういえば上野には清水観音堂まである。
なんで今まで、長谷寺がコピー寺だって気がつかなかったのが不思議なくらいです。
この発想は、地方の有名寺院の本尊を江戸まで持ってきて行われる出開帳や、その後の深川不動尊(成田山の別院)、高野山別院、青山善光寺とかに受け継がれているのではないでしょうか。
旅がままならなかった時代、行けないのならば作っちゃおうという発想は素晴らしいものがあります。
東京ディズニーランドや中華街なんていうのもその発想の延長かな。
さらに、各県の物産アンテナショップやデパートの物産展なんかもそんな感じがしますね。
そうそう、今年現代では珍しい出開帳が
両国回向院
で行われます。
もしかして江戸時代以来初めてかも。
今回は、江戸のお寺事情を垣間見た気がします。
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