釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

笄の謎 その2

2013年01月31日 16時49分38秒 | 西麻布の昔話(西麻布の夕日)
上の画像は「江戸名所圖會」の翻刻版の笄橋の画像です。

笄は、平安時代中期(承平931~938)に編纂された「和名類聚抄 」の「加美賀岐(かみかき)」というものではないかといわれています。
名前のとおり髪をかき上げるもので、鬢(びん・耳ぎわの毛)を整える用具としてあります。
その後、「宇津保物語」や「源氏物語」には、笄という言葉が出てくるそうです。
ですから、10世紀後半には笄という言葉が成立していたことになります。

鎌倉時代の「十訓抄」に

行成少しも騒がずして 主殿司を召して 冠取りて参れとて 冠して 守刀より抜き出だして 鬢かいつくろひて 居直りて 
いかなることにて候ふやらん たちまちにかうほどの乱罰にあづかるべきことこそ おぼえ侍らね
そのゆゑを承りて のちのことにや侍るべからんと ことうるはしく言はれけり 実方はしらけて 逃げにけり

中世の貴族や武士は守刀や腰刀に笄を差し込んで、鬢のほつれを直すのに使っていたようです。

そのころ女性も笄を持ち歩いていたようです。
室町時代、宮中で女性が下げ髪を笄で巻き付け上に上げたことから、笄髷(こうがいまげ)といわれる女髷の系列が生まれます。
ここで、笄が整髪用具から髪飾りへと変化をしていくわけです。
ですから江戸期には、笄が付いているか女髷だからといってすべてが笄髷系の女髷とは限らないのです。
笄髷のおもなものは、京都の舞妓さんが芸妓になる前に結う先笄(さっこう)や京阪で流行した年配の女性の両輪(りょうわ)などです。

男性用の笄は、三所物(みところもの)として発達していきます。
刀剣外装金具のうち、小柄(こづか・侍が敵に投げる)、笄、目貫(めぬき・刀と柄を止める釘)の三種類を三所物といい、桃山時代から江戸時代にかけて打刀(うちがたな・現在の普通に刀と呼ばれるもの)に付けるようになりました。
江戸時代の大小拵(こしらえ)では大には三所物をつけ、小には笄以外の二つがつけられました。
刀に付属したからといって武器になったわけではなく、髪をかく道具としてまた耳かきとして使われたようです。

さて話は戻ります。
源経基は応和元年(961年)に亡くなっていますので、笄の名称が生まれた頃です。
その頃の笄は整髪用品・・・・・・こんなものを自分の身の証に渡したのでしょうか?
一説には、烏帽子を留めるものを渡したとありますが、烏帽子留には笄という別称はないようです。

笄一つでいろいろ楽しめますね。





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笄の謎

2013年01月30日 15時37分41秒 | 西麻布の昔話(西麻布の夕日)
申し訳ありません。昨日の日記の画像が横になっていました。
まるでIさんのFacebookのように・・・・


さて変わって今日の話題。

笄の謎です。

画像の笄は、渋谷の金王八幡宮の宝物殿にある「笄(こうがい)」です。
この笄のもともとの持ち主は「源経基(みなもとのつねもと)」で、経基という方は、八幡太郎義家の四代前の先祖、源頼朝からは七代前の先祖に当たります。
生きていたのは、平将門の時代。

詳しい伝説は過去に書いたブログ記事をご覧ください。

笄橋

その伝説の笄がこれだというのです。

去年の大河ドラマ「平清盛」視聴率的には盛り上がらなかったのですが、私は非常に楽しく拝見しました。
なにしろ脚本がいい。
そして、楽しかったのは知的好奇心を非常にくすぐられたからです。
はっきりいって、馬鹿にはわかりません。(失礼)

「平清盛」を見ていてふと思ったのです。

「あれ、平安時代は刀じゃなくて太刀だよな。」
「太刀って、笄がついていたっけ?」

リンクに張ったブログにも「太刀についていた笄」って書いてありますが、変ですよね。
太刀にはたして笄がついていたのか・・・・・。

もし太刀に付いていないとするとこの伝説自体無効となってしまうというわけです。

こんなことを気づかせてくれた「平清盛」、だから好きです。

さて、続きは明日。
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晴れた日に

2013年01月29日 19時57分44秒 | お散歩日記/東京地名の話
スカイツリーの下からのんびりと散歩。

まず、浅草通りを西へ。

平日でも歩いている人がたくさん。

スカイツリー近くには、普通の商店がお土産物を売っていたり、スカイツリー開業に合わせて開店した新しい飲食店がいくつも。
こんだけ客がいれば間違えて入ってくる人もいるのかも。

吾妻橋を渡ったら、撮影ポイントでパチリ。
さすがに平日は撮影する人はいません。
休日はすごい人なんだけど。
人力車のお兄ちゃんもヒマそう。

でも、水上バスの待合室はたくさんの人。

外観が昔に戻った松屋で用事をたして、新仲見世を通って西へ。

国際通り、合羽橋を通過。
どこも人が多い。

合羽橋を過ぎると人は少なくなって、お寺の多い下町のいい風情。

下谷神社前から上野駅前へ。
上野の駅周辺は混雑しているので、地下道に入って京成上野駅へ。

外へ出て横道へ入れば冬枯れの不忍池。

そこから湯島駅はすぐそこ。
ポカポカした昼下がりの散歩でした。
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PCリニューアル

2013年01月28日 23時37分19秒 | 日々雑感
PCの調子が最悪で起動しなかったり、異音がしたり。
もう三年以上使っているので、新しいのを買いました。

しかし、もともと機械はまったくだめ。
新しいPCは一週間放置されていました。

今日、思い切ってセットアップ。
やればできるじゃないか。

というわけで、「新」という字を指習字。
でも、指習字をしたのはiPadというお粗末。

そういえば、秋に買ったアンドロイドタブレットがそばで眠っている。
相変わらずな日々なのです。
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鷽替え神事・・・この方が面白いかも

2013年01月27日 06時04分00秒 | 季節
先日書いた「鷽替え神事」のことですが、亀戸天神社以外の多くの天満宮や天神社では、いただいた「鷽」や「お札」を交換し合う行事のようです。

You Tube でも各地の様子がアップされています。

今年の大阪天満宮の様子

昨年の太宰府天満宮の様子。(真っ暗でわからないけど)

この方が絶対楽しいと思うんだけどね。
クリスマスのプレゼント交換みたいで・・・・。
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梅咲ぬ

2013年01月26日 17時07分38秒 | 四季の花
昨日の亀戸天神社、一本だけそして一輪だけ梅が咲いていました。

梅といえば鶯

「うぐいす」は


昨日の「うそ」は


パソコンのフォントだとわかりずらいけど
違う字ですから。


一方、蝋梅は満開、見ごろです。

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初天神・鷽替え神事

2013年01月25日 18時49分19秒 | 季節
今日、1月25日は初天神です。

天神様・菅原道真は、誕生日が6月25日、左遷の詔が出されたのが1月25日、亡くなったのが2月25日と25日に縁の深い方です。
ですから各地にある天満宮や天神社は25日が縁日になっています。
そしてその年最初の25日を初天神といいます。

初天神というと落語を思い浮かべる方も多いと思います。
子供が父親に初天神に連れて行ってもらう情景を面白く描いた落語です。
この話はもともと上方落語だそうで、大正期に江戸にもたらされたようです。
最後の場面が凧揚げというのも正月らしい話です。

さて、初天神、東京では初天神よりも鷽替えの方が通りがいいかもしれません。
特に亀戸天神社の鷽替えは毎年たくさんの人で賑わいます。

今日もたくさんの人が行列を作って鷽の木彫りを買い求めていました。
これを毎年大きい物に変えていくそうです。



2010年の画像ですけど、結構値段しますね。

そして最初の画像のように古いのは奉納するのです。

もともとは一年間の「ウソ」を「誠」に変えるとか、一年の悪を「ウソ」にする行事とのことです。
道真公が、左遷先の太宰府で、正月7日に蜂が襲来し人々を困らせたところ、どこからともなく鷽が飛来して蜂を食べ尽くした故事に由来しているそうです。
ほかにも鷽の冠が學の冠と同じだから「ウソ」が選ばれたとかいろいろ説はあるようです。
ですから今でも、太宰府天満宮では1月7日に行われているようです。

ご存知のように1月7日は七草粥、「唐土の鳥が渡らぬ先に・・・・・・」という七草を刻む歌との関連性がもしかしてあるかもしれません。
害虫、害鳥駆除の日が1月7日なのかもしれませんね。

それが多くの場合、1月7日ではなく、初天神の日に行われるようになったようです。
(亀戸は初天神の25日と前日の24日)

ところが天満宮や天神社ならどこでも鷽替え神事あるのではないようです。
京都の北野天満宮では、初天神のみで鷽替えはありません。
東京の湯島天満宮(湯島天神)では、鷽の木彫りの授与のみのようです。

そして、本来の鷽替え神事は、亀戸天神者のような大きいのに替えるのではなく、神社からいただいた木彫りの鷽を、近くにいるほかの参詣者と交換するようです。
まるで、パーティーでクリスマスプレゼントを交換するように。

大阪の道明寺天満宮では、「鷽」の入った袋を高く上げ、「替えましょう、替えましょう」といいながら交換するのだそうです。
最後に合図の太鼓がなったら袋の中を見て確認するということです。
なぜ確認するかというと、その木の鷽の底には「金」「銀」「木」と書かれているものがあり、それは当たりで、純金、純銀、三寸の木製の「鷽」と交換してくれるそうです。
本当にクリスマスパティーで音楽終了で各自確認のような話ですね。

太宰府でもそれぞれの鷽を交換し合うようです。
本来の姿はこちらの方なのではないでしょうか?
他人の嘘(鷽)は自分にとっては誠かもしれませんものね。



亀戸の本殿の前にあった巨大な「鷽」

亀戸では鷽がどんどん大きくなるなんってことはないでしょうね。
どちらにしても、言葉遊び的な楽しい行事です。

ぜひ一度、道明寺に行って鷽替えしてみたい権太でした。
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青黛

2013年01月24日 17時54分35秒 | 演劇・演芸
青黛(せいたい)とは字のごとく、青い眉墨のことです。

時代劇で月代(さかやき・額から頭頂部の剃っているところ)を青く塗るのに使います。

今、宝塚大劇場では「ベルサイユのばら」を上演中なのですが、ジェンヌがインタビューの中で「久しぶりに青黛化粧をした。」と答えていました。
この場合は目の周りを青く塗ることです。

そういえば、昔の宝塚って目の周りは真っ青でした。
いつの間にか、自然な感じの舞台化粧になっていました。

1993年、宝塚大劇場の杮落とし公演「Parfum de Paris」で衣装デザインを担当した高田賢三氏が「ナチュラルメークで」と指示されたことを思い出します。
その公演の映像を見ると、まだまだナチュラルどころか青が目立ちます。
しかし当時の公演と比較すると、だいぶ落ち着いた色調です。

それがきっかけかどうかはわかりませんが、それ以降、組による差はありますが、徐々にナチュラルなメイクになっていきました。
口紅も真っ赤ではありません。
(ナチュラルといってもあくまでも舞台化粧ですよ。外出はできません。)

今回、「ベルサイユのばら」で青黛化粧をしているということは、「ベルサイユのばら」が宝塚の時代物であるということではないでしょうか。
あのコスチュームには、古典的な宝塚化粧でなくては釣り合いが取れないのです。

歌舞伎の化粧が、他の舞台の化粧とは明らかに違うのと同じです。

宝塚の忠臣蔵といわれる「ベルサイユのばら」、ここのところ不入りの本拠地宝塚大劇場も連日満員が続いているそうです。
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ハチ公バスに乗って

2013年01月23日 04時54分24秒 | お散歩日記/東京地名の話
昨日、生まれて初めて「ハチ公バス」に乗りました。

港区の「ちぃばす」にはよく乗るのですが、「ハチ公バス」は初体験。
渋谷駅東口から恵比寿ガーデンプレースまで乗車しました。

「ハチ公バス」のルートは四つ。
乗車したのは「恵比寿・代官山循環 夕やけこやけルート」です。
渋谷区は、港区と違いルートの運行会社が三社あります。
このルートは東急バスです。

コミュニティーバスはどこでもそうですが、本当に細い路地まで入っていきます。
とくに「ハチ公バス」はすごい、乗用車と行き違えないところまでありました。
そして迂回また迂回・・・・渋谷→恵比寿ガーデンプレース間が約45分。
まぁ、物見遊山や暇人じゃないと長い区間は乗りませんね。


そして、驚いたのはバスの出入り口が一箇所しかないということ。
20分に一本ですが、「ちぃばす」ほど乗っていなかったから、乗り降り同じ口でも大丈夫なのかも。
京王バス東が運行する2ルートとフジエクスプレスが運行する1ルートのバスも調査する必要はありそうです。
この三社のバスは色違い、間違わないようにしているようです。
東急が赤、京王がオレンジ、フジが青となっています。

台東区の「めぐりん」や墨田区の「すみまる・すみりん」など東京には多くのコミュニティーバスが走っています。
知らない街の路地、都バスだけじゃなくて、コミュニティバスの旅も楽しいですよ。

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観世宗家展

2013年01月22日 12時26分52秒 | 美術館・博物館めぐり
昨日は銀座松屋で開催されていた「観世宗家展」の最終日に行ってきました。



観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年って、世阿弥の生誕はわかるけど、観阿弥生誕は付足しっぽいですね。

観世宗家の所蔵する能装束や能面がたくさん展示されていました。

そのなかで特に目を引いたのが、「風姿花伝」(昨日展示されていたのは風姿花伝本物ではなかったと思います。「花伝・・・・・」と書いてあったような。)と「申楽談儀」。
両方とも室町時代に火事にあって焦げ跡が残っていました。

私が興味ほ惹かれたのが、光悦本以前の謡本。
今の節付のある謡本と違うので「うたいぼん」と言っていいのかどうか?
簡単にいうと能の台本なのですが、それが巻物でびっくりしました。
昔から今のような謡本を使っていたと思ったからね。

装束や面はずらりと並べている感じでした。
能の展覧会の場合、装束、面、鬘帯や中啓(扇)など別々に展示する場合と、ひとつの演目のそれらを一緒に展示する場合がありますが、今回は品物ごとでした。
多少でも能を知っている者には、演目ごとの展示も有意義なのですが、デパート内の展覧会で、やはりご存知ない方が多いのが、初心者向けなのは否めませんね。

ここ二・三年、サントリー美術館、根津美術館、三井記念美術館で能関連の展覧会を見ましたが、それぞれ工夫を凝らしておられました。
圧巻は三井家所蔵のものだけで展覧会を開催した三井記念美術館かな、面の多さは別格でした。
根津美術館も演目ごとの展示をして工夫を凝らしていました。
装束ではサントリー美術館、装束の着付けの実演が楽しめました。

今回は、やはりご存知のない方が多いのか、能をダイジェストで紹介するビデオの前は黒山の人だかり、別室でも設けたらいいのに…。

展示品のリストが印刷されているのではなく、パネルなのもちょっと不親切。
展示会最終日だったのでなくなったのか、図録を購入させるためなのかもしれませんが…。

面(能面)の種類は古いものから現代のものまで多彩で楽しめました。
一面ずつ並べて展示してあったので、角度を変えて楽しめました。
面はやはり「テラス・クモラス」ということで角度を変えて見ないと表情が変わりませんものね。
真正面から見ると少しクモった状態(悲しい感じ)で、下から見るとテラした状態(明るい感じ)と変わるのです。

観世宗家の系図も面白かった。
いろいろ紆余曲折があって今の観世宗家があるんですね。

今年は機会を作って生の能を見に行きたいと思うのでした。





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