釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

熱海伊豆山

2021年07月06日 18時01分00秒 | 日々雑感
7月3日の土石流で大きな被害を出した熱海市伊豆山地区。
私が住んでいる湯河原町吉浜(JR真鶴駅そば)から6キロほど南に位置しています。
ダイビングを盛んにしていた30数年前には何度も足を運びました。その頃は東京に一番近くでボートダイビングができるポイントだったのです。港からダイビングポイントまで5分ほど、船酔いする前に着きました。
そんな意味でも思い出深い場所です。
港のところに熱海ビーチライン(有料道路)が通り、その少し上を国道135号が通っています。その国道135号にニュースで中継される逢初橋(赤い欄干の橋)があります。
JR東海道線はその少し上で、さらにその上に並んで新幹線が走っています。
湯河原方面からやってきた列車はここの寸前でトンネルをでます。ということは今回災害が起きた逢初川の谷がいかに切り込んでるかわかります。
湯河原町と熱海市を結ぶのはこの二つの道路とJRだけです。いまJRは徐行ながらも運行していますので、往き来はできますが、車は全く行くことができません。
我が家でもネットスーパーは県境を越えて熱海からくるので、今はやってきません。
土石流より場所よりも神奈川県よりにまだ熱海市域はありますから、そこの方々は熱海市中心部に行くためには、小田原や箱根を経由して十国峠を越えなければならないのです。
土石流の映像の場所はさらに上になります。そこにもバス通りがあります。昨年、伊豆山神社に訪れたときは、そこのバス停で降りました。神社は逢初川より少し登ったところにあります。
今回、不思議だったのは、土石流が海まで流れ下ったのに、新幹線と東海道線の線路が無事だったことです。
今日、所用で東海道線に乗車した時にその理由がわかりました。最初の画像はJR車内から山側の新幹線の高架を写したものです。この高架の大きな穴を土石流はくぐり抜けていったようです。そして東海道線の線路下を国道に向かっていったようです。
ニュースで流される赤い欄干の橋を流れる泥流はJRの二つの線路をすり抜けていったものだつたのです。
列車の窓から沢山の人々が捜索する姿が見えました。蒸し暑い中、大変厳しい作業だと思われます。本当に頭が下がります。
一人でも多くの方の命が救われることを祈らずにはいられません。

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今度は?

2021年06月16日 15時45分00秒 | 日々雑感
飽きっぽいのかな。
お気づきの方も多いと思いますが、またまた引越ます。
転居の期日は決まっていないのですが、来週22日に引越先の物件が引渡しになります。
それから改装工事に入って、8月から9月ころには新しい家に移ります。

それと並行して今の家の売却を不動産屋さんにお願いしています。
今週末と来週はじめに二件内覧があります。売れるといいんだけど。

2018年に西麻布を離れてから、この家を売却すると売買に関わるのは10件目。決して家転がしではありません。

とうとう関東地方から中部地方に突入です。晴れて静岡県民&伊東市民です。町民から市民😄。久々にCSが視聴できるのはアゲ、但し、東京ローカルは映らなくなる。
天気予報は名古屋からというのが笑える。

今までの大浴場は沸かし湯だったけど、今度は温泉。

東京に比べて物件は安いけど、管理費がワンルーム一室分くらいかかるのがどうなんだろう。まぁ残す人もいないし。
なんか経済に貢献してると思わないと、ただの無駄遣いなんだけどね。

部屋からは利島と新島がみえるお気に入りです。

今度は居付くかな。
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徒然なるままに

2021年06月05日 16時07分00秒 | 日々雑感
お久しぶりのブログです。

知り合いの訃報が続きました。
昔、もう30年以上昔、劇団にいた時にお世話になった制作部のNさんと俳優のSさんのお二人です。

Nさんは同じ歳でした。だからまだ65歳。若いですよね。最後にお会いしたのは中村梅之助さんの葬儀の日でした。だから5年前。その時は変わらず元気で少しお話をしました。息子さんの話とかしたのに。
訃報を教えてくださった方の話だと、その息子さんも少し前に亡くなったとか。詳しくはわかりませんが、胸がしめつけられます。
昼食を一緒に食べたり、楽しい劇団での暮らしが思い出されます。

Sさんは劇団の中堅の俳優さんで、在団中はいろいろとご縁がありました。
いくつかの公演で、班長と舞台監督の立場でご一緒しました。中でもフランス公演にご一緒したことが思い出されます。
また、勉強会で若手たちの公演を演出された時に、共同演出として私をたててくださいました。在団中に舞台監督や演出助手は何回か経験しましたが、演出として名前が出たのはこの一回限りです。
その後、俳優だけでなく演出もやられた多才な方でした。ネットニュースで訃報を拝見した時は信じられませんでした。まだ、70代半ば亡くなられたのは無念だったと思われます。

知り合いが旅立つことが多くなってきました。自分もそんな歳になったのだとつくづくと思い知らされます。
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上京

2020年09月05日 22時54分00秒 | 日々雑感
約半年ぶりに東京に行きました。
3月は湯河原のマンションのエレベーター工事のために数日の滞在でした。久しぶりの東京だったので歌舞伎のチケットを予約した一方でだんだん拡がるコロナにビビって、消毒液などを大量に持参したりしました。
まだまだ緊急事態宣言は出されていませんでしたが、結局は歌舞伎公演は中止となり、友達と飲んだり、知り合いの飲食店を訪ねたりして戻ってきました。
今回は宝塚観劇が主たる目的でした。
コロナ感染が出演者やスタッフに確認されて、ギリギリまで公演されるか微妙でしたが幸いに上演されました。しかし、劇場内は今までとは全く違った空間になっていました。いつもは圧迫感を感じる客席は前後左右が空けられてゆったりしています。開演前もとても静かでした。しかし、公演中はいつもの半分しか観客がいないとは思えないほどいつもと同じ雰囲気でした。
興行的にはダメかもしれませんが、このゆったりした観劇は悪いものじゃないと思えるほど、リラックスできました。(内容はちょっと酷かった。まぁ、)
実際の観劇の後に、有料の配信で宝塚を二作品鑑賞しました。いけないことだけど、生より、映画館より、家で観る方が楽でいいかも。これは本来の演劇ではないから邪道ですが。
ちょっと見はわからないけど、東京は変わっちゃいましたね。電車には人が少ない。外国人が少ない。でも湯河原に比べたら人は多いから、本当にコロナは大丈夫かなと思ってしまう。
昔馴染みの店に行ったら、おかみさんが寝込んでいたり、休業していたり、予約だけにしたとか、いろいろ。寂しさともどかしさだけが残して湯河原に戻ってきました。
今度、行った時には以前とは言わないけど、少しは元に戻っていることを祈るしかありません。
茨城との往復も少なくなり、数ヶ月に一度、上野での数分の乗り換えだけが東京の空気を吸う時間です。
どんどん東京が遠くなっていきます。
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茨城で過ごすお盆

2020年08月18日 13時05分00秒 | 日々雑感
母の死から早いもので4か月が過ぎようとしています。あまりにも呆気なくこの世から居なくなったので、あまり実感がありません。まだ、茨城にいて、帰ると「あら、お兄ちゃん来たの?」と迎えてくれるような気がします。
友人のご両親の何人かは、長く床についたり、施設に入ったり大変な苦労をしています。本人も家族も、ましてこのコロナ禍ではどんなに大変か。それを思えば子供孝行な親だなぁと心から思います。そう思わないとなかなか気持ちの整理できません。
父の時も虚無感を強く感じましたが、母はそれ以上の空虚な感じで満ちています。
最後の二週間、夜中に携帯便所まで母を運んだ時に「あんた、私を馬鹿にしているでしょう。あんた、意地悪だから。」
本質をついた鋭い言葉が今も心に残っています。もう少し優しくできなかったのかなぁ。
亡くなった日、夕方に仕事に出かける弟に声を掛けてから、30分ほどで呼吸がおかしくなり、看護師さんを呼んだあたりから手がどんどん冷たくなってきました。看護師さんが戻って、弟に連絡すると「今日は戻れない。」と。しかし、職場の計らいで間もなく帰ってきてくれました。近くの親戚も駆けつけてくれました。一人でいるよりどんなに心強かったか。
母は苦しそうにしていましたが、看護師さんが痛みはもう感じないからと言っていたのを思い出しましたが、目の前にするとなかなか平静ではいられませんでした。「お母さん、もう頑張らなくていいよ。」それが精一杯の言葉でした。
このまま一夜を越すかと思ったので、親戚には帰っていただきました。こちらが一息ついて、この間に風呂でもと思い入浴していると、弟がお母さんがおかしいと声を掛けてきました。
そして母は息を引き取りました。
父の時はお祭りに行っていて立ち会えず、母の時は入浴中という困った息子です。俺には死に目を見せたくなかったのかなぁ。
16日の夜、コロナで縮小した五山の送り火の中継を見ながら、今頃は二人であの山の向こうに向かっているのかなと、しんみりしてしまいました。
茨城にいると庭や隣の部屋に二人がいるような気になります。まだまだ親離れできない夏です。
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チューリップ

2020年04月08日 01時24分00秒 | 日々雑感
亡き父が
病母に遺せし
チューリップ

茨城に来て三週間経ちました。一度、長期滞在に必要な物を取りに湯河原に戻ったけど。
茨城に長期滞在している理由は母の看病です。
今年になってから母が元気がなかったので、気晴らしになるかなとデイサービスに行かせました。二月にはさらに元気がないので週に3回も通わせたりしました。3月になり、弟からデイサービスにも行かないし、食事もしないという連絡があり、日帰りで様子を見に行くと、だいぶ窶れていてビックリした次第です。
その後、またデイサービスに行ったというので安心していました。しかし、一週間後に訪れるとトイレに行けないほどになっていました。
まだ、その時点では病気と思っていないので、ケアマネージャーさんと相談してショートステイでも、という話になりました。
ショートステイ先の責任者の方と看護士さんがいらして、母を見てすぐに病院にかかった方がいいということになりました。
そして、かかりつけの病院に行き、そのまま入院となりました。
父の死からちょうど半年、母がそんなに重篤だとはこれっぽっちも思いませんでした。ちゃんと定期的に検査はしていたのに。
二週間病院に入院して、病状が安定しているので今は在宅看護になりました。
父が寝ていた場所で休んでいます。
窓の外には父が好きだったチューリップが咲いています。去年の春、庭のチューリップを見て喜んでいた父。
入院の時に医者に告げられたのは一か月でした。あと残り一週間です。
お父さん、お母さんを呼ぶよはまだ早いからね。
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花の主

2020年04月03日 15時11分00秒 | 日々雑感
去年の今頃、父の病が発覚してた。茨城に移ってから一年、家の横の道路に植えたチューリップの球根が花を咲かせていた。家の中からはちょっと見にくかったので、「家の前の見える場所に移せ。」と話していた。「来年は前に植えよ。」というと「来年は俺いないから」といった。
そして今年は家からも見える場所にも鉢で植えた。そして今、花が咲き出した。去年の花から取った球根と新しくいただいた球根、たっぷりと咲いている。



花の主は居なくなったけど、花は咲いている。


鉢は病床の母にも見える場所にも咲いている。この季節にまた肉親の看護をするとは思わなかった。


父の棺に入れた球根も今頃は咲いているだろう。お父さん、まだお母さんを呼ぶのは早いよ。



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父の墓

2020年04月02日 22時20分00秒 | 日々雑感
父の遺骨をまだ埋葬していません。
青山霊園立山墓地の我が家の墓に埋葬も考えましたが、茨城の家からはあまりにも遠すぎます。
父の葬儀でお世話になった石岡市真家の明圓寺さんにたまたま樹木葬の施設がありました。
母とも相談してそこにお世話になることにしました。
春浅い日に弟と施設の見学に行きました。
山懐の小さなお寺ですがとても素敵な環境です。
私も弟も子供がいません。ちゃんとした墓を用意しても嗣ぐものがいません。そんなところから樹木葬選択にいたりました。ゆくゆくは青山の墓も墓じまいをしなくてはなりません。
去年の4月末、父も闘病の中にお寺の参道までやってきて、そのころ咲いていた藤の花を美しいと眺めていました。
この日は寺までの道に小彼岸桜が咲いていました。
母が元気になって季節がよくなったら納骨したいと思います。


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風立ちぬ

2013年08月08日 22時36分09秒 | 日々雑感
昨日は立秋。

風立ちぬ、今は秋。

でも、蝉時雨に、ギラギラ太陽ですね。

異動の詳細がわかってきました。

蒲田には8月いっぱいまでお世話になります。

あと三週間だと思うと名残はつきません。

そして新しい店の開店は9月11日。

9月5日から新しい店にお世話になります。

この日は私の誕生日。

そして今はなきgontaの15周年の日です。

死んだ子供の歳を数える愚かな父ですが、お許しください。

なぜか今の仕事が楽しいので、未練はないのです。

同じ感覚が芝居を辞めたときに思いました。

もし芝居がまたしたくなったら芝居をしようと…。

でも芝居に戻ることはありませんでした。

でも芝居も飲食も大切な私の足跡なのです。

けっして消すことはないものです。

さぁ、新しい道が見えてきました。

不思議な縁に力を頂いて、9月5日を一つの区切りに前に進みます。
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期日前投票

2013年07月19日 11時05分24秒 | 日々雑感
一昨日、通勤途中に期日前投票をしました。

場所は田町駅の東口にある芝浦港南地区総合支所。

あっという間の投票でした。

当日投票に行けない方は是非どうぞ。

ちなみに整理券を持っていなくても大丈夫です。


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