六月二十三日と二十四日は芝愛宕山にある愛宕神社の「千日詣り」です。
この日に愛宕神社に参詣すると千日詣でたのと同じご利益があるそうです。
この千日詣りには境内にほおずき市が出ます。
また、茅の輪も設置されます。
港区に長く住みながら、千日詣りの事は昨年はじめて知りました。そして今年初めて出かけることにしました。
ここのほおずき市と浅草寺のほおずき市の関係は去年七月のブログに書きました。
四万六千日とほおずき
茅の輪くぐり、夏越大祓(なごしのおおはらえ)については三年前に書きました。
夏越大祓
ご参照ください。
ここは徳川家康が京都の愛宕神社を勧請したものです。
愛宕神社は全国に900あるといわれ、その総本宮が京都の愛宕神社です。
愛宕様といえば火伏せの神様で有名です。そう火事除けの神様です。
京都の町屋によく『火廼要鎮』と書いたお札が張ってあるのを見たことあるでしょうか?このお札こそ愛宕神社でいただけるお札なのです。
また江戸時代までは、神仏習合の本地仏として本尊に勝軍地蔵菩薩が祀られていたことから、戦の神様としても知られています。
明智光秀が本能寺の変の前に、この社で何度も籤を引いた話や、連歌会での「時は今 あめがしたしる 五月かな」と呼んだのもここだといわれています。
最近では、大河ドラマの『天地人』の直江兼続の兜の前立ちの「愛」の文字も、愛宕神社の文字を取っているのではないかともいわれています。
家康もこの勝軍地蔵を信仰していたそうです。
さて、東京の愛宕神社の話に戻ります。
大和田建樹作詞の鉄道唱歌の一番の歌詞に
『汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として 』
と歌われているように、JRの線路からは月が沈む西側になる海抜26mの小高い山になっています。
山の上に愛宕神社を作ったのも、京都の愛宕神社が愛宕山という山にあるからでしょう。なぜか愛宕は山じゃなくちゃならないんですね。
お参りは正面からいたしましょう。
東側が表参道になっていて長い石段があります。
この石段は講談で名高い『寛永の三馬術 誉れの梅花 愛宕山』の舞台なのです。
将軍家光は増上寺参詣の帰路に、愛宕山に美しい源平の梅(紅白の梅)が咲いているのを見て、「騎馬で梅を手折ってこい。」と命じます。家臣が尻込みする中に、陪臣ながら、讃岐丸亀藩士の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が挑み、石段を馬で登り、見事に梅を手折って山から下りてきたそうです。
画像のように、少し離れて見るとそんなに急には見えませんが、石段の下に行くとその急さに驚きます。
ご覧の通りです。
途中で休んだら怖いので一気に上りました。
段数は86段だそうです。
登りきって振り返ったら
馬じゃなくても無理です!!
歌川広重の江戸名所百景の芝愛宕山
これは正月の行事だそうです。遠くに海が見えるのがわかるでしょ。
今はビルの中に沈んでいますが。
石段に登るのに疲れてしまいましたが、ここからが今日のイベントです。
まず拝殿前の茅の輪をくぐります。
ここの茅の輪はほかとは少し違います。普通は8の字を書くように一回り半するのですがここは両脇に通り抜けるスペースがないのでまっすぐしか進めません。
この奥が拝殿で、奥まで昇殿できるのは2000円のほおずきを買った人だけでした。あらら・・・・・。
社殿の右手に社務所と休憩所があるのですが、そこでほおずきを売っていました。
この季節ですからまだ青いほおずきです。そして白い花も咲いていました。
確かに来月の浅草寺のほおずき市とは異質な感じがします。
売り手は「花も、青い実も、赤くなるのも楽しめます。」っていってましたが・・・・。
浅草寺のほうが流行るのがわかる気がします。
それもこれも、太陽暦と太陰暦の誤差から起こったのではないでしょうか。
六月末は一年の半分が終了するわけですから、昔から大きな季節の節目の行事があったのですね。
しかし、太陽暦の運用によって、行事を太陽暦(新暦)に置き換えて行うものと太陽暦(新暦)の一ヶ月遅れでやるもの(俗にいう月遅れ)の二種類の行事の仕方が現在あることから非常に話が複雑になってしまっているような気がします。
さらにそれによって以前の行事より一ヶ月も早くしなければならなくなった行事もあります。
一番わかりやすいのが、お盆の行事です。
東京では新暦(太陽暦)で行いますから、七月にありますが、そのほか多くの地方では月遅れ(旧盆と呼ばれることが多い)の八月に行われます。
ほおずきはお盆の飾り物として市が立った思われます。ほおずきは亡者が家にたどり着けるようにする目印の灯りだからです。だから「鬼灯」と書いてほおずきと読ませるのです。
青いほおずきでは、亡者はお盆に帰ってこられません。青色ダイオードじゃないんだから・・・。
現在の夏越大祓は六月末に行われますから、もちろん新暦です。
本家の京都の愛宕神社では千日詣りは七月三十一日の深夜から八月一日の朝にかけて行われるそうです。これぞまさしく大祓の月遅れ版です。
同じ系列の神社でもこのように微妙に行事の時期がずれているんですね。
このように考えると、江戸時代の人と今の人ではその月と季節の感じが微妙にずれていることを思い知らされます。
代表的な例は「五月雨」「五月晴れ」「五月闇」など五月に関すること言葉ですね。「五月晴れ」などは、昔は梅雨の晴れ間をいい、今では梅雨前の清清しい晴れの日をいう言葉に変わってしまっています。
しかし、だからといってすべて旧暦や月遅れで行事をしたりしても混乱のもとですよね。どうしたらいいんだろう・・・・。ちょっと考えちゃいます。
そんなことを思いながら山を下ってきました。
ご朱印をもらってきました。400円・・・・そろそろ300円の相場から100円値上げの気配。
注:現在は愛宕ヒルズもできて、神谷町駅方面から愛宕山のトンネルを抜けたところにエレベーターがありますので気軽に登れますよ。ご安心を。