釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

水無月を食する

2013年06月25日 22時34分33秒 | 季節
水無月をいただきました。

はてと思う方も多いと思いますが、「水無月」というお菓子です。

「水無月」について以前に書いたブログを引用させていただきます。

「水無月」は関東ではなかなか目にしないもの、関西、特に京都では六月のお菓子として名高く、まさしく水無月(六月)のお菓子です。

そのいわれは、旧暦の六月一日にちなんでいます。

旧暦の六月一日は、氷室から氷を切り出して、宮中に献上する日で、『氷朔日(こおりのついたち)』と呼ぶこともあるそうです。

『心中刃は氷の朔日(しんじゅうやいばはこおりのついたち)』という近松門左衛門の浄瑠璃があります。

鍛冶屋の弟子 平兵衛は、愛する遊女小かんを国許に帰したくないばかりに、身請け金を作るため、主人 に無断で内職をしたことが露見して勘当されてしまいます。

五月三十日(現在は六月三十日)は、四天王寺勝鬘院の愛染明王の祭りにあたります。

この祭りは『愛染まつり』といわれ、現在でも大勢の人が集まるお祭りで、大阪の夏まつりのはじまりといわれるものだそうです。

当日は、色街の大紋日にあたり、芸妓たちが盛装して駕籠に乗り参詣しました。

これが「宝恵駕籠(ほえかご)」の起源となり、芸妓や役者たちが競って提灯を奉納しました。

今でも愛染さんに行くとたくさんの提灯(ぼんぼり)が飾ってあります。

小かんもその日に愛染様に詣でて、提灯を奉納しますが、次の日、二人は剃刀で心中してしまうのです。

心中した日が六月一日(現在は七月一日)であったので「氷の朔日」、心中が剃刀だったので「刃」・・・内容をよくあらわした外題ではありませんか。

さて、お菓子の水無月は画像でわかるように、その氷の形をかたどっています。

庶民には高嶺の花であった氷室の氷に模して、無病息災を願って氷を模したお菓子を食したようです。

上にのっているのは小豆で、邪気を払う物としてのっています。

氷室の氷って出したとき上にゴミのようなものがあって少し汚れている感じを表現しているのかと思いました。(笑)

下の白いところは「ういろう」のようなもので、もちろん氷を表しています。

「氷朔日」も「愛染まつり」も現在では月遅れとなり、なぜか夏越大祓(水無月祓)と同時期になってしまいました。

夏に向かって無病息災を願う二つの行事が同じ時期に行われることにあまり疑問は感じませんが、旧暦では確実に一ヶ月の違いがあったはずです。

だから菓子の「水無月」は六月が始まると売り出され、月末まで売られます。

この頃では東京でも目にすることがあります。

今回は「鼓月」さんの水無月でした。

下のういろうの部分が白いのと抹茶の二色が二つづつ入っていました。

本当に素朴なお味のお菓子です。

みなさんもぜひ機会があったら食べてみてください。

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神田祭神幸祭

2013年05月11日 20時07分20秒 | 季節
江戸三大祭の筆頭、神田祭の季節です。

ちなみに江戸三大祭は、神田祭、山王祭、深川祭の三つ、三社祭は入りません。

だって浅草は江戸の外れだもんね。

今年の神田祭は二年に一度の本祭り。

そして神様が氏子町内を巡行する神幸祭は、二年前が東日本大震災で中止されたために四年ぶり。

でも・・・・・・雨の神幸祭になってしまいました。

朝から晩まで広大な氏子町内を回ります。

その区域は、日本橋以北の日本橋地区、大手町、神田、人形町、秋葉原、町会の数は108にも及びます。

神田明神の御祭神はお三方。

一の宮は「大己貴命(おおなむちのみこと)」別名、大国主命



秋葉原を行く一の宮。

二の宮は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」。



江戸橋ぎわを進む二の宮。

三の宮は「平将門命」。



小網町あたりの三の宮。

その後には附け祭というパレードが続きます。



平将門の子孫だといわれる相馬家、その縁から相馬野馬追の騎馬武者が十騎ほど。



神田駅前を馬が通っているぞ!





作り物の大江山の鬼や鯰に大石。

花咲か爺もいました。

飴売りとか、唐辛子売りとか、日本髪を地毛で結った集団?とか、神田一橋中学の生徒とか・・・・ 何でもありか!

雨の中、みなさんお疲れ様でした。

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灌仏会・・・甘茶

2013年04月08日 21時03分50秒 | 季節
今日は灌仏会、花まつりです。

やさしくいうと、お釈迦様の誕生日。

ほかにも仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)降誕会(こうたんえ)竜華会(りゅうげえ)花会式(はなえしき)などいろいろな呼び方があります。

花まつりは明治以降の呼び方だそうです。

釈迦(ゴータマ・シッダッタ)は現在のネパールのルンビニで、母の右の腋の下から生まれたといわれています。

そして生まれてすぐに右手を上げて天を指し、左手を下げて地を指して、真っすぐに立ち、七歩進み、「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当度之」といったとか・・・・。

その時、天から2匹の龍が降り、甘露(かんろ)の雨をふらせたといいます。



花まつりで、甘茶をかけるお釈迦様の像は生まれたときの再現をしているわけですね。

お釈迦様の入っている花御堂は、生まれたルンビニの花園を、甘茶をかけるのは龍の甘露の雨を表しているのです。

灌仏会は、今ではマイナーな存在になってしましたが、江戸時代までは、寺子屋は休みになり、公的機関も休みだったようです。

廃れたあたりにも、明治維新後の神仏分離や廃仏毀釈の影響があるのではないでしょうか。

国家神道を推し進めるのには、釈迦の誕生日は邪魔だったのかもしれません。

画像は、寛永寺の両大師の花御堂です。

そばには甘茶の自動給茶器が備えられていました。



ほんのり甘い・・・・甘茶。



これがその甘茶の正体です。

ユキノシタ科の植物なので、同じ科のアジサイに似ているでしょう。

花の時期も同じ頃です。(向島百花園で撮影)

まさしく天然の甘味料です。








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確定申告と桜

2013年03月14日 03時31分37秒 | 季節
麻布税務署に確定申告の書類をやっと提出してきました。

毎年、毎年、早くやろうと心に決めているのですが・・・・・、いつもギリギリ。

確定申告の締切近くなると、目がシバシバ、これも恒例。

春の到来です。

さて、麻布税務署があるのは、現在の住所では西麻布ですが、旧町名は麻布桜田町。

江戸時代のはじめ、霞ヶ関のあたりの住民が移転させられてできた町だそうです。

その村の名前が「桜田」、そして一緒に移ってきた神社が「霞山稲荷」。

この霞山稲荷が今の桜田神社です。

その霞山稲荷がもともとあったのが霞ヶ関で、霞ヶ関の地名の起こりも「霞山稲荷」だといわれています。

明治になって阿部家の下屋敷の場所が町屋になり、できた町は霞山稲荷からいただいて「霞町」とつけられました。

「霞ヶ関」と「霞町」の意外な関係です。

さらにもともとの「桜田」に残っているのが「桜田門」や新橋駅近くの「桜田公園」。

「桜田公園」は元々は港区立桜田小学校の校庭だった場所です。

桜田門から新橋駅あたりの広い範囲が、徳川家康入府以前に「武蔵国 荏原郡 桜田村」と呼ばれていたようです。

そこには桜が8000本もあったから桜田と呼ばれたとか。

帰り道、桜田通り(旧・テレビ朝日通り)の小路の奥のお宅に河津桜が咲いていました。

桜田に桜、よく似合います。

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八朔のひな祭り

2013年03月03日 18時49分57秒 | 季節
今日は桃の節句・ひな祭りです。

日本各地ではわざとこの時期にひな祭りをしない地域があります。

1566年、播州室津城は、婚礼の祝いの夜を迎えていました。

その祝いの席を狙って敵が夜襲を掛けてきました。

城は落城し、花婿も花嫁も亡くなったということです。

室津ではそれ以来、春ではなく八朔(八月一日)にひな祭りを祝うそうです。

昨年の夏、室津(兵庫県たつの市)を訪れたとき、町おこしで八朔のひな祭りが再現されていました。

真夏の古い港町のひな祭り。



扇子で涼をとりながら不思議なひな祭りでした。



この亡くなった姫は、姫路城主の娘、黒田官兵衛の妹です。

来年の大河ドラマには描かれるのではないでしょうか。
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ほんに今夜は節分だ!!

2013年02月03日 19時32分48秒 | 季節
本日節分です。

すごくローカルな豆まきを見に行きました。

場所は亀戸にある江東天祖神社。

三時から追儺式、三時半から豆まきということで、三時過ぎに到着。

しかし始まりません。

観客は200人くらいかな。

三時五十分ころになって鬼登場。

里神楽の赤鬼と青鬼でした。



追いかけて神主登場。

神主さんが、「鬼は外、福は内」といっている間に、鬼は退場。

入れ替わって氏子のおじさんおばさんが次々と豆やらいろいろなものを大量に撒く。

本当に大量。

いちばん後で見ていたんですが、そこまで飛んでくる。

豆に菓子、紙に包んだお金。



これが戦利品です。

お金は重さがあるので遠くまで飛んでくるんですね。

けっこう長い時間、人々の修羅場が続いてお開き。

前の方の人たちは、レジ袋や紙袋いっぱいの戦利品をかき集めていました。

子供にはそのあとにお供えのお菓子をまたまた分け与えるという大盤振る舞い。

もう一回、夜にあるというので、時間を潰して鑑賞。



夜はこんな様子です。

夜の方が、人数の割に、撒かれる品物の数は少なかったかも。

子供には本当に楽しい行事じゃないかな。

大人も楽しいんだから。

となりの亀戸天神でも節分追儺式をやっているはず。

亀戸天神の節分追儺式と節分についてはこちら。)

近くの向島では、芸妓の方々が節分のお化けをやっているんだろうな。

節分のお化けについてはこちらを。)


「御厄払いましょう。厄おとし。」
「ほんに今夜は節分か」

そして明ければ「立春」です。










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鷽替え神事・・・この方が面白いかも

2013年01月27日 06時04分00秒 | 季節
先日書いた「鷽替え神事」のことですが、亀戸天神社以外の多くの天満宮や天神社では、いただいた「鷽」や「お札」を交換し合う行事のようです。

You Tube でも各地の様子がアップされています。

今年の大阪天満宮の様子

昨年の太宰府天満宮の様子。(真っ暗でわからないけど)

この方が絶対楽しいと思うんだけどね。
クリスマスのプレゼント交換みたいで・・・・。
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初天神・鷽替え神事

2013年01月25日 18時49分19秒 | 季節
今日、1月25日は初天神です。

天神様・菅原道真は、誕生日が6月25日、左遷の詔が出されたのが1月25日、亡くなったのが2月25日と25日に縁の深い方です。
ですから各地にある天満宮や天神社は25日が縁日になっています。
そしてその年最初の25日を初天神といいます。

初天神というと落語を思い浮かべる方も多いと思います。
子供が父親に初天神に連れて行ってもらう情景を面白く描いた落語です。
この話はもともと上方落語だそうで、大正期に江戸にもたらされたようです。
最後の場面が凧揚げというのも正月らしい話です。

さて、初天神、東京では初天神よりも鷽替えの方が通りがいいかもしれません。
特に亀戸天神社の鷽替えは毎年たくさんの人で賑わいます。

今日もたくさんの人が行列を作って鷽の木彫りを買い求めていました。
これを毎年大きい物に変えていくそうです。



2010年の画像ですけど、結構値段しますね。

そして最初の画像のように古いのは奉納するのです。

もともとは一年間の「ウソ」を「誠」に変えるとか、一年の悪を「ウソ」にする行事とのことです。
道真公が、左遷先の太宰府で、正月7日に蜂が襲来し人々を困らせたところ、どこからともなく鷽が飛来して蜂を食べ尽くした故事に由来しているそうです。
ほかにも鷽の冠が學の冠と同じだから「ウソ」が選ばれたとかいろいろ説はあるようです。
ですから今でも、太宰府天満宮では1月7日に行われているようです。

ご存知のように1月7日は七草粥、「唐土の鳥が渡らぬ先に・・・・・・」という七草を刻む歌との関連性がもしかしてあるかもしれません。
害虫、害鳥駆除の日が1月7日なのかもしれませんね。

それが多くの場合、1月7日ではなく、初天神の日に行われるようになったようです。
(亀戸は初天神の25日と前日の24日)

ところが天満宮や天神社ならどこでも鷽替え神事あるのではないようです。
京都の北野天満宮では、初天神のみで鷽替えはありません。
東京の湯島天満宮(湯島天神)では、鷽の木彫りの授与のみのようです。

そして、本来の鷽替え神事は、亀戸天神者のような大きいのに替えるのではなく、神社からいただいた木彫りの鷽を、近くにいるほかの参詣者と交換するようです。
まるで、パーティーでクリスマスプレゼントを交換するように。

大阪の道明寺天満宮では、「鷽」の入った袋を高く上げ、「替えましょう、替えましょう」といいながら交換するのだそうです。
最後に合図の太鼓がなったら袋の中を見て確認するということです。
なぜ確認するかというと、その木の鷽の底には「金」「銀」「木」と書かれているものがあり、それは当たりで、純金、純銀、三寸の木製の「鷽」と交換してくれるそうです。
本当にクリスマスパティーで音楽終了で各自確認のような話ですね。

太宰府でもそれぞれの鷽を交換し合うようです。
本来の姿はこちらの方なのではないでしょうか?
他人の嘘(鷽)は自分にとっては誠かもしれませんものね。



亀戸の本殿の前にあった巨大な「鷽」

亀戸では鷽がどんどん大きくなるなんってことはないでしょうね。
どちらにしても、言葉遊び的な楽しい行事です。

ぜひ一度、道明寺に行って鷽替えしてみたい権太でした。
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紙門松

2013年01月08日 22時47分34秒 | 季節
紙門松と聞いてそれがなんだかわかる方はすごい!!
私もこの物体の名前を知らなかったのです。



上の写真がその実物です。
最近は、年賀ポスターという方が一般的なようです。

正月に商店や飲食店の入口やシャッターの上に貼られているのを見たことがあるのではないでしょうか。
よく「一月○日より営業いたします。」なんて書いてありますよね。

ところが下町に行くとこれは商店だけではなくて一般家庭の玄関や入口に貼られているのです。
中央区、台東区、墨田区、江東区あたりでは普通に貼ってあります。
港区辺りの住人にはピンと来ない話ですが、年末になると町内会から各戸に配られるのです。
だからマンションでも各家の入口ドアに貼っているのをよく見かけます。

調べていくこの紙門松、戦後の木材が不足した時に作り出されたようです。
木材資源の枯渇が生みの親とは元祖エコのような話ですね。
どうも高知県の共和印刷が昭和29年に始めたらしいのですが、この普及には自治体が大きく絡んでいるようです。

なんと岡山市では市のホームページで紙門松がダウンロードできるのです。


岡山市の紙門松

さらに京田辺市の広報誌には「今年から紙門松の全戸配布はいたしません。」なんて文章がありました。
ということは昨年までは全戸に配られていたわけです。

東京下町の風習だと思っていたものが全国にあるとはびっくりです。
もしかしたら、東京山の手だけないのかもと思ったりして…。

麻布でも、材木町に町内では年末にこれが配られると聞いたことがあります。
まだ実物は見ていませんが、調査の必要がありそうですね。

いろいろ情報がありましたらお知らせください。
私の郷里ではやっているとかいないとか…。


紙門松コレクション


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七草

2013年01月07日 18時45分00秒 | 季節
今日は七草



五節句の一つ、人日です。

あとは上巳(ひな祭り)、端午(こどもの日)、七夕、重陽(菊の節句・9月9日)
ほかの四日は、3、5、7、9という奇数が重なった日で、奇数を尊ぶ日本でそれが重なるのはおめでたいのがわかるのですが、なぜ人日だけが、1月7日なのかちょっと不思議です。
1月1日はもともとおめでたいから外してあるのでしょうが、1月5日でも、9日でもいいと思うんだけど。

江戸時代は、将軍はじめ武士はみんな七草粥を食べたという話。
もちろん旧暦ですから、二月のはじめ・・・・青い菜っ葉があったのでしょうか。
まぁ、今でも冬野菜がありますから、あったんでしょうね。

また、今日は新年になって初めて爪を切る日だそうで、七草を浸した水に爪をつけて爪切りをすると、風邪をひかないという言い伝えがあるそうです。

今年は残念ながら七草粥はつくりませんでした。
スーパーや八百屋さんの店先で目でいただきました。

七草粥に関しては過去に書いておりますので、ご参考までに。

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