釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

東アジアの中の日本を考える二つの展覧会

2009年08月25日 21時11分23秒 | 美術館・博物館めぐり
東アジアの国々と日本を比較する二つの展覧会に出会いました。



まずは
「日本建築は特異なのか」 (8月16日)

千葉佐倉・国立歴史民俗博物館 8月30日まで開催

東アジアの建築の中で日本建築は特異なのかを、中国、韓国との比較から考察している展覧会です。
宮殿・宗教建築・住宅などそれぞれの事象を比較して、写真や模型を展示しています。それぞれの地域が中国の影響を受けながら、独自の様式を持つに至った過程を比較を一覧表で示しながら解りやすく解説していました。

三か国の建物はよく似ていると感じますが細部ではいろいろと違い見せています。印象に残ったのは、住宅の違いでいろいろな点で相違があるようです。
特に韓国・日本は靴を脱ぐのに対して、中国は靴のまま家に入る点や、中国・韓国では、戸は観音開きが普通なのに対して、日本は引き戸である点など、非常に印象に残る解説でした。

また他国にはない神社建築で、神像が存在しないことが多い神道では、建物自体が神様の神格を表すので、何々造りという神社ごとの様式があり、建物から神様の内容を知ることができたそうです。

ほかにも韓国と日本の大工道具の比較や建築図面の展示などがありました。

ボリュームは少ない展示でしたが、いろいろ興味を引く内容で楽しめました。



次は
「染付 ~藍が彩るアジアの器~ 」 8月25日

東京国立博物館 9月6日まで

素地の白磁にコバルト顔料で模様を描き、透明な釉をかけて焼くと、文様は鮮やかな藍色に発色します。白磁に藍色のコントラストが美しい磁器を日本では「染付(そめつけ)」と呼びます。

中国では「青花」と呼ばれる染付は、元朝時代の後期に景徳鎮で作られるようになったようです。その後、明時代に隆盛を極めます。
その技術は周辺国に及び、ベトナム、朝鮮、そして日本と広がっていきます。

それぞれの国がそれぞれの染付を作り出していて、その味わいもとても異なったものです。

日本では、伊万里焼と呼ばれ、鍋島藩の独占のもと発展していきます。
また、茶道具として、ベトナムのものや朝鮮のものが珍重されたりと独自の道をたどります。

たくさんの皿や器を見ていたら、これにどんな料理を載せたらいいのか、どんな盛り方がいいのか、そんなことばかり頭をよぎるようになってしまいました。

実際、最後のコーナーでは、染付を使った茶席やテーブルセットが展示しありました。

この暑い夏、白地に鮮やかな藍の色彩が何よりのご馳走だった展覧会でした。
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道教の美術 ‐道教の神々と星の信仰‐

2009年08月18日 20時48分01秒 | 美術館・博物館めぐり
道教の美術 ‐道教の神々と星の信仰‐

日本橋・三井記念美術館(地下鉄三越前駅・JR新日本橋駅)8月15日

日本で初めて開催された「道教」の美術展です。
昨今の宗教展覧会ブームの中でも「道教」はなかなか奥深く難しいものと思われていたのでしょうか。
道教を一口で説明するのは難しいのですが、展覧会では「中国の風土の中で生まれた様々な神々に、不老長寿や福禄寿といった現世利益を願う民族宗教です。」と解説しています。
私たちは「老子」の思想として学んだ記憶がありますが、どちらかというと日本の神道の中国版のようなものだと捉えられるようです。

この展覧会では、その「道教」が中国の国民的な宗教になっていったかを展示物でわかりやすく解説するとともに、その「道教」が日本に与えた数多くの影響を星の信仰を中心にたどっています。

前半は中国の文物が中心で、後半は日本の文物になります。
特に日本に与えた影響がこんなに大きなものだと驚かされます。

役行者に始まる「修験道」や安倍清明で名高い「陰陽道」、閻魔大王や地獄の思想、「蓬莱思想」、「風水」、「四神」、「五行思想」、「福禄寿」、「七夕」、「妙見信仰」、「庚申信仰」など枚挙に暇がありません。

あまりの影響の広さに焦点がややボケていますが、星の信仰を中心に置いたところで、わかりやすくなっています。

国宝や重要文化財も展示されていますが、展示されている文物で「道教」の思想をわかりやすく解説しているところに魅力を感じられる展覧会でした。

9月6日まで

「道教の美術」 展覧会ホームページ


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壊してしまったものは元に戻らない

2009年08月05日 06時10分03秒 | 美術館・博物館めぐり
美しきアジアの玉手箱 シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展

サントリー美術館(東京ミッドタウン・六本木駅)9月6日まで


シアトル美術館の所蔵する日本や中国をはじめとするアジア美術の展覧会です。
シアトル美術館はその成り立ちがアジア美術のであったことで、美術館の核がアジア美術だそうで、今回は7000点件に及ぶ日本・東洋美術のコレクションをから名品100点がやってきています。
これだけまとまった数がアメリカ国外に出されるのは初めてだそうです。

日本美術では、考古の土偶からはじまって、伎楽面、仏像、書蹟、仏画、漆芸、磁器、浮世絵、屏風絵、襖絵などいろいろなジャンルから名品が出展されています。
日本にあったら国宝・重要文化財指定は確実なものがキラ星のごとく並んでいます。
また、中国美術も古代から清代までいろいろなジャンルがそろっていました。
さらに韓国、東南アジア、南アジアの作品も並んで、盛りだくさんな内容です。

主なものをご紹介しましょう。

浦島蒔絵手箱
鎌倉時代の蒔絵手箱だが、ふた裏の浦島の図柄が国文学的にいうと室町以降の意匠ということで研究が待たれるそうです。同じような手箱がサントリー美術館にあって国宝に指定されているということです。

竹に芥子図
金地に雌竹に芥子の花が描かれた狩野重信の屏風です。狩野派というよりも琳派のような華やかな雰囲気を持っています。雌竹や芥子という図柄は珍しいということです。豪華で美しくやさしい雰囲気が惹かれる作品でした。

烏図
六曲一双の屏風に無数の烏が描かれています。一見異様な感じを受けますが、その存在感はすばらしいものがあります。作者は不詳で、狩野派とも長谷川一門、または琳派ではと定まっていません。学芸員さんもおっしゃっていましたが、同じ図柄の連続はなにか燕子花図屏風につながるものがあると思います。
シアトル美術館でも日本美術のシンボル的な存在として扱われているようです。長い時間屏風の前に佇んでいたいほど心に残る作品でした。

五美人図
葛飾北斎の肉筆浮世絵です。いろいろな階層や年齢の五人の美人が縦に連なって描かれています。美しい色彩と確かな描写がさすが北斎と思わせる作品です。

鹿下絵和歌巻
光悦・宗達の作品で鹿の下絵の上に和歌がしたためられています。残念なことに分断されて、後半部分がシアトル美術館に所蔵されています。今回の目玉だけあって大変美しく巻物です。

金焦落照図寄詩
中国・明代の文微明の書です。力強い書体に心を奪われてしまいました。あまり書で感動することはないのですが、これは本当に名品だと思います。

壊すことの虚しさ

さて今回の展覧会から感じたことを書きたいと思います。
シアトル美術館の日本美術は戦前にアメリカに渡ったもののほかに、戦後に渡ったものも数多くあります。
廃仏毀釈の明治期だけでなく、戦後期も日本美術の危機だったことがよくわかります。
今回のメインの「鹿下絵和歌巻」も戦後渡ったものです。
今回の企画として、シアトルの後半部分のほかに日本にある前半部分が展示され再会を果たしています。
しかし悲しいことに、前半部分はいくつにも裁断されて(断簡)表装されて掛け軸になっています。まさに人間のエゴというか自分だけが部分的に楽しむ形に作りかえられているのです。そしてさらに所在不明になった部分もあるということです。完全に一堂に会することは無理なようです。
日本人自らがいろいろな理由があるにせよ大切な宝を壊してしまったということが信じられませんし、最初に二つに裁断した方も有名な茶人だったので悲しい気持ちになりました。
幸い後半部分はシアトルに渡ったために細かく裁断されることもなく、巻物の形のまま残されたのです。
美術品が海外に流出したという言葉を使いますが、私は流出だと思いたくありません。高きから低きに流れ落ちるという感じがするからです。今回のように海外に渡ったから破壊されずに残ることもあるのです。
同じようにギリシャから里帰りした写楽もそんなことがいえるのではないでしょうか。

また、中国元代の煬輝作「墨梅図」には江戸時代に田安家が所蔵していた時に押された朱印が絵の真ん中にあります。絵と一体化しているとはいえ不思議な眺めです。実は有名な絵であったらしく、この絵の模写は日本に残っていて、本物が海を渡ってしまいました。

国宝とか重要文化財という、箔がついていない美術品を眺めるということも、自分の感性だけで、そのものの好き嫌いを素直に判断できていい機会でした。これで作者もわからなかったら、面白いんですが。

壊していいものと悪いもの、私物化していいものと悪いもの・・・・、そして一度失ったら二度と戻らない、そんなことを考えさせられた展覧会でした。

(7月31日・8月4日)
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壊すことで価値があること

2009年07月31日 19時24分18秒 | 美術館・博物館めぐり
夏は散歩も体力の消耗が激しいので、美術館などで過ごしています。

伊勢神宮と神々の美術

東京国立博物館(平成館:上野駅下車)

伊勢神宮の第六十二回式年遷宮(2013年)を記念して開催された特別展です。
昨今の仏像ブームで仏教の美術に関しては多くの展覧会が開かれていますが、神道美術の展覧会はなかなか開かれることがありません。
神道には仏像のように展覧会の核となる神像というものが、廃仏毀釈の明治以降は存在しなくなったことで、神像の数が少ないことにもあるのではないでしょうか。
今回はそんな貴重な神像も数多く出品されています。

それよりも大切なのは二十年に一度行われる式年遷宮というものがいかに大規模な行事であることに主眼が置かれた展示内容でした。
私たちはお宮を新たに建てて、古い宮から神様を移す行事を遷宮と認識していますが、別宮や末社にいたる社殿から橋、さらに祭具や神様の調度、衣服にいたるまですべて新調されて、三十の儀式が八年間に渡って行われる壮大なものです。費用も莫大な額に上るそうです。
使い終わった品々は、壊されたり焼かれたり埋められたりしてその使命を終わるということです。ただし、ここ数回の遷宮では・・・・ここ数回といっても間隔は二十年ですから二回前でも約四十年前ですが・・・、貴重な資料として保存されているようです。

遷宮をする理由は、いつも神様を新しく神々しい姿で保つという「常若」という思想にあるようです。二十年に一度の祭具、調度、衣服などの新調は、技術の継承という大きな意味も持っています。
たまたま、埋まっているのが発掘された中世の祭具の太刀は、前回使われていた太刀とまったく同じものだというのが、とても印象に残りました。
壊すという一見すると発展的でない行為が実は大事だということがよくわかりました。

もうひとつ印象的だったのは、日本の神様は、人間ととてもよく似ているということです。
毎日お供えする神饌は、私たちが食べるものと同じ食材ですし、遷宮に際して作られる衣服も神職の衣服とほぼ同じものです。
神様は見えないのですが、私たちと同じような生活をしておられるのでしょう。
神宮の野菜畑(御園:みその)ではブロッコリーも作られているそうです。
ちょっと笑えたのは、神様の衣服は人間のものより少し大きいそうです。

なぜか日本の神様が身近に感じられた展覧会でした。

(7月26日鑑賞)
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現代の出開帳…阿修羅展・平泉展

2009年04月17日 18時00分11秒 | 美術館・博物館めぐり
世田谷美術館で開催中の「平泉」展、東京国立博物館で開催中の「阿修羅展」を続けて観覧しました。

ここのところ有名寺院の展覧会が度々開催されています。どれも盛況で多くの入場者を集めています。
人々が集まるのは、空前の仏像ブームも一因だと思いますが、団塊世代の時間のゆとりに大きな原因があるのではないでしょうか。
みなさん余暇を文化的にかつ健康的に過ごそうとエネルギッシュに活動されています。

平泉 みちのくの浄土」 4月11日



中尊寺金色堂の仏像の三分の一が公開されるということが話題となりました。実際に中尊寺には行ったことがありますが、金色堂自体が大きな展示ケースに入れられている状態なので、展覧会でもあまり違和感を感じませんでした。間近で観られたのがよかったと思う一方、やはりすべての像が揃ってこそ金色堂の仏像だという思いがしたのも確かです。
仏像では、東北地方各地の素朴な仏像が多数展示されていて興味をそそられました。
また、切手のデザインに使われた国宝・金銅迦陵頻伽文華鬘(けまん)も興味深かったです。
特にすばらしかったのは、国宝・紺地金銀字一切経でした。現在は高野山にありますが、もともと奥州藤原氏の発願で写経されたもので、紺と金銀のコントラストの鮮やかさ、文字の美しさ、初めて認識しましたが、同時代の平家納経にも匹敵する美しい巻物を拝見することが出来ました。

「国宝 阿修羅展」 4月14日



会期もまだ一ヶ月以上あるのに、平日でも入場するのに待ち時間が必要になるときがあるほどの盛況ぶりです。五十年ぶりの東京来訪に加え、八部衆・十大弟子の全14体が揃って拝見できるのも魅力的です。

平日の午後、天候もぐずついていたねで、待たずに入場できましたが、中は凄い混雑でした。
興福寺中金堂基壇から発掘された遺物、国宝・伝橘夫人持念仏の展示の後、いよいよ八部衆・十大弟子の部屋に進みます。広い部屋の右に十大弟子六体、左に阿修羅と五部浄以外の八部衆六体、突き当たりに欠損した五部浄が展示されていました。
五部浄以外は露出展示でケースには入っていません。多くの仏像との一体感がすばらしくて、しばし人ごみの中にいるのを忘れさせてくれました。非常に充実して、癒された時間を過ごすことが出来ました。
次は長いアプローチを経て、阿修羅の部屋へ進みます。昨年の「薬師寺展」同様最初は正面少し高い位置からの鑑賞になります。その後、間近まで進んで360°いろいろな角度から鑑賞できます。ここも露出展示なので、阿修羅と同じ空気を吸っている感覚になれます。何度観ても美しい姿にしばし見とれてしまいました。

阿修羅の後は平家焼き討ちの後に復興された諸仏が展示されています。作者は運慶とその父、康慶。ここも展示に工夫が見られ四天王像の迫力はすばらしいものがありました。また、薬王・薬上の両菩薩も迫力のあるものでした。

最後に再建予定の中金堂の説明とバーチャル画像が見られるコーナーがありました。


二つの展覧会を観て、ふと思いついたことがあります。江戸時代に地方の有名寺院が、江戸で本尊を開帳したという「出開帳」というものがありました。寺院は出開帳で何がしかの儲けを得て、庶民はわざわざ遠くまで出向かなくてもご利益に預かれるという便利なものです。
東京で開かれる有名寺院の展覧会はまさに現代の出開帳ではありませんか。特に「阿修羅展」は中金堂再建という勧進開帳の面もみせているのが興味深いことです。
昔も今も同じようなことをやっているんですね。
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2008年4月の美術館

2008年05月04日 12時21分19秒 | 美術館・博物館めぐり
「薬師寺展」東京国立博物館



4月6日

奈良薬師寺のご本尊薬師如来の脇侍である日光菩薩・月光菩薩が揃って東京にやってくるという触れ込みの展覧会で大いに期待していました。
ほかにも、大好きな東院堂の聖観音菩薩・吉祥天像・八幡神像など国宝が一堂に会するということも話題でした。

実際、拝見すると国宝以外の文物があまりにも少ないのに驚きました。メインの宝物は確かに重要かもしれませんが、それを単に並べてあるだけで感動も何もありません。去年、薬師寺を訪れた時の感動は微塵もなかったのが自分でもびっくりです。
展示方法に工夫(高い位置から見られるようにするなど)も見受けられましたが、全体的に平板で面白みにもかけました。やはり魂を抜いた仏像には心が動かされないのでしょうか?

後日、NHKのハイビジョンで二時間の薬師寺の一年の放送がありました。その時の不覚にも仏様に手を合わせてしまいました。実物よりも画像のほうが感動を与えるという点が非常に印象に残りました。その点でも、仏像は寺にあってこそなんだと思いました。

大好きな聖観音菩薩もやはり東院堂にいらした方がしっくりしますね。でも、美しさにしばし見とれたことは確かです。この辺りが美術品としての完成度の高さだと思います。もちろん、日光菩薩・月光菩薩の美しさも格別でしたが。


「モディリアーニ展」国立新美術館



4月24日

モディリアーニには首の長い人物画のイメージしかありませんでした。近くの国立新美術館で展覧会が開催されたので、期待もなく拝見しました。

ところが数枚の絵を見ているうちにどんどん引き込まれてしまいました。長いところでは15分以上立ち止まって見ること数回。目が離せないというのが本当の気持ちだったかもしれません。特に女性の画像はどれもこれも力強く迫ってきます。
モディリーアニが彫刻がを目指してそれを断念して画業にいそしんだことを知り、独特な絵の雰囲気がそこからくることを知りました。
思ったよりも非常に感動した展覧会でした。


「ガレとジャポニズム」サントリー美術館



4月1日・24日・25日

日本文化の影響という点からガレの作品を集めた展覧会です。日本で大変人気のあるガレの作品を、初期から順に日本文化がどのように作品に影響を与えて、ガレ自身がそれをどのように表現しているかを丁寧に解説しています。実際に当時ガレが見た作品をガレの作品と並べて展示しています。
初期のそのまま北斎漫画などから模様を写すという方法から、影響を受けながらも独自の表現を確立するまで非常にわかりやすく展示です。
特に最後の蜻蛉にまつわる作品群は単なるジャポニズムから心に響く作品に変化しています。フランス人の顔をした日本人といわれるガレの真髄に触れられました。




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