釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

「長谷寺」寺名の謎

2013年02月13日 21時18分58秒 | 寺社仏閣
今日は西麻布にある長谷寺の寺名について考えたいと思います。

「長谷寺」は「はせでら」とは読まずに、「ちょうこくじ」と読みます。
なぜ、「はせ」ではないのでしょうか?

みなさんは、奈良県にある長谷寺をご存知でしょうか?

奈良県桜井市初瀬(はつせ)にある長谷寺(はせでら)は真言宗豊山派の総本山で十一面観音で有名な寺です。

万葉集では「隠国(こもりく)の泊瀬」と詠まれている場所で、長い谷の地形から「長谷の泊瀬・初瀬」とも呼ばれて、そこから「長谷」を「はせ」と呼ぶようになったようです。

奈良の長谷寺は八世紀はじめに建立されました。
その後、国家の庇護を受けるようになって、観音信仰の発祥地として栄えていきます。

観音様といえば長谷寺というまでになっていきます。
ご存知のように「源氏物語」にも登場して、その賑わいは人々の知るところとなっていったのです。

そして、十二世紀中頃までに成立したといわれる西国三十三観音霊場の一つに数えらえ、庶民にまで浸透していきます。

さて、話を麻布の長谷寺に戻します。

長谷寺の現在ある場所には、寺の創建(慶長三年・1598年)以前から観音堂があったそうです。
この観音堂には、先ほどの大和の長谷寺と同じ木でできた四寸(約12センチ)あまりの観音様が祀られ、人々の信仰を集めていました。

この観音堂を元に、徳川家康の幼なじみで今川義元の孫といわれる門庵宗關を開山として、二万余坪の寺領を与えて開いたのが麻布の長谷寺なのです。

ですから、宗派は違えど観音様の縁で長谷寺と名付けられたのでしょう。

では何で「はせでら」ではないのでしょうか?

その答えを意外なところで見つけました。

先日NHK「新日本風土記・佐渡」を見ていた時のことです。

佐渡にある「長谷寺(ちょうこくじ)」が紹介されました。
この寺は大和の長谷寺を模して作られたそうで、本家の名前を憚って「ちょうこくじ」と呼ばれているそうです。

佐渡には同じく小規模ながら舞台造りの「清水寺(せいすいじ)」もあって納得させられます。

麻布の長谷寺もそんな理由から「ちょうこくじ」なのではないでしょうか。

さて明日は麻布長谷寺の境内の謎についてお話します。


*画像は現在の麻布大観音

長谷寺については以前ブログで書きましたので参照してください。





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氏神様がふたり?

2013年01月05日 14時03分28秒 | 寺社仏閣


上の写真をご覧いただくと神輿の屋根に違う紋が二つあるのがわかると思います。
この神輿は、墨田区業平四丁目南町会の神輿です。
左が、巴紋で昨日ブログで書いた江東天祖神社のものです。
右は、剣片喰紋で、隅田川沿いにある牛島神社のものです。

同じ神輿に二つの神様が同居しているというわけです。
江東天祖神社の祭神は天照皇大御神、牛島神社の祭神は須佐之男命という日本の神社を二分する神様が同居しているのです。

私の常識からいうと、一町会にはひとつの氏神さまと思っていましたので、最初は非常に不思議に思っていました。
ところがよく調べてみると、ひとつの町会の区域の中に二つの神社の氏子が存在しているらしいのです。

牛島神社は本所地区の総鎮守、江東天祖神社は葛西領柳島村の総鎮守だそうです。
江東天祖神社の氏子地域は、江戸時代は江戸の領域の外だったわけです。
今は、横十間川が区境となって墨田区と江東区が明確に区切られていますが、柳島というように湿地帯だった過去においてはその境が明確ではなく、水路ができて土地が確定しても、村境は確定していなかったのでしょう。
時代が進み、道路が整備されて、街が確立した時点でも、氏子の区域は入り組んでいて、このような状態になったのではないでしょうか?

江東天祖神社の氏子域が横長に広がっているのと同じく、その南にある亀戸天神社の氏子域も東西に長く広がっています。
西は竪川沿いに両国あたりまで広がっています。

麻布では、広尾稲荷神社の氏子が旧笄川の対岸、渋谷区広尾から古川を下って一の橋(麻布十番)あたりまで広がっているという事例があります。

神社の氏子域を調べることが色々と面白いことがわかります。、

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初詣は・・・

2013年01月04日 19時30分00秒 | 寺社仏閣
今年の初詣は二日に江東天祖神社に詣でました。

祭神は、天照皇大御神。
江東区の亀戸にありますが、地元の他に墨田区にも氏子がいます。
調べていくと不思議なことがいろいろ。
そのあたりは、また明日ということで・・。

ちなみに、天祖神社は、江戸時代には神明宮と言っていた神社が明治時代に改名したものです。
関西では、神明神社として残っていることが多いようです。
どちらも天照さんをお祭りしています。

天照さんといえば根源は伊勢。
今年は遷宮ですね。
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壮大な計画 その1 -神社めぐり-

2010年01月08日 20時36分45秒 | 寺社仏閣
お風呂に入りながらだったか、寝る前にウトウトしながらだったか、変なことを考えてしまいました。

今年は神社に参拝しまくる。・・・・・・ということ。
東京をぶらぶらと歩いているとそこかしこに神社があります。

ごくごく小さいものから、巨大なものまで。
有名なものから、地元だけで信仰されるひっそりとしたものまで。
その多様性は目を見張るものがあります。

さらにご祭神も神話の世界の方から、明治時代の軍人まで多種多様。
その面白さは奥深いものがあります。

また、住居表示という兵器に壊される前の原東京・江戸のコミュニティの拠りどころとしての神社の意義は大きいものがあります。
神社の氏子地域を調べれば、旧町名にぶち当たり、さらには江戸の町へとタイムスリップしていきます。

なぜその神社が、そのコミュニティーの氏神になったのか、そのあたりの不思議の糸を解きほぐさずにはいられなくなります。

今年一年の目標は、365社参拝。
都内の神社数が1398社(東京都神社庁調べ)、神社庁のHPに載っている神社数が約400社。
これは、奥多摩から伊豆諸島までも含めた数ですから、365社詣でるのは無理な気がします。

でもどこまでいけるかチャレンジしてみようと思います。
お付き合いのほどよろしくお願いします。


追記:神社内の境内社や末社は数に含まないものとします。
    二礼二拍手一礼の参拝を必ずすることで一社に参詣したとみなします。
コメント (1)
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