”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

太郎坊・阿賀神社参道「季節外れの桜」(東近江市)(10/10)

2019-10-10 12:31:07 | 東近江ライフ

↑背景は太郎坊宮(赤神山)

小春日和の10月10日(木)午前、久しぶりに太郎坊付近(東近江市)に出掛けて見た。

郎坊・阿賀神社(東近江市小脇町)の参道の第2鳥居の傍の桜3本が季節外れの桜を可憐に咲いていた。毎年咲いているかどうかは定かでない。

 

↑太郎坊山(赤神山)とネギ畑

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日野町出身の童謡詩人 細川雄太郎全作品公開展

2019-10-10 10:00:00 | 滋賀TODAY

滋賀県日野町大窪の近江日野商人館で「没後20周年童謡詩人細川雄太郎全作品公開展」が11月17日(日)まで開かれている。


 童謡「あの子はたあれ」や「ちんから峠」の作詞者として広く知られている細川雄太郎氏(1914年-1999年))は日野町出身の童謡詩人で、大津音頭や必佐幼稚園園歌、日野小学校校歌など、県内の多くの企業や学校歌の作詞を手がけた。

<因みに、記憶になかったがブログ筆者が出た中野小学校校歌も細川雄太郎の作詞だった>

細川雄太郎はこのブログ「スローライフ滋賀」、「【滋賀・近江の先人第61回】童謡作詞家・細川雄太郎(滋賀県日野町)」でも紹介している。

https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/ce673a1b6d6853c94bed0237d3cfe33f

 

 

昨年10月、細川氏の親族から同町へ遺品寄贈の申し出があり、細川氏が群馬県の日野商人宅で奉公生活を送っていた縁から日野商人館が調査したところ、未発表作品を多く含む原稿用紙などが段ボール10箱余りあることが判明。この貴重な資料を広く周知するため、没後20年に合わせた企画展を計画し、細川氏の一生を紹介する年譜と共に自筆のノートや原稿用紙に遺された1773作品を公開している。

 近江日野商人館は「遺されていなかった同人誌に掲載されていた作品を考えると、細川氏の作品は1800点をはるかに超える。一生にわたって創作活動を続けていた彼の情熱を感じ取ってほしい」と話している。

<滋賀報知新聞より>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【滋賀・近江の先人第61回】童謡作詞家・細川雄太郎(滋賀県日野町)

2019-10-10 06:00:00 | 滋賀・近江の先人

細川雄太郎(ほそかわ ゆうたろう、1914年(大正3年)11月27日 - 1999年(平成11年)2月21日)は、滋賀県蒲生郡日野町出身の童謡作詞家



ヒストリー

・尋常小学校在学中10歳の時に父を亡くす。
・日野小学校高等科を卒業して、昭和5年(1930年)、16歳で群馬県新田郡薮塚本町(現・太田市)にある醤油・味噌醸造の近江商人の会社「岡崎商店」(岡崎伝左衛門創業)に奉公にでる。
奉公先で密かに詩作を始める。夜中に布団の中に明かりを持ち込んで、故郷の幼く楽しかった日々を偲んで童謡を書き続ける。
    「かわいい魚屋さん」の作詞者加藤省吾の主宰する同人誌『童謡と唱歌』を知り投稿を始める。

・1939年(昭和14年)、24歳のとき、故郷の想い出に浸りつつ書いた『泣く子はだあれ』を『童謡と唱歌』に投稿したところ、作曲家海沼實の目に留まり、「あの子はたあれ」としてレコード化され、ヒットする。
    「あの子はたあれ」の成功で作詞家としてやっていく決心をする。
    続いてNHKから放送された「ちんから峠」(作曲海沼實)もヒットする。

終戦後、郷里滋賀県日野町に帰り、野洲川土地改良区に勤務する。
・勤務のかたわら作詞は続け、詩誌『葉もれ陽』を主宰する。
 ・1999年(平成11年)2月21日死去。享年84。

因みに近江商人日野出身の「岡崎醤油」は現在も群馬県高崎市に存在している。

https://gunmano-syouyutomiso.jimdo.com/%E7%B5%84%E5%90%88%E5%93%A1%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E9%86%A4%E6%B2%B9/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする