”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

6/5 全国植樹祭祝い大凧飛揚(東近江大凧保存会)

2022-06-05 08:00:00 | 東近江ライフ
 古くは江戸時代から揚げられ続けている東近江大凧。「祝い凧」として国や地方の大きな行事や祝い事などの節目に制作され、大空に掲げられてきた。
 今日6月5日(日)、第72回全国植樹祭が滋賀県で行われる。東近江大凧保存会は開催を祝い、20畳敷東近江大凧を制作した。

↑写真:滋賀報知新聞より

 保存会によると、1975年(昭和50年)、前回滋賀県で開かれた第26回全国植樹祭でも記念大凧を制作し、大会を祝賀した。
今回の制作構想は1995年(平成7年)に滋賀県今津町で行われた全国育樹祭の時からあったという。
 その時の育樹祭では、式典のメインアトラクションとして東近江大凧が登場し、イラストレーターと融合したパフォーマンスが会場を盛り上げた。いつか開かれる滋賀県での植樹祭でも東近江大凧で祝いたいとメンバーは胸に秘め、大凧の飛揚を待ち望んでいた。

 約1カ月前から凧の骨組みや絵付け、つり糸調整などに取りかかり、ほぼ毎晩、メンバーらで集まって制作してきた。
絵柄と文字に意味を持たせる「判じ文」が東近江大凧の特徴だが、「意義ある植樹祭をできるだけ多くの人に知ってほしい」と、今回は植樹祭の大会シンボルマークを忠実に再現し、シンプルなデザインに仕上げた。
 保存会の山田敏一会長は「東近江大凧は様々な歴史の一ページを祝い、飛揚してきた。関われたことにうれしく思う気持ち。大会の成功を祈りたい」と願いを込める。

植樹祭で両陛下が座られる予定だった「お野立所」 お披露目(甲賀市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/d/20220523

<滋賀報知新聞より>
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【滋賀・近江の先人第257回】・中央大学創立者・増島六一郎(彦根市)

2022-06-05 06:00:00 | 滋賀・近江の先人
増島 六一郎(ますじま ろくいちろう、1857年8月6日(安政4年6月17日) - 1948年(昭和23年)11月13日)は、現在の滋賀県彦根市生まれの弁護士。
父が61歳のときの子供であったため六一郎と命名された。1885年(明治18年)、英吉利法律学校(のちの中央大学)の創立者18名の中心人物として同校初代校長に就任した。

ヒストリー
近江国彦根藩井伊家弓術師範230石の家柄。彦根藩の儒者。井伊直弼の師匠で彦根藩校弘道館師範、私塾月釈義社の弟子一人。

1870年(明治3年)に上京し、官立東京開成学校(のちの東京大学)に進学する。東京大学法学部第二期を首席で卒業。
その後、1879年ころ、岩崎家の援助によってイギリス・ミドル・テンプル法学院に、穂積陳重や岡村輝彦らとともに留学し、法廷弁護士(barrister at law)の資格を取得し、さらに事務弁護士(solocitor)の事務所において研修を行った。
1884年に帰国するや、代言人の免許を受けて、京橋桧町に法律事務所を開設した。このとき、「バリストル、法学士代言人」の肩書きを用いたという。当時は、英国法廷弁護士の資格を有する代言人は少なかったし、大学を出た代言人も、英語のできる代言人も少なかったという。
代言人の間での声望は高く、1886年には代言人組合会長に就任した。

一方で、東京神田錦町二丁目にあった明治義塾の教壇に立つが、同校が廃校の折、同地を購入して新たに英吉利法律学校(のちの中央大学)と東京英語学校(のちの日本中学)の設立に奔走する。
1885年(明治18年)、英吉利法律学校の18名の創立者の中心人物として同校初代校長に就任した。
1889年(明治22年)に東京法学院と名称変更後は院長となった。また、同地に杉浦重剛とともに創立した東京英語学校でも初代校長を務めた。

その後、学校教育の一線からは退き、弁護士業に復帰した。増島は、後にいう渉外弁護士として渉外性のある訴訟案件や企業法務を主に取り扱った。
その多大な業績と名声により、全米弁護士会、カナダ弁護士会、ニューヨーク州弁護士会の名誉会員となった。また、その事務所も、東京から、横浜、神戸、上海へと進出したという。

法律書籍を集めた正求律書院(せいきゅうりつしょいん)という図書館を開館する。
1934年(昭和9年)に、維持運営のため、財団法人正求堂財団を設立。
太平洋戦争後、日本では英米法研究が盛んになり、没後の1949年(昭和24年)に最高裁判所に寄託されて正求堂文庫(せいきゅうどうぶんこ)として一般に公開されている。

その他
留学したミドル・テンプル法学院には大きな肖像画が掲げられている。
毛利家(長府藩)の上屋敷(毛利甲斐守邸跡)を自邸として購入し、その跡地は六本木ヒルズの毛利庭園となっている。
中央大学市ヶ谷キャンパスには、彼と菊池武夫の胸像が飾られている。

親族
娘 三井子 内山英太郎(陸軍中将)の妻

<Wikipediaより>
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