▼ここは反正天皇 ( ひとつ前のエントリー参照 ) の皇居あとです。
現在は、柴籬神社 ( しばがきじんじゃ、大阪府松原市 ) となっています。
なぜ、柴籬なのか。
反正天皇の皇居が質素で、塀もなく、ただ柴垣だけがあったためです。
民こそが国の宝、日本国の主人公という、父君でいらっしゃる仁徳天皇からのお考えを体現されていました。
何も守りのない京都御所と同じく、守りがないのですが、古代にはそれがもっと徹底していて、庶民とのあいだに植垣しかなかったわけです。
不肖わたしの理想とする、日本のまつりごと ( 政 ) と同じです。
現在は、柴籬神社 ( しばがきじんじゃ、大阪府松原市 ) となっています。
なぜ、柴籬なのか。
反正天皇の皇居が質素で、塀もなく、ただ柴垣だけがあったためです。
民こそが国の宝、日本国の主人公という、父君でいらっしゃる仁徳天皇からのお考えを体現されていました。
何も守りのない京都御所と同じく、守りがないのですが、古代にはそれがもっと徹底していて、庶民とのあいだに植垣しかなかったわけです。
不肖わたしの理想とする、日本のまつりごと ( 政 ) と同じです。