
沖縄県那覇市内のホテルの会議室を確保し、密にならないよう感染症対策をとりつつ、白梅同窓会長の中山きくさんにお話を聴きました。
写真の右端に、わずかに、東京から来てくれた学生が映っています。
とても熱心に、身じろぎもせず、聴き入ってくれました。
白梅が校章だった沖縄県立第二高等女学校の同級生が戦死あるいは自決なさったときの、中山きくさんは16歳。いまは92歳です。
ぼくが白梅の塔、そして自決壕にお参りをしてきた長い年月の途中で、きくさんたちと運命の出逢いも致しました。
写真は、お話しが終わって、きくさんが主人公のまんがパンフレットをぼくが手しているところです。令和3年3月27日の土曜日です。
写真の右端に、わずかに、東京から来てくれた学生が映っています。
とても熱心に、身じろぎもせず、聴き入ってくれました。
白梅が校章だった沖縄県立第二高等女学校の同級生が戦死あるいは自決なさったときの、中山きくさんは16歳。いまは92歳です。
ぼくが白梅の塔、そして自決壕にお参りをしてきた長い年月の途中で、きくさんたちと運命の出逢いも致しました。
写真は、お話しが終わって、きくさんが主人公のまんがパンフレットをぼくが手しているところです。令和3年3月27日の土曜日です。