比喩的な表現じゃない。
ほんとうです。
陽の差さない、閉ざされた委員会の部屋に、終日、じっと座り、その場所から議員会館へ戻るときがあっても、地下トンネルを通ります。
なるべくなら、国会議事堂の外へ出て信号を渡り、道路を挟んだ議員会館へ行きたい。風と陽にあたれるから。
けれども、信号待ちをしている時間が無い。
予算委員会はずっと開会して、スキマが無い。
自由民主党は、武漢熱で苦しむ日本経済のために、年度が替わる前に必ず新しい予算案を上げたい。
野党はひたすら審議を止めようとする。
そのせめぎ合いのなかで「充分に審議した」という事実をつくるために、とにかくずっと開会です。
だから陽に当たる時間が無い。
ほんとうです。
陽の差さない、閉ざされた委員会の部屋に、終日、じっと座り、その場所から議員会館へ戻るときがあっても、地下トンネルを通ります。
なるべくなら、国会議事堂の外へ出て信号を渡り、道路を挟んだ議員会館へ行きたい。風と陽にあたれるから。
けれども、信号待ちをしている時間が無い。
予算委員会はずっと開会して、スキマが無い。
自由民主党は、武漢熱で苦しむ日本経済のために、年度が替わる前に必ず新しい予算案を上げたい。
野党はひたすら審議を止めようとする。
そのせめぎ合いのなかで「充分に審議した」という事実をつくるために、とにかくずっと開会です。
だから陽に当たる時間が無い。
日曜の今日は、予算委員会は無いけれど、ぼくはいつもの通り、原稿の締め切りに追い込まれている。
陽にあたらない人間が、激務に耐え、突然の危機にも対応できる心身を保つのは難しい。
最近の研究成果では、陽に当たらないと視力も落ちるという。
きょうも原稿に追われているけど、原稿を書きながら考えて、窓の外を見たら、日本の青空です。紺碧の早春の空です。
長い階段を駆けおり、かなり足を伸ばして、橋の上を速歩で抜け、凄まじい強風で橋から落ちるかと思いつつ、また足を伸ばして帰り着き、長い階段をめげずに上がって、原稿に戻っています。
この足腰と、その上に乗っているこゝろが、ぼくを支えています。
原稿を書いているあいだ、何かの画面をつけています。ニュース速報が出ないとも限らない。世の中知らずで原稿に没入しているわけにはいかない立場です。
暗黒国会で人間を否定するかのような言動を平然とする議員が、まったく別人の顔、声でテレビに出ているのを視て、いくらか気分が悪くなる。
しかし今日の日本晴れ。
写真の下にわずかに雲があるのが分かりますか ?
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平 の方までゆくんか
( 一部、ぼくの責任にて、字句を分かりやすい表記にしています )
この山村暮鳥の詩を、中学生の時に読んで、磐城平とはどこのことか詳しく分からないのに、なぜこんなに胸に沁みるのかと、木の机に腕をおいて考えたことを、思い出します。
暮鳥は「母は泣いてばかりいた。自分が姉さんとよんでいた母の妹は真っ赤な血嘔吐をはいて自分の四つの春に悶死した」と書いているような家庭に育った詩人でした。
詩集「雲」の校正を病に伏せる布団のなかで終え、その詩集「雲」が出版された前月に、40歳にて亡くなりました。
ぼくごときの苦悶がいかほどのこともあろうか。
陽にあたらない人間が、激務に耐え、突然の危機にも対応できる心身を保つのは難しい。
最近の研究成果では、陽に当たらないと視力も落ちるという。
きょうも原稿に追われているけど、原稿を書きながら考えて、窓の外を見たら、日本の青空です。紺碧の早春の空です。
長い階段を駆けおり、かなり足を伸ばして、橋の上を速歩で抜け、凄まじい強風で橋から落ちるかと思いつつ、また足を伸ばして帰り着き、長い階段をめげずに上がって、原稿に戻っています。
この足腰と、その上に乗っているこゝろが、ぼくを支えています。
原稿を書いているあいだ、何かの画面をつけています。ニュース速報が出ないとも限らない。世の中知らずで原稿に没入しているわけにはいかない立場です。
暗黒国会で人間を否定するかのような言動を平然とする議員が、まったく別人の顔、声でテレビに出ているのを視て、いくらか気分が悪くなる。
しかし今日の日本晴れ。
写真の下にわずかに雲があるのが分かりますか ?
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと
( 一部、ぼくの責任にて、字句を分かりやすい表記にしています )
この山村暮鳥の詩を、中学生の時に読んで、磐城平とはどこのことか詳しく分からないのに、なぜこんなに胸に沁みるのかと、木の机に腕をおいて考えたことを、思い出します。
暮鳥は「母は泣いてばかりいた。自分が姉さんとよんでいた母の妹は真っ赤な血嘔吐をはいて自分の四つの春に悶死した」と書いているような家庭に育った詩人でした。
詩集「雲」の校正を病に伏せる布団のなかで終え、その詩集「雲」が出版された前月に、40歳にて亡くなりました。
ぼくごときの苦悶がいかほどのこともあろうか。