「神武天皇 御駐蹕 伝説地 宮浦」の石碑に 紀元節をおもう♪
えっ!何故ここに…
石碑に気づいた筆者と地元鹿児島県霧島に住む朋友は顔を見合せた。
久々に彼の元を訪ねた折り、黒酢醸造で知られる福山を通った際に立ち寄った宮浦宮なる神社の誇らしい大銀杏樹を見せてくれた時のサプライズ!
南側の銀杏は樹高38m幹周7.55m、北側の樹は樹高38.6m幹周7.68m、西南戦争の砲弾痕が残る。
霧島連峰の高千穂峰(宮崎県高原町)や 宮崎県高千穂町の天孫降臨伝承など、神話の話題に事欠かない土地柄だ。
北北西3キロ弱に若尊鼻(わかみこのはな)岬があり、神武天皇が幼少期を当地で過ごした故事から名付けられたとの伝承もある。
朋友の彼とは、筆者が 帆掛け船で波に乗り風を受け、辿り着いた南方の小さな島国“トンガ王国”で出会った。当時珍しい日本人一人旅の青年同士、互いに使命感を抱きつつも、命からがら日本に戻った戦友のような想いを持ち、今なお家族ぐるみの親交がある。
古事記では、神倭伊波礼琵古命(かむ やまと いわれ ひこの みこと)が、日本の初代天皇・神武天皇 の元の名。
日本書紀では、神日本磐余彦尊(かむ やまと いわれ ひこのみこと) 等と称される。
神武天皇が即位したとされる 辛酉(かのととり)年(紀元前660年・神武天皇元年) 春正月(はるむつき)元旦・庚午(かのえたつ) の朔(ついたち) 、1月1日 (旧暦)を、明治新暦で 2月11日と換算し、1873年(明治6年)日本建国の日として「紀元節」(祭日)と定められた。
第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で「紀元節」が廃止されたが、改めて1967年(昭和42年)に 2月11日を「建国記念の日」(祝日)とした。
地球の人類の歴史は、宇宙の歴史(まだまだ不確定)から観れば一瞬だけれど、地球社会で井の中の蛙も困るので、多少のことは知っておこう♪
*キリストの誕生を紀元(生誕年は想像の域で確証は無い) とする西暦のB.C.(= before Christ ) 660年は、日本建国元年であり、西暦2016年は、神武天皇即位紀元(皇紀) 2676年に当たる。
西暦が国際社会で用いられるようになったのは、キリスト教圏である西欧各国の世界進出や植民地拡大によって、西欧の社会慣習がいわぱ国際標準となり、非キリスト教圏でも西暦が広まったため。
*サカ紀元…インド国定暦(ヒンドゥー暦)の紀元で、西暦78年に当たる。
*創世紀元…ユダヤ教で神が世界を創世したとされる年(西暦換算で紀元前3761年)が基準で、ユダヤ暦で用いられる(太陰太陽暦)。
*世界創造紀元 …旧約聖書の天地創造が起きたとされる年(西暦換算で紀元前5509年 - 5508年)が基準。東ローマ帝国で公式に採用。
●「紀元節」(明治二十二年、作詞 高崎正風・作曲 伊沢修二 )
一、
雲に聳(そび)ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそたのしけれ
二、
海原なせる埴安(はにやす)の
池のおもより猶(なお)ひろき
めぐみの波に浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
三、
天つひつぎの高みくら-----即位の情景描写。
千代よろずよに動きなき-----万世一系のコトワリ。
もとい定めしそのかみを-----国の礎。
仰ぐ今日こそたのしけれ
四、
空にかがやく日のもとの------日の出の国は太陽を基準とすること。
よろずの国にたぐいなき-----世界に比類ない。
国のみはしらたてし世を-----国王を立てた神武の世。
仰ぐ今日こそたのしけれ
〈解釈の参考〉
「国の御柱」は、特定の固有名詞ではなく、普通の「王」の概念。
「王」とは天地の間に立って、天地を繋ぐ立場。
御柱を立てる作業を示す「工」に対して、「王」は、天地を柱で繋ぐ人物。
天地の間に「+」を入れたと解釈すれば、「天地を結ぶ」偉大な行為をする立場を示す。しかるに「王」よりも、戦争で戦う帝王の方がエライと誤解して満足する時代を脱皮しなければ平和は来ない。
「御柱」について述べれば、戦争ではなく、祭り事で国を立てる為、水田を方形の段として水を満たして水平線を出し、中心点に垂直の御柱を立てた。日光を当てると日影が伸びる。四方八方を区画した中に日影のラインを正確に印して方位を確認し、移動する太陽を捉え角度に年月日を配分して暦法や時法の基準とした。
神武天皇はカムヤマトイワレヒコと云われた。
彦とは日子であり、日知りのミコとも云われた。
日出国(ひ いづる くに)・豊葦原の瑞穂の国 (神意によって稲が豊かに実り、 栄える国) であることを 歌詞としたものでしょう。(著者不明)