Autobianchi A112 (レストア)

朽ちかけたアウトビアンキに魂を!レストア生活のレポート

フィアット パンダ 温泉三昧の旅 小布施・岩松院

2013-09-30 08:19:02 | フィアット パンダ


9月30日(月)、今週は仕事のスケジュールがぎっしりです。

さて、9月24日の信州 温泉三昧の旅は、パンダを小布施に向かって走らせます。
小布施は、奥さんと25年ぐらい前に来て以来です。



小布施は栗の名産地ですので、栗の木が多い。



市街地から山に向かって、パンダを走らせます。



目的地の岩松院に到着です。
写真は仁王門です。



仁王門を通って、石段を登ると岩松院です。



この岩松院には、葛飾北斎が描いた天井絵があります。
(写真は撮影禁止なのでWebから)

写真は、本堂中央(大間)の天井に描かれている鳳凰図です。
葛飾北斎88歳から89歳にかけての作品といわれています。
北斎は83歳を初めとして小布施に4回訪れており、4回目の滞在約1年をかけて大間天井に鳳凰図を描きたそうです。
北斎は翌年江戸に戻り、90歳で亡くなっています。
80代の高齢の北斎が、当時江戸から歩いて4回の小布施に訪問したのは、すごいですね。

鳳凰図の大きさは畳21畳もあります。
作成から160年以上たっていますが塗り替えは1度も行っていません。
朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍など顔料を膠水で溶いた絵具で彩色されており、周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれています。
制作時の痕跡として、絵皿の跡が残っています。

この鳳凰は、どの角度から見ても睨んでいるように見えるから不思議です。
(八方睨み鳳凰図)



俳人・小林一茶は文化13年(1816)4月20日に当寺を訪れ、 オス蛙が数の少ないメス蛙を取り合っている様を見て、「痩せかえる 負けるな一茶 これにあり」と詠んだといわれています。
この痩せ蛙とは、一説には病弱な自分の子だとも言われています。



これは「蛙合戦の池」と呼ばれています。
ヒキガエルが春になると産卵にオスがメスを求めて集まるんだそうです。



そして、岩松院には戦国武将の福島正則公の霊廟があります。



福島正則公は
元亀天正年間の戦国武将・豊臣秀吉の重臣として 賤ケ岳の戦いでは「七本槍の第一」と称せられました。
また関ケ原の合戦でも勇名をはせ、広島城(49万8千石)の大大名になりましたが 幕府の謀略により元和5年(1619)秋、この信越地方(4万5千石)に国替えさせられました。
在信5年で悲運を嘆きつつ寛永元年(1624)7月13日64歳で薨じています。

霊廟には遺骨を埋葬し、「海福寺殿前三品相公月翁正印大居士」の戒名を刻んでいます。
遺品には、左遷状や太閤葬儀行列帳などがあります。



石田光成と折り合いが悪く、東軍(徳川側)について関が原で戦うのですが、陰謀でお国替え、死後は幕府の検死前に火葬にしたとの言掛りで取り潰しになります。
その後、この地域は幕府の天領地となります。

福島正則公は、民謡・黒田節に出てくる人物です。
現在歌われる歌詞は、安土桃山時代に福島正則邸を訪問した黒田氏の武将母里友信が、正則に「飲み干せば何でも褒美を取らす」と大盃に注がれた酒を勧められた際に、この酒を見事に何杯も飲み干し、約束通り褒美に正則自慢の槍(日本号)を貰い受けたという逸話に基づいています。

戦国の世の武士は、東軍西軍に分かれて、勝っても負けても苦労したんですね。
真田氏も東軍西軍に一族を分けて、家名を守るのですね。

勉強になりました。

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