Autobianchi A112 (レストア)

朽ちかけたアウトビアンキに魂を!レストア生活のレポート

フィアット パンダ お酉さま (長國寺)

2015-11-10 23:28:25 | フィアット パンダ


11月10日(火)、東京の某所で午後から打ち合わせがあったので、早めにオフィスを出発して、浅草・千束のお酉さまの寺(法華宗・長國寺)に行ってきました。

最近は以前ほどスピリチャルではないのですが、30代ぐらいに霊的な体験が多かったためか、仏教の経典や加持祈祷に自然に接した時期がありました。
本気でお坊さんになるのもいいなぁ・・と思ったりして。

まぁ、そんな時期もあったのですが仕事が面白くて、そんな想いも薄れてきました。
寺社仏閣って、言葉がありますが、お寺と神社の建物を表すのですが、考えると別の宗教ですよね。
実はこのあたりも面白いのです。
つまり、日本では仏教と神道が混ざっていたわけです。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象を言うのです。神仏混淆(しんぶつこんこう)とも言いますが、海外でも同じ現象はあります。
それを確かめようと、午前中に浅草に来たわけです。




そんなわけで、浅草の千束に来ました。



浅草のお酉さまは、神社とお寺の両方で行います。
この神社とお寺は隣り合わせにありますが、その昔は同じ境内にあったわけです。


552年(538年説あり)に仏教が公伝した当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)として日本の神と同質の存在として認識されていました。
日本で最初に出家して仏を祀ったのは尼(善信尼)と『日本書紀』にはあるが、これは巫女が日本の神祇を祀ってきたのをそのまま仏にあてはめたものと考えられています。
つまり、仏教の概念は輸入したのですが、よくわらないので巫女さんが尼さんとしてスタートしたところから、日本の仏教はスタートしたわけです。
寺院の焼亡による仏の祟りという考え方も、仏教には祟りという概念は無いため、神祇信仰をそのまま仏に当てはめたものと理解もできます。

神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示しているのです。
8世紀後半には、その寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになりました。
710年(和銅3年)の興福寺における春日大社は最も早い例です。
また、東大寺は大仏建立に協力した宇佐八幡神を勧請して鎮守とし、これは現在の手向山八幡宮です。
他の古代の有力寺院を見ても、延暦寺は日吉大社、金剛峯寺は丹生神社、東寺は伏見稲荷大社などといずれも守護神を持つことになります。
このように仏教と敵対するのではなく、仏法守護の善神として取り込まれていった土着の神々は護法善神といわれている訳です。

鎌倉の鶴岡八幡宮の宝物殿の中に、昔の絵巻がありますが、神社なのに境内に五重塔が描かれたいますが、 神仏分離で現在は五重塔はありません。
でもよく観察すると日本全国に神社とお寺が隣り合わせ(かつては一所)だったところは多いです。

浅草と言えば浅草寺がありますが、この隣には浅草神社があるのです。

神宮寺って言うのも、同じ考え方で、仏教が神道を吸収したり、神社が仏教を吸収したりする日本人の和(あいまいさ)は面白いと思います。
外国人からすると黒か白か・・と言うところを日本人は微笑んではっきり言わないもいたいな感覚でしょうね。




これは熊手ですが、日本では、幸運や金運を「かき集める」という意味を込めて、商売繁盛の縁起物として熊手を飾る事があります。
主に毎年11月の酉の日に神社で開催される酉の市などで販売されていますが、お寺でもお酉さまはやるわけです。
「恐れ入谷の鬼子母神」のしゃれ言葉みたいに、農機具の熊手を幸運や金運を「かき集める」として、商売繁盛で縁起物にするのも面白い。



ここは先ほどの、神社の隣にある法華宗(日蓮宗)の長國寺です。
ここでも同時にお酉さまの祭礼を行います。



鷲在山長國寺は、寛永7年(1630)石田三成の遺子といわれいます。
大本山長國山鷲山寺第13世日乾上人によって、浅草寺町に開山し、寛文9年(1669)に当地へ移転しました。
浅草酉の市の発祥の寺として有名です。




鎌倉時代、文永2年(1265年)宗祖、日蓮大聖人が上総国鷲巣(かずさのくにわしのす-千葉県茂原市)の小早川家(現在の大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を願って祈ったところ、にわかに明星(金星)が動き出し不思議な力をもってして現れ出でたと伝わるのが鷲妙見大菩薩です。それは11月酉の日のことでした。

七曜(しちよう)の冠を戴き、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」とか、「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊として親しまれています。
とりわけ、応現の日にちなんで開催されてきた、浅草「酉の市」の本尊として江戸の昔より広く信仰されてきました。

法華宗も日蓮宗も同じかなぁ・・と思いがちですが、厳密に言うと日蓮宗も多くの流派があります。
若いころは同じに思えたのですが、違いがわかってきました。



まぁ、あいまいな日本人の私ですから、法華宗も日蓮宗も法華信者ですので、まぁ良いか・・と、ご朱印帳に長國寺のご朱印を頂いてきました。
さすがに神社と他宗派のご朱印は混ぜません。スタンプラリーじゃないですので・・・。

お参りをして、手を合わせるのは自分自身の供養なのだと感じる年齢になりました。


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