「“沖縄県民 斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ 後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ”」
おん【恩】 人から受ける、感謝すべき行為。恵み。情け。「―を施す」
おん‐ぎ【恩義/恩×誼】 報いなければならない、義理のある恩。「―を感じる」「―に報いる」
1 物事の正しい筋道。また、人として守るべき正しい道。道理。すじ。「―を通す」「―にはずれた行為」
2 社会生活を営む上で、立場上、また道義として、
他人に対して務めたり報いたりしなければならないこと。道義。「―が悪い」「君に礼を言われる―はない」「―をわきまえる」
3 つきあい上しかたなしにする行為。「―で参加する」
:唇厚い私≒感受性豊か!?⇒400Hzバイオリン⇒聞か無くても⇒ルイセン・涙腺⇒モロイ・脆い私⇒泪涙⇒涙涙・・・トホホ!
:橋下徹氏⇒納税家畜庶民⇒ご信頼頂き⇒革新的発言⇒有難う御座います!
:戦後67年間経過⇒政府政権政党等⇒相手国⇒永年説得不可⇒責任重大!
:民間機関の仕業⇒国家⇒統治者⇒国内民間業者⇒悪行所業では⇒統治者として失格!
:半間な言い訳で⇒今後一世紀間⇒「言い訳 ⇔糾弾」⇒
:戦後総括も逃げ隠れ⇒曖昧⇒政権政党⇒政府⇒行政⇒未解決!
:連綿⇒「カイゼン★不可」⇒お間抜け!?国益毀損⇒亡国!
:橋下徹氏⇒日本国⇒不名誉フッショク・払拭⇒敢えて⇒火中の栗を拾う⇒感謝!
:「一気に問題⇒「カイゼン」⇒橋下徹氏≒織田上総介信長公と⇒看破すれば⇒行動理解!
:私事:ササ・細やかなミエ・見栄!「琉球国≒沖繩 」・「アイヌ国≒北海道」
:⇒ネット【送料⇒本土同料金】 どうよ!?「心ある企業⇒同調希求!」
:敗戦職責大将「賞有 ⇔罰無!」⇒軍人恩給(負ける前の)830万円⇒二等兵へ(80万円)人事考課希求!
:敗戦職責大将 尻拭かず 靖国の上座に合祀=栄典≒従二位 旭日大綬章 ⇒賞罰無⇒「二等兵降格⇒人事考課 希求!」
:⇔敗戦後⇒千鳥ヶ淵戦没者墓苑⇒!★※【自由意思】⇒靖国神社合祀!?
沖縄県民斯く戦えり
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし
沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。
沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧みるに暇いとまなかりき。
然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅わずかに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下□□□風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。
しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦烹炊ほうすい婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。
所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。
看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。
さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。
これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□
一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。
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日本国内で激戦が行われた沖縄戦。圧倒的に優勢な敵軍の猛攻を前に、玉砕を覚悟した大田實・海軍少将(日本海軍沖縄方面根拠地隊司令官)が、昭和20年6月6日に海軍次官に宛てた電文です。不明な箇所は□で表わしています。
当時の沖縄県民や将兵のご苦労が目に浮かぶようで、大田司令官の温かい人柄も伝わってくる名文です。ここでは、原文の格調を失わないように現代語訳しました。なお、大田司令官は、戦死された6月13日に、海軍中将に昇任しておられます。
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大田司令官、最後の電文。
発 沖根 昭和20年6月12日 1335
一、朝来、敵戦車および歩兵、当司令部壕外に蝟集いしゅうし、煙弾を打ち込みあり
二、我方、およそ刀をもって戦いうる者は、いずれも敵に当たり、然らざる者は自決しあり
三、74高地2か月余りの奮闘も、本日をもって終止符を打つものと認む
発 沖根 昭和20年6月12日 1619
これにて通信連絡を絶つ
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大田司令官の三女、愛子さんの歌
身はたとへ沖縄の野辺に朽ちるとも祖国守ると父は逝きにし
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参考文献
『沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将一家の昭和史』、田村洋三、講談社文庫