:和ネット 備忘録 :敗戦職責大将⇒「賞有 ⇔無罰!」⇒軍人恩給⇒負ける前の830万円⇒80万円⇒二等兵⇒人事考課希求!⇒「信賞必罰」
:敗戦職責大将 尻拭かず 靖国の上座に合祀=栄典≒従二位 旭日大綬章 ⇒賞罰無⇒「二等兵降格⇒人事考課 希求!」
:弱肉強食骨太植民地主義時代⇒【戦時下⇒集合命令】⇒靖国神社 ⇔敗戦後⇒千鳥ヶ淵戦没者墓苑⇒!★※【自由意思】⇒靖国神社合祀!
:映画 「火垂るの墓」節子⇒飢え⇒寄生虫⇒衰弱死・清太郎⇒戦後⇒三宮駅⇒戦争孤児⇒餓死!
:「自己完結=自給自足⇒過不足こそ⇒世界平和⇒実現の第一歩”」
196 | 「“真実可視化”」「特権 権威 信頼 有形力には 敵わ無い!」「誇れる法治社会 希求!」 |
ゲスト |
名無しさん 2011/2/6 0:23 [返信] [編集] Re: :【“敗戦遺産”】⇒価値効果物資 ⇔違法禁止毒薬物⇒:【弱い者⇒選んで】やって来るトホホ「浜名湖⇒毒投棄!?・・・」 :俘虜:虜囚【酒巻和男海軍少尉】※階級そのまんま!「降格人事希求」 :「トラトラトラ」ハワイ真珠湾攻撃※【9軍神】⇒小型特殊潜航艇【5艇乗員計10名】 :敗戦職責大将 尻拭かず 靖国の上座に合祀=栄典≒従二位 旭日大綬章 ⇒賞罰無⇒「二等兵降格⇒人事考課 希求!」 和歌山県人が、他府県に。。。故 海軍 特務少尉 芦邊 守 之 2011/ 2/ 5 23:52 [ No.6858 / 6858 ] 投稿者 : omoi49to51 Re: 七面鳥の日 反捕鯨団体資金援助者船係 :発明発見⇒世界の人々の 幸不幸 担う!⇒自衛隊経費五兆円(日米周辺!) :インド洋給油経費・【アデン湾 海賊敬語⇒ソマリア食い詰め飢餓民!?】 「運命の日」目前に魂の生還 旧帝国海軍の潜航艇 シドニー湾で発見された特殊潜航艇(左:共同通信社、右:豪民放TV チャンネル9) 平成18年12月 2日 共同通信 芦辺 守 海軍少尉 略歴 大正 6年 9月16日 和歌山県海草郡貴志村 出身 昭和 9年 6月 日 呉海兵団 入団 昭和15年10月15日 「伊勢」「三隈」「狭霧」乗り組み 昭和16年 4月15日 海軍水雷学校普通科、高等科 昭和17年 3月 日 第二次特別攻撃隊編成 昭和17年 5月31日 第二次特別攻撃隊(伊24潜)として出撃 昭和17年 5月31日 発進、戦没(享年24歳)/シドニー湾 故 海軍 【特務少尉】 芦邊 守之墓 護國院釈誠守霊 特務士官 [編集] 制度の変遷 [編集] 3.兵から【兵曹長】まで昇進した者の内で更に選ばれた者(特務少尉) 少尉に任官されると官報に名前が乗り、大変な名誉とされた。 この潜航艇は1942(昭和17)年5月31日夜、連合軍艦船を攻撃するためシドニー湾に入った潜航艇 【3隻のうちの1隻】 魚雷を発射、追撃を振り切った後、行方不明となっており、64年ぶりに所在が確認されたことになる。 潜航艇には当時、伴 勝久中尉(23)=愛知県出身=と 【芦辺 守 1等 兵曹 】(24)=和歌山県出身=が乗っていた。 【一等兵曹】⇒上等兵曹⇒兵曹長/少尉候補⇒【少尉】 【一等兵曹】 旧海軍における水兵科下士官の3階級の一つ。昭和17年以前は最上の階級だったが、同年以降は中間位の二等兵曹を改称してこう呼び、上等兵曹の下で二等兵曹(元の三等兵曹)の上となった。陸軍の軍曹に相当する。 1942年に特務士官の階級名から「特務」との呼称が削除されるが、海軍廃止まで特務士官制度は存続し、必要に応じて「特務士官たる~尉」と区別されていた。 特選制度 [編集] 【兵曹長】新設後、※【名誉進級か※戦死】に伴った昇進であり、中尉として勤務できたものはいなかった。 昭和12年に至り、現役中に昇進する者がでてきた。 芦辺五男様(ご実弟)のお話 芦部家には五人の男子がいて全員が従軍され、うち四人の方が戦死されて何れの方の遺骨も帰って来なかったそうです。 末弟の五男様もシベリアに抑留され帰国したのは昭和24年だとの事でした。また、和歌山空襲でご実家も焼失されたとの事で、かくも戦禍を蒙り辛酸を舐められたご一家も有ったのかと、戦争を語り継ぐことの重要性をあらためて痛感致しました。 :投稿中 自然と 泪が 溢れ 落ちる 止まらない・・・ 困難なミッションに選抜された運命・・・! :明光通り 商店街 東側 養泉寺 〒641-0025 和歌山県和歌山市和歌浦中2丁目7−16 平成18年12月 2日 日豪プレス 【特殊潜航艇、正式確認さる/RSL、日本政府の意向を尊重】 12月1日、文化遺産担当大臣イアン・キャンベル上院議員は、シドニー郊外ノーザン・ビーチ沖合3海里の砂地の海底で発見された船体が、豪海軍の検査と海軍史産収集部の説明から、 1942年5月のシドニー湾攻撃以来行方不明になっていた 日本海軍特殊潜航艇であることが公式に確認されたと発表した。 キャンベル大臣は、艇の火薬はまだ爆発能力を持っている可能性があり、誰も艇に近づかないよう警告すると同時に艇から半径500メートルの範囲を保護水域に指定、艇の遺構と遺体を法律で保護すると宣言した。 指定後この水域では無許可で水中に入ることも船舶の停泊や航行も禁止される。 また、NSW政府のフランク・サートー計画大臣は緊急措置として暫定史産指定を発令、遺構を損壊した者は ※【最高110万ドルの罰金】または【6か月の禁固刑】を受けると警告し、 「特殊潜航艇の発見は、豪日両国にとって重要な意義があり、遺構は最大限の敬意と名誉で扱われる」と発表した。これとは別にRSL(復員軍人同盟)のビル・クリューズ会長は、公式確認を受けて「艇は日本国の財産であり、日本政府がその処分を決められる。RSLは日本政府の意向を尊重するが、乗組員2人が艇と運命をともにした可能性が高く海洋墓地として遺構を現況のまま保存することが適切と考えるし、日本政府もおそらくそうするだろう」と語った。また発見したダイバーのグループが、艇を荒らさず、 秘密のまま海軍に連絡したことを評価し、「遺構を盗難や破壊から守ることは現実には困難だが戦争墓地という事実がイタズラを防ぐことを希望する」とした。特殊潜航艇 更新日:2006/12/27 和歌山県人が、他府県に。。。 故 海軍 特務少尉 芦邊 守之墓 2011/ 2/ 5 23:52 [ No.6858 / 6858 ] 投稿者 : omoi49to51 Re: 七面鳥の日 反捕鯨団体資金援助者船係 :発明発見⇒世界の人々の 幸不幸 担う!⇒自衛隊経費五兆円(日米周辺!) :インド洋給油経費・【アデン湾 海賊敬語⇒ソマリア食い詰め飢餓民!?】 「運命の日」目前に魂の生還 旧帝国海軍の潜航艇 シドニー湾で発見された特殊潜航艇(左:共同通信社、右:豪民放TV チャンネル9) 平成18年12月 2日 共同通信 芦辺 守 海軍少尉 略歴 大正 6年 9月16日 和歌山県海草郡貴志村 出身 昭和 9年 6月 日 呉海兵団 入団 昭和15年10月15日 「伊勢」「三隈」「狭霧」乗り組み 昭和16年 4月15日 海軍水雷学校普通科、高等科 昭和17年 3月 日 第二次特別攻撃隊編成 昭和17年 5月31日 第二次特別攻撃隊(伊24潜)として出撃 昭和17年 5月31日 発進、戦没(享年24歳)/シドニー湾 故 海軍 【特務少尉】 芦邊 守之墓 護國院釈誠守霊 特務士官 [編集] 制度の変遷 [編集] 3.兵から【兵曹長】まで昇進した者の内で更に選ばれた者(特務少尉) 少尉に任官されると官報に名前が乗り、大変な名誉とされた。 この潜航艇は1942(昭和17)年5月31日夜、連合軍艦船を攻撃するためシドニー湾に入った潜航艇 【3隻のうちの1隻】 魚雷を発射、追撃を振り切った後、行方不明となっており、64年ぶりに所在が確認されたことになる。 潜航艇には当時、伴 勝久中尉(23)=愛知県出身=と 【芦辺 守 1等 兵曹 】(24)=和歌山県出身=が乗っていた。 【一等兵曹】⇒上等兵曹⇒兵曹長/少尉候補⇒【少尉】 :「トラトラトラ」ハワイ真珠湾攻撃【9軍神】⇒小型特殊潜航艇5艇乗員計10名 :俘虜:虜囚【酒巻和男海軍少尉】※階級そのまんま!「降格人事希求」 :敗戦職責大将 尻拭かず 靖国の上座に合祀=栄典≒従二位 旭日大綬章 ⇒賞罰無⇒「二等兵降格⇒人事考課 希求!」 【一等兵曹】 旧海軍における水兵科下士官の3階級の一つ。昭和17年以前は最上の階級だったが、同年以降は中間位の二等兵曹を改称してこう呼び、上等兵曹の下で二等兵曹(元の三等兵曹)の上となった。陸軍の軍曹に相当する。 1942年に特務士官の階級名から「特務」との呼称が削除されるが、海軍廃止まで特務士官制度は存続し、必要に応じて「特務士官たる~尉」と区別されていた。 特選制度 [編集] 【兵曹長】新設後、※【名誉進級か※戦死】に伴った昇進であり、中尉として勤務できたものはいなかった。 昭和12年に至り、現役中に昇進する者がでてきた。 芦辺五男様(ご実弟)のお話 芦部家には五人の男子がいて全員が従軍され、うち四人の方が戦死されて何れの方の遺骨も帰って来なかったそうです。 末弟の五男様もシベリアに抑留され帰国したのは昭和24年だとの事でした。また、和歌山空襲でご実家も焼失されたとの事で、かくも戦禍を蒙り辛酸を舐められたご一家も有ったのかと、戦争を語り継ぐことの重要性をあらためて痛感致しました。 :投稿中 自然と 泪が 溢れ 落ちる 止まらない・・・ 困難なミッションに選抜された運命・・・! :明光通り 商店街 東側 養泉寺 〒641-0025 和歌山県和歌山市和歌浦中2丁目7−16 平成18年12月 2日 日豪プレス 【特殊潜航艇、正式確認さる/RSL、日本政府の意向を尊重】 12月1日、文化遺産担当大臣イアン・キャンベル上院議員は、シドニー郊外ノーザン・ビーチ沖合3海里の砂地の海底で発見された船体が、豪海軍の検査と海軍史産収集部の説明から、 1942年5月のシドニー湾攻撃以来行方不明になっていた 日本海軍特殊潜航艇であることが公式に確認されたと発表した。 キャンベル大臣は、艇の火薬はまだ爆発能力を持っている可能性があり、誰も艇に近づかないよう警告すると同時に艇から半径500メートルの範囲を保護水域に指定、艇の遺構と遺体を法律で保護すると宣言した。 指定後この水域では無許可で水中に入ることも船舶の停泊や航行も禁止される。 また、NSW政府のフランク・サートー計画大臣は緊急措置として暫定史産指定を発令、遺構を損壊した者は ※【最高110万ドルの罰金】または【6か月の禁固刑】を受けると警告し、 「特殊潜航艇の発見は、豪日両国にとって重要な意義があり、遺構は最大限の敬意と名誉で扱われる」と発表した。これとは別にRSL(復員軍人同盟)のビル・クリューズ会長は、公式確認を受けて「艇は日本国の財産であり、日本政府がその処分を決められる。RSLは日本政府の意向を尊重するが、乗組員2人が艇と運命をともにした可能性が高く海洋墓地として遺構を現況のまま保存することが適切と考えるし、日本政府もおそらくそうするだろう」と語った。また発見したダイバーのグループが、艇を荒らさず、 秘密のまま海軍に連絡したことを評価し、「遺構を盗難や破壊から守ることは現実には困難だが戦争墓地という事実がイタズラを防ぐことを希望する」とした。特殊潜航艇 更新日:2006/12/27 |