山のおもむきⅡ

山に暮らし始めて18年
大好きな自然のようすを写真に撮ってアップしています

のどかな日

2011-03-30 16:08:57 | 日記


美しい朝の光は 何事もなかったかのように私たちを照らしてくれます

 


湧き水はわずかずつでも淀むことなく流れていますね

 


小鳥の声がきれいでした
私はガヤガヤ言わずに そーっとカメラを動かしました
僅かですが聞こえますか?

 


-6℃くらいでしたが フロストフラワーが咲いていました♪

 


目が涙ぐんでいました

 


どうろがあったかいニャ

 


うん ほんとニャ

 


おっと~  けんかはいけねえぜ

 

朝日新聞より

天声人語

2011年3月30日(水)付

 放射能を封じ込める作業が放射能を広げ、時と労力を奪う。福島の原発事故は、ひとたび暴走した巨大システムの怖さを教えている。現場の死闘に心から声援を送りながらも、「がんばれ東京電力」の声に力が入らない

▼「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である

▼福島第一の記録映画は、「この地は数百年にわたり、地震や津波で大きな被害を受けていません」と胸を張る。全電源が長らく使えない事態も見込んでいなかった。想定の甘さは、「千年に一度」が無残に証明した

▼『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』(J・チャイルズ著、高橋健次訳、草思社)に、興味深い一文がある。「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起こりえないのではなく、起こるまでに時間がかかるだけのことである」

▼ 多くの学者が国策になびく中、脱原発を貫いた高木仁三郎(じんざぶろう)氏がご健在ならばと思う。11年前、亡くなる年の講演で「私はそもそも、原子力は電力として使うには無理なエネルギーだと感じていました」と語った。「それがある種の政治的圧力により、強引に電力供給の主流に乗せられようとした」

▼科学とは、市民の不安を共有し、その元を取り除き、人々の心に希望の火を灯(とも)すものであるべきだと、氏は力説した。電力業界は論敵の視座から出直すしかない。「最悪」を免れ、原発という科学が残ればの話だが。


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高木仁三郎さんが生きておられたら 今この時にどんなお話しをされるかなぁ、、、とよく考えます

これだけ世界中の人たちを不安に陥れる原発というものが なぜ造られるのだろう
自然とは 土、水、空気、そこに生きるさまざまなものたち
この大切な自然と引き換えにするだけの価値があるものだということ?
自然が破壊されたら 人も生きては行かれないのに
電気がないどころじゃないのに

☆高木仁三郎さんの『最後のメッセージ』からの抜粋を載せますね

残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、
せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。
でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。
なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。
JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、
原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。

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・・・こんな動画がありました

2004年に作られた「東京原発」という映画です