え~と ひな祭りいつだっけ・・の続き。
我が家の雛様たちも押し入れの住人に戻られた。
桃の節句というけど、現在暦の3月3日って鑑賞、そう、この行事用以外の桃の花って咲いてる・・?
往古からの行事に際しては旧暦の方が合ってるんだよね。
ではなぜ?
答は意外と簡単 “合わせてるから”
地球上の時間というのはただぼーっと単純に流れているのではなく、周期を持って循環している、それを見つけたのが暦ということでいいのかな。
いろいろな暦(暦法)がある。
日本での旧暦と言ったら太陰太陽暦。月の運行を基本とし、太陽の動きつまり季節を調整する暦。
月の満ち欠けは29+α日、αは0.5でよかったと思う。
するとひと月29日では足りないし、30日では余る。
1年は春分から春分までで365日と旧暦でも前提となっている。
結果、大(30日)の月、小(29日)の月で調整しようとしても、どうしても調整しきれない日数が出て来るし、季節感のずれがでてしまう。
だからどうしたかと言うと・・・あ~あった、このサイトのように閏月を入れて調整したんだよね。めでたしめでたし!・・とはならない。
日数だけではなく、その他複雑な調整要素がある。
明治期に、”そんな複雑な調整しながら使っていく意味があるのか、今後日本もグローバルになっていくんだぞ・・”という論が出る。
サイトにも少し出てくるけど、ことはそんなに単純ではなさそう。
明治政府というのは現在でいうレバレッジドリース、江戸幕府の御金蔵を宛にして作ろうとしている。
ところが、御金蔵を開けてみて超ビックリ、金銀財宝がうなっているという算段だったのになんと空っぽ!
ここから徳川埋蔵金探しが当時も、また現代までも延々と続くことになる。もちろんお宝は出ない。
明治は初っ端から行き詰まり、緊縮財政の必要が出る。討幕支持を得るため税金下げると今でいうマニュフェストも出してたんだけど、財源がない。
宣伝マンとして使っていた「赤報隊」(千葉小金宿東漸寺に出身隊士の碑がある。)は、お上を騙って妄言をなし民を惑わす不逞の輩として詮議もなく処刑した。
詮議したら真犯人わかるから絶対しないけどね・・ そして重大なこと、旧暦だと13個の月がある年がある。
すると公務員の給料は月給にしていたから13回払いの年が出てしまう・・う~由々しき・・
と、これが最大の理由だろうけど、明治に日本の暦もかなりバタバタと太陽暦(グレゴリオ暦)に変わったんだよね。あくまでもグローバル対応だよ・・へへ(^^)/
暦って太陽暦と太陰暦? 大きくはそうなんだろうけど、特に太陰暦には暦に取り入れる要素が多いため細かい違いの暦がある。
太陰暦同士の改暦であっても古くからのものが旧暦、切り替えるものが新暦という。特に悩まない、当然ね。
改暦というのには利権、権勢も絡み相当の闇ドロドロが付きまとうのかもしれない。(つづく)