薬師寺東塔の大修理が終えたようです。
薬師寺は天武天皇(以下、天皇→帝)の后の病気平癒を祈願して建てられたと言います。
天武帝は即位前大海人皇子と呼ばれていました。乙巳の変(大化の改新)の当事者天智帝(=中大兄皇子)の弟とされます。
天智帝はいよいよ篤くなった際、大海人皇子を呼び後事を託そうとしたものの辞去して隠棲、天智帝の子大友皇子が跡を継ぎます(弘文天皇)。
しかし、天智帝が崩御すると子と伯父が皇位を争う壬申の乱が勃発、勝利した大海人皇子が即位という経緯です。
天智帝の弟とされる天武帝の方が年上という説もあり、背景が古代最大のミステリーとも言われる壬申の乱。
当時の皇統周辺には悲劇を伴う人物が名を列する。白村江の争いも天智帝の御代であり、外政も不安定。
財政極まらない中、后の病気平癒の願は勿論のことだろうけど、それだけにとどまるものではないと巷間言われることをこの伽藍を前に実感します。
ご本尊は薬壺を携えた薬師如来、体の薬、社会の薬への期待、望みでしょうね。
折も折り、ぜひこのウイルスへも・・・
(落慶法要はコロナの影響で延期、未定となっています。)
青空の似合う季節だと思いますが、前線が近づいてきてるとか・・・
さざなみ立っていて水面への映り込みはほとんどありません。相輪が辛うじて映っているという程度です・・
もうかなり陽は高いです。
地元のワンコ散歩のおじちゃんにニヤリとされます。”ここ撮るんだったらもっと早く来なくちゃ!” ・・日の出前らしいです。
2010年の秋に撮った画です。リコーのコンデジcx3で撮りました。
キンキラの再建西塔は落ち着いています。この後東塔は修理に入りました。
ほぼ同じ画面の現在(本日)。塔の前に見える高架電柱は近鉄電車の橿原線です。すぐ左に薬師寺駅とも言うべき西ノ京駅があります。
・・お見合いかも・・
駐車場に向かう途上、天満神社に寄ります。
三間社流造の本殿も石の神牛も古いです。
古都奈良は道が狭いです。この辺の路地としてはこれでも広い方か・・
桜はまだです。
リフォーム、特に相輪は傷みが激しく複製ということですが古さを失わない素晴らしい技法です。”修理しました!”感がありません。
”凍れる音楽”(一応フェノロサの言葉、ただし証拠はないとか・・)と評される東塔。すばらし・・
西塔とともに。