南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

祝!中村瑞希、民謡日本一に

2005年10月17日 02時58分21秒 | Weblog
読売新聞の記事はこちら

中村瑞希の唄をはじめて生で聴いたのは、'01年の4月だった。
日本橋三越の屋上で、中 孝介と共に10人ほどの観客の前で唄っていた。
その後、同年11月の立川のイベントでは、ストリートパフォーマンスのような形で唄うのを聴き、'02年8月はよみうりホール、同年11月に越谷の自然食のお店etc、etcと、行ける限り行ってきた。

当時の中村瑞希の唄は、自身「(ゲンコツをつくって)私の唄はこれですから」という、力強さ以外にはそれほど見るべきものもなかったが、それでも天性の美声でカバーする形で聴衆を満足させていたように思う。
'03年5月、その中村瑞希が地元の奄美民謡大賞を受賞したと聞いたとき、正直、
「メジャーデビュー前の花道か(当時、元ちとせに続いて、彼女か里アンナがデビューするのではないかというもっぱらな噂であった)」と思った。
その三週間後、六本木の島唄楽園で中村瑞希の唄を聴いて愕然とした。
奄美大島の方言で唄われる島唄を、繊細なニュアンスで、言葉の意味すら判らぬ観客に届け、それまでライブやCDで聴いてきたのとはまったく別な唄い手になっていたのだ。
その年、日本民謡大賞の全国大会では「浦本杯(大会における位置付けは不明)」で準優勝となり、一年置いた今年、総理大臣杯(所謂民謡日本一)を獲得した。

これで大島郡笠利町は、築地俊造当原ミツヨに続く三人目の民謡日本一を輩出したことになる。
来年三月、広域合併で町名が消え去る前に、よきモニュメントとなったであろう。
なお、奄美大島からの民謡日本一は、これにRIKKIを加え、四人目となる。

ところで、このニュースを確認するため、慌てて各種の速報サイトを巡ったが、gooのニュース速報がとんでもない写真を掲載していた
すぐに訂正、あるいは削除されてしまうと思われるので、ハードコピーを載せておく(165kb)
笑い転げて死ぬかと思ったぜ。
コメント
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