declarationつうたら言外に『個人』て付くらしいけどね、と最初に蛇足を。
多くのものを変えた震災から、先日、100日が経過しました。
いつも自分勝手な事ばかりのこのBLOGですが、今回は輪を掛けて個人的な事を記そうと思います。
ニジエビス 2010年5月3日午後4時15分 加計呂麻島実久にて。
平成になったかならないかの頃に車の免許を取り、あちこち旅に出るようになりました。
最初は、当時住まっていた静岡の実家から、長野、岐阜、あるいはそのまま日本海へ、というパターンが多かったのですが、『車で車中泊』から『車でテント持って』スタイルへ移行すると、徐々に「もっと遠くへ」という欲求が高まっていきました。
紀伊半島へ、四国へ、九州(屋久島)へ。
移動手段が車からバイクへと替わって、一時は移動そのものの距離が減ったことももありましたが、いつしかふたたび、西へ・南へと。
ブダイ 2010年5月3日午後4時35分 加計呂麻島実久にて。
九州方面の旅行には、神戸港からフェリーに乗りました。大阪港からも別なフェリーが出てたんだけど、東名・名神・阪神と高速道をまっすぐ行くと神戸港に出るので、道に迷う心配がないっちゅう大きなメリットがありました。
神戸発九州・九州発神戸、というパターンの旅が何年か続いた頃、阪神淡路大震災が起きました。
TVが伝える地震の映像に驚いているうちに、地震と液状化で神戸港が使用不能になったことが判りました。えー? とか思っていたら、足元で大事件が起きました。
ムロアジ 2010年5月4日午前8時0分 加計呂麻島実久にて。
同年3月の地下鉄サリン事件です。
会社で徹夜仕事をして、いつになったら帰れるだろうと思っていたら、全館放送が『電車に乗るな、会社から出るな、営業・打ち合わせはタクシーを使え』と怒鳴りはじめました。
直接、オレが利用する区間で撒かれていたわけではありませんが、仕事が終わって帰っていれば、乗り換え駅で間接的に巻き込まれていたはずです。別な会社で夜勤仕事をしていた友達は、交替が1時間遅れていたら巻き込まれたと言っていました。
アイゴ 2010年5月4日午後3時5分 加計呂麻島実久にて。
しばらくして仕事が落ち着いて、平日に代休を取っていたら刑事さんの訪問を受けたのが4月の半ばだったでしょうか。コンピュータの会社に勤める30手前の独身男性ちゅうたら、そのまんまオウムのポスターを貼ってるイメージでしょうね、警察の人には。
アイゴ 2010年5月5日午前7時25分 加計呂麻島実久にて。
夏になってようやくいろいろ片付いて、既に習慣になった九州旅行に行こうとしたら「神戸港は未だ復興途上」ということで大阪港からフェリーに乗ります。
船内では、大阪のおばちゃんが、自慢のお孫さんなんでしょうね、膝に抱いて誰彼なく自慢します。『この子はね、♪しょーこーしょーこー、あさはらしょーこー♪って上手に歌うんやでぇ』って。大阪ではギャグかよ、とひとり立腹するオレ。
ブダイ 2010年5月5日午後0時20分 加計呂麻島実久にて。
帰りの大阪環状線で分岐を間違えて1周半したり。「オレと大阪はとことん相性が悪い」と確定。そうして数年、神戸港が復旧して、フェリーが再び就航します。
お久しぶりね♪ とフェリーの待ち時間を利用して神戸の街を右往左往。目薬を買いたくて入った薬屋さんの店主に「すっかり綺麗になりましたね」と無邪気に言ったら、「まだまだなんですよ」と店主の目から大粒の涙。
アイゴ 2010年5月22日午後0時14分 大和村津名久にて。
逃げるように薬屋を出て、近道のつもりで裏道に入ったら、ぽつりぽつりと建物の陰に隠れるように、緑色の蒲鉾みたいなテント住宅。なんてこった、と。メインストリートを手早く直して、あとは自助努力かよ、と。
チョウチョウウオ 2010年5月30日午前8時50分 大和村津名久にて。
幸か不幸か、このたびの震災では、直に地震の被害に遭った知人といえば学校の6年(?)先輩で、仙台でダンス教室を主宰してる人が居るけどもう25年くらい連絡ない。あとは秋田で人形劇をやってるこれ→ http://kusu356.blog.ocn.ne.jp/blog/
クロハギの赤ちゃん 2010年5月30日午前9時45分 大和村津名久にて。
3月11日以降、オレの頭の中には、あの神戸の薬屋での数秒間の出来事が繰り返し浮かんでくる。被災地から遠く離れて支援もクソもないだろうとは思うし、湯水の如く使える金があるわけでもない。それでもあの薬屋のオヤジの涙を思い出さずには居られないのだ。
たいした金はないと言っても、実際には金を使うしかない。出掛けて行って力仕事を手伝うことは出来ないのだ。だから、毎月100円でも1,000円でも、青森・岩手・宮城・福島のために意識してお金を使うことにしようと思う。
クロハギ 2010年5月30日午前9時54分 大和村津名久にて。
つうことで、東北といえばやっぱ日本酒。
モノは試しと4月半ばに奄美大島から直接被災地に注文してみました。
ほどなく到着。あの惨劇から40日だぞ。距離にして2000km弱だぞ、と驚きましたね。
さて、情けないことにオレは酒が弱いので、5月半ばに友人たちを誘って呑み会を企画してみました。
名付けて《被災地のお酒を飲むかい?》
正直いって震災のことはTVとかでしか知りませんから、お互いの近況などを話題として、そこそこ楽しく過ごしました。
調子に乗って第2弾。名称も《ボラ呑みの会》とあらためて。
今回は山形の『上喜元 特別純米酒』と宮城の『左右平(そうへい)・義援金付』を発注。
ところが、熟慮の末に決定した6月25日が、どうも都合が合わないらしく、どうやらすごく寂しい集まりになりそうな予感。
ブダイ 2010年5月30日午前11時10分 大和村津名久にて。
『被災地のお酒を呑むかい 改メ ボラ呑みの会in屋仁川』part2は、6月25日(土)の開催と決定しました。
会場は屋仁川《島アジアン酒房マーハイ》。7時頃からはじめましょう。
会費は3,000円+支援日本酒代(500円・お酒呑めない方は要りません)です。
御用とお急ぎでない方においでいただければ嬉しく存じます。
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多くのものを変えた震災から、先日、100日が経過しました。
いつも自分勝手な事ばかりのこのBLOGですが、今回は輪を掛けて個人的な事を記そうと思います。
ニジエビス 2010年5月3日午後4時15分 加計呂麻島実久にて。
平成になったかならないかの頃に車の免許を取り、あちこち旅に出るようになりました。
最初は、当時住まっていた静岡の実家から、長野、岐阜、あるいはそのまま日本海へ、というパターンが多かったのですが、『車で車中泊』から『車でテント持って』スタイルへ移行すると、徐々に「もっと遠くへ」という欲求が高まっていきました。
紀伊半島へ、四国へ、九州(屋久島)へ。
移動手段が車からバイクへと替わって、一時は移動そのものの距離が減ったことももありましたが、いつしかふたたび、西へ・南へと。
ブダイ 2010年5月3日午後4時35分 加計呂麻島実久にて。
九州方面の旅行には、神戸港からフェリーに乗りました。大阪港からも別なフェリーが出てたんだけど、東名・名神・阪神と高速道をまっすぐ行くと神戸港に出るので、道に迷う心配がないっちゅう大きなメリットがありました。
神戸発九州・九州発神戸、というパターンの旅が何年か続いた頃、阪神淡路大震災が起きました。
TVが伝える地震の映像に驚いているうちに、地震と液状化で神戸港が使用不能になったことが判りました。えー? とか思っていたら、足元で大事件が起きました。
ムロアジ 2010年5月4日午前8時0分 加計呂麻島実久にて。
同年3月の地下鉄サリン事件です。
会社で徹夜仕事をして、いつになったら帰れるだろうと思っていたら、全館放送が『電車に乗るな、会社から出るな、営業・打ち合わせはタクシーを使え』と怒鳴りはじめました。
直接、オレが利用する区間で撒かれていたわけではありませんが、仕事が終わって帰っていれば、乗り換え駅で間接的に巻き込まれていたはずです。別な会社で夜勤仕事をしていた友達は、交替が1時間遅れていたら巻き込まれたと言っていました。
アイゴ 2010年5月4日午後3時5分 加計呂麻島実久にて。
しばらくして仕事が落ち着いて、平日に代休を取っていたら刑事さんの訪問を受けたのが4月の半ばだったでしょうか。コンピュータの会社に勤める30手前の独身男性ちゅうたら、そのまんまオウムのポスターを貼ってるイメージでしょうね、警察の人には。
アイゴ 2010年5月5日午前7時25分 加計呂麻島実久にて。
夏になってようやくいろいろ片付いて、既に習慣になった九州旅行に行こうとしたら「神戸港は未だ復興途上」ということで大阪港からフェリーに乗ります。
船内では、大阪のおばちゃんが、自慢のお孫さんなんでしょうね、膝に抱いて誰彼なく自慢します。『この子はね、♪しょーこーしょーこー、あさはらしょーこー♪って上手に歌うんやでぇ』って。大阪ではギャグかよ、とひとり立腹するオレ。
ブダイ 2010年5月5日午後0時20分 加計呂麻島実久にて。
帰りの大阪環状線で分岐を間違えて1周半したり。「オレと大阪はとことん相性が悪い」と確定。そうして数年、神戸港が復旧して、フェリーが再び就航します。
お久しぶりね♪ とフェリーの待ち時間を利用して神戸の街を右往左往。目薬を買いたくて入った薬屋さんの店主に「すっかり綺麗になりましたね」と無邪気に言ったら、「まだまだなんですよ」と店主の目から大粒の涙。
アイゴ 2010年5月22日午後0時14分 大和村津名久にて。
逃げるように薬屋を出て、近道のつもりで裏道に入ったら、ぽつりぽつりと建物の陰に隠れるように、緑色の蒲鉾みたいなテント住宅。なんてこった、と。メインストリートを手早く直して、あとは自助努力かよ、と。
チョウチョウウオ 2010年5月30日午前8時50分 大和村津名久にて。
幸か不幸か、このたびの震災では、直に地震の被害に遭った知人といえば学校の6年(?)先輩で、仙台でダンス教室を主宰してる人が居るけどもう25年くらい連絡ない。あとは秋田で人形劇をやってるこれ→ http://kusu356.blog.ocn.ne.jp/blog/
クロハギの赤ちゃん 2010年5月30日午前9時45分 大和村津名久にて。
3月11日以降、オレの頭の中には、あの神戸の薬屋での数秒間の出来事が繰り返し浮かんでくる。被災地から遠く離れて支援もクソもないだろうとは思うし、湯水の如く使える金があるわけでもない。それでもあの薬屋のオヤジの涙を思い出さずには居られないのだ。
たいした金はないと言っても、実際には金を使うしかない。出掛けて行って力仕事を手伝うことは出来ないのだ。だから、毎月100円でも1,000円でも、青森・岩手・宮城・福島のために意識してお金を使うことにしようと思う。
クロハギ 2010年5月30日午前9時54分 大和村津名久にて。
つうことで、東北といえばやっぱ日本酒。
モノは試しと4月半ばに奄美大島から直接被災地に注文してみました。
ほどなく到着。あの惨劇から40日だぞ。距離にして2000km弱だぞ、と驚きましたね。
さて、情けないことにオレは酒が弱いので、5月半ばに友人たちを誘って呑み会を企画してみました。
名付けて《被災地のお酒を飲むかい?》
正直いって震災のことはTVとかでしか知りませんから、お互いの近況などを話題として、そこそこ楽しく過ごしました。
調子に乗って第2弾。名称も《ボラ呑みの会》とあらためて。
今回は山形の『上喜元 特別純米酒』と宮城の『左右平(そうへい)・義援金付』を発注。
ところが、熟慮の末に決定した6月25日が、どうも都合が合わないらしく、どうやらすごく寂しい集まりになりそうな予感。
ブダイ 2010年5月30日午前11時10分 大和村津名久にて。
『被災地のお酒を呑むかい 改メ ボラ呑みの会in屋仁川』part2は、6月25日(土)の開催と決定しました。
会場は屋仁川《島アジアン酒房マーハイ》。7時頃からはじめましょう。
会費は3,000円+支援日本酒代(500円・お酒呑めない方は要りません)です。
御用とお急ぎでない方においでいただければ嬉しく存じます。
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