本当なら、これは「奄美大島地ビールについて」考を終了させてから稿を起こすつもりだったのだが、
総選挙の投票日が明日に迫ってしまったので、仕方なしにやるものである。
先に、オレのスタンスを記しておく。
投票には行くつもりである。
小選挙区(鹿児島二区)は、白票を投じる。
郵政民営化には賛成できないが、当選挙区では、郵政民営化に反対を表明している候補は二世議員である。
基本的に先代議員の地盤にて立候補する二世議員には、自分は投票しない。
政治は、家族・一族の業とすべきではない。
ことに国政において、そのような存在は許されるものではない。
選挙区を替えて、それでも国政に出ようとするならばまだしも、
先代議員の地盤で威光を利しての立候補には、ある種の構造を固定化しようとする思惑しか見えない。
そうした構造の固定化には、オレは加担するつもりはない。
比例代表については、まだ考慮中である。
とりあえず、消去法的に残った政党はあるが、
一昨日に帰宅したら、その政党からの投票依頼電話が留守番電話に入っていたのである。
馬鹿、誰がお前らなんかに入れるか。てな気分である。
さて、今回の選挙の争点は、郵政民営化法案である。
すでにかるく触れたが、オレはこの法案には現時点で反対である。
郵便行政および郵貯・簡保を民営化して小さな政府を実現する、
というのが法案の目指すところだというが、現実味のある話かどうか。
まず、郵便業務では、全国24,000の郵便局の3/4、
赤字郵便局18,000の黒字転換を目指さなければならない。
民営化とは、営業利益を出すことが大前提なのだから。
グローバルサービスという聞こえのいい言葉を使って、
黒字郵便局の儲けを赤字郵便局につぎ込むから問題ない、と声高に主張する者がいる。
現在の郵政公社では、たしかにその形で運営されているのだろう、詳細は知らんが。
赤字郵便局18,000も、すべて同様の赤字であるとは限らない。
極薄の赤から深紅の赤字まで、バリエーションに富んでいるのだろう。
民営化による業務の多様化で、容易に黒字転換できる郵便局もあるかもしれない。
「民業の圧迫を避けるため」ということで規制されている小包(ゆうパック)も、
規制が外れることで飛躍的に利益が増大するかもしれない。
それでも、赤字のままの郵便局は多数残るだろう。
民間企業とは、赤字部門の縮小・撤退により、利益を確保することも立派な経営手法である。
「モータリゼーションが発達した現在、近距離にある郵便局の統廃合は時代の趨勢」という認識もある。
また、「営業時間の延長により、雇用はむしろ推進される」と予測もできるだろう。
「みなさんは、郵便局がなくなるというが、そんなことはありません」
さきの国会における首相だか郵政民営化担当相だかの答弁である。
これは、馬鹿や無知に言う言葉である。
民営化が決定し、郵便業務に参入する企業は、まず「どの時点で、どこを切るか」を考える。
これを考えない企業は、企業として株主に対する責任を放棄したに等しい。
ついで、郵貯・簡保について。
「300兆を超える資金が規制を緩和される」と喜ぶ
経済専門家がいるが、
現時点でその300兆円はどこにあると思っているのか。
国債が170兆円、地方債が18兆円、大蔵省預託(財政投融資)が118兆円というのが内訳だ。
どこにしろ、すぐさま引き出せるカネではない。
とくに国債の170兆円は、「新規買い増しをしない」と言っただけで、市場での投げ売りがはじまるという。
売りに出したら、暴落は必至。国債の金利もガタ落ちする。
金融パニックが発生するのだ。
「(郵政民営化において)6本の法律を出したのですが、実は、(郵貯)銀
行と簡保(保険会社)については、法律は出ていません。ここに大
きな意味があるわけです。
なぜなら、(郵貯)銀行と(簡保)保険会社は、NTTのような
特殊法人ではなく、純粋な商法上の一般法人になるからです。だか
らこそ、(郵貯と簡保の)株は、100%売却しなければ、意味は
ないんですよ。国が関与しないんだから。そこに改革の本質が貫か
れています」
これは、郵政民営化担当相が、雑誌のインタビューで答えた言葉だそうだ。
「国がやることだから間違いはあるまい」と思っている人たちは、このことを知っているのか?
さて、本論である。以下のことについて記したくて、オレはこの稿を起こした。
二点ある。
まずはその一。
学歴奉賛会のみなさまへ
今回の郵政改革法案と総選挙については、
インターネット上で大量の
自称・論客たちが賛意を表明している。
彼らの論調の根底にあるのは、
「
日本有数のインテリである財務官僚が作成した法案に間違いがあろうはずはない」
という認識ではないか。
「
自分もまたインテリであるから、この法案に賛成する」
という気分が見え隠れしている。
だから、法案反対派が何か突っ込んだときに、論理的な反論が尻すぼみになって、
「それじゃあ、アンタはこのままでもいいと思っているのか」「ダメなら戻せばいいだろう」
的な逆ギレ現象が目立つ。
ようするに、自分で考えた結論でないから、論理的整合性がないのだ。
「ダメなら戻す」なんて、幼稚園児の論理ではないか。
これに似た現象は、消費税の導入時にもあった。
消費税は、結果として消費の冷え込みを招き、平成不況の入り口を作った。
ダメだからって、戻したか?
この国の、国家的・国家財務的な構造が、このままでいいとは誰も思わない。
ただ、「
自分もまたインテリであるから、インテリが考えたこの法案に賛成する」
では、ナサケないとは思わないか?
その二。
本当に、郵政法案否決で解散したのか?
どうも、この点がウサン臭いのだ。
愛読しているメールマガジンがある。
まぐまぐから発行されている
Gold News from Guinea 『金鉱山からのたより』という。
簡単に紹介すると、中央アフリカのギニアで金鉱山に勤める筆者が、
アフリカや、ヨーロッパ(ベルギー、オランダ等)から見た日本を綴るという、
「アクション抜きのゴルゴ13」みたいなメルマガである。
これの
8/23発行号にある、郵政民営化解散に関する記事が素晴らしい。
選挙後であっても、一読を薦める。
「政治とは、何事かを為すものであると同時に、
何事かを為さないものでもある」
と読める。
長くなった。
9/8、9/9分の「詳細は後日」とした記事は、明日以降とする。