人生をひらく東洋思想からの伝言

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第132回『二十四節気(にじゅうしせっき)』(日本の暦)

2024年04月01日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第132回

『二十四節気(にじゅうしせっき)』(日本の暦)


最近、改めて日本の暮らしや、暦ついて、いろいろと学びを深めています。

本当に深い世界があるんだなと、改めて先人に畏敬の念が湧き出てきます。


日本では、古くは六世紀に中国暦が導入され、

以降1873年(明治6年)に太陽暦(新暦)が採用されるまで、

太陰太陽暦(旧暦)を使ってきました。

太陰太陽暦とは、月の運行を基にした太陰暦と、

太陽の運行を基にした太陽暦を組み合わせたものになります。

月の満ち欠けの周期は、29日半ほどになります。

これをひと月とすると、12ヵ月で354日になります。

太陽暦の1年間より11日ほど短くなり、季節と日付がずれていってしまいます。

そこで、32~33ヵ月に一度、閏月(うるうつき)を設けて、

その「ずれ」を解消していました。

もともと、日本の暦は、この月の満ち欠けを、とても大切に扱ってきていました。

月の満ち欠けは、自然での植物の生長や動物の行動と密接に関係しています。

そんな意味で、農業や漁労に従事する人にとって、

毎月一日が新月で、日付と月齢が同じ太陰暦は重宝かつ重要でした。

それでも、太陽暦のように毎年同じ季節に同じ日付となることはなかったので、

不便な部分もあったようです。

そこで、二十四節気や七十二候を太陰暦に組み合わせて使っていました。


今日の本題の、「二十四節気」になります。


二十四節気は、古代中国でつくられたものになります。

旧暦を使っていた当時、季節の目安にされていました。

二十四節気は、太陽の運行を基にして1年を24等分したもので、

それぞれの長さは約15日間となります。

最初のスタートは、まず冬至(とうじ)なり、そこを起点としています。

冬至と夏至(げし)で、1年を2分割にして、「二至」となります

さらに春分と秋分を4分割にして、「二至二分」となり、

さらに、「四立(しりゅう)」(立春、立夏、立秋、立冬))で8分割して、

「八節」となります。

この「八節」は、それぞれ約45日間、これをさらに3分割して、「二十四節気」となります。

今年(令和6年)の暦でいきますと、3月20日に春分(しゅんぶん)を迎えましたが、

その後、清明(せいめい)、穀雨(こくう)と続きます。

5月5日に、立夏(りっか)となり、小満(しょうまん)、芒種(ぼうしゅ)と続きます。

6月21日に、夏至(げし)となり、小暑(しょうしょ)、大暑(たいしょ)と続きます。

8月7日に立秋となり、処暑(しょしょ)、白露(はくろ)と続きます。

9月22日に、秋分を迎え、寒露(かんろ)、霜降(そうこう)と続きます。

11月7日に、立冬を迎え、小雪(しょうせつ)、大雪(たいせつ)と続き、

12月21日に、冬至(とうじ)を迎えます。小寒(しょうかん)、大寒(だいかん)となります。

そして、2月4日に立春(りっしゅん)を迎え、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)なり、

また、春分を迎えるという流れになります。


補足ですが、それに加えて「七十二候(しちじゅうにこう)」というものもあり、

それは、二十四節気のそれぞれ15日間を、さらに3分割した、約5日間ずつの候になります。

5日ごとに移ろいゆく季節を細やかに表していて、先人の智慧に感動を覚えます。

その漢字をみると、まさにその感覚だと思います。

これも、同様に古代中国でつくられた七十ニ候ですが、

二十四節気と違い、日本独自に少しずつ改訂を繰り返してきたようです。


参考資料
『にっぽんの歳時記ずかん』 平野恵理子著 幻冬舎

 

 

 
義母の折り紙作品(さくら)


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