3/11以来、読むに耐えうる本はほとんどない…と感じているのは、僕だけではないでしょう。
この『重力と恩寵』は例外です。今だからこそ、彼女の言わんとすることの何かが実感できるのだ、とも言えます。以下、P.51からの引用です。
極端な不幸が、完全に達したこのたましいの中に生じさせる神の不在とは、どういうものなのだろうか。…(略)
…あがないの苦痛(イエスの十字架上の苦しみ―尾崎記)を通して、神は悪の極みの中にも存在する。なぜなら、神の不在とは、悪にあい応じた形での神の存在の仕方だからである。―その不在は感知できるのである。自分の中に神がいない人は、神の不在を感知することができない。
悪の単調さ。なにも新しいものがない。そこではすべてが等質である。なのも実在するものがない。そこでは、すべてが架空のものである。(P.117より)
この『重力と恩寵』は例外です。今だからこそ、彼女の言わんとすることの何かが実感できるのだ、とも言えます。以下、P.51からの引用です。
極端な不幸が、完全に達したこのたましいの中に生じさせる神の不在とは、どういうものなのだろうか。…(略)
…あがないの苦痛(イエスの十字架上の苦しみ―尾崎記)を通して、神は悪の極みの中にも存在する。なぜなら、神の不在とは、悪にあい応じた形での神の存在の仕方だからである。―その不在は感知できるのである。自分の中に神がいない人は、神の不在を感知することができない。
悪の単調さ。なにも新しいものがない。そこではすべてが等質である。なのも実在するものがない。そこでは、すべてが架空のものである。(P.117より)